今日も新聞を見れば、テレビをつければ、さまざまなニュースが紙面を、画面をにぎわせている。
その中で、私が、これは仕方ないと思うのが、群馬県白根山の噴火である。
もともと日本列島は火山によって作られた。
なら、いつどこで噴火しても不思議はないというのが、大まかな感想である。
過去3000年噴火がなかったといっても、3000年前には噴火があったのだから噴火しても不思議はなかろう。
私達は、そういう危うい国土に住み着いた国民なのである。
地震も同様である。
火山があるということは、噴火もするし、地震も起こる。
地震が起これば、津波も起こる。
それがいつと言えないところが予知の難しいところである。
東北大震災も、いつどれだけの規模の地震が起こるかが予知できていたら、あれほどの惨事にはならなかっただろう。
それができなかったから、ああいう惨事になったのである。
原発事故もそうである。
津波が想定できていたら、あれほどの事故にはならなかったのである。
その意味では、来る南海地震も同様である。
私が母の死が幸運だったと思えることの一つには来る南海地震の犠牲にならなかったというのがある。
あと数年生き永らえていたら、南海地震に遭遇する確率は飛躍的にアップするところだった。
高知市の中心地に住んでいた母が助かる見込みは限りなくゼロに近かっただろう。
杖をついて、よろよろとしか歩けなくなっていた母が、高い建物に逃げられる確率は低かった。
母が生きていれば、私は、常に頭の片隅にその心配をおいておかなければならなかった。
それがなくなったというだけでも、母の死は、私に安堵を与えてくれたと言えるかもしれない。
それにしても、われわれはいかに不安定な国土に住む国民であるかを、今回の白根山の噴火は再認識させてくれた。
*
・噴火する山と知らざる白根山三千年を噴火なければ
・噴火して噴火してこの国土ありしかば白根の噴火あり得る
・想定をせざる噴火と言ふ地震学者よ想定できる地震はありや
・明日起きる明後日起きる地震とも思ひ待つのが天災地震
その中で、私が、これは仕方ないと思うのが、群馬県白根山の噴火である。
もともと日本列島は火山によって作られた。
なら、いつどこで噴火しても不思議はないというのが、大まかな感想である。
過去3000年噴火がなかったといっても、3000年前には噴火があったのだから噴火しても不思議はなかろう。
私達は、そういう危うい国土に住み着いた国民なのである。
地震も同様である。
火山があるということは、噴火もするし、地震も起こる。
地震が起これば、津波も起こる。
それがいつと言えないところが予知の難しいところである。
東北大震災も、いつどれだけの規模の地震が起こるかが予知できていたら、あれほどの惨事にはならなかっただろう。
それができなかったから、ああいう惨事になったのである。
原発事故もそうである。
津波が想定できていたら、あれほどの事故にはならなかったのである。
その意味では、来る南海地震も同様である。
私が母の死が幸運だったと思えることの一つには来る南海地震の犠牲にならなかったというのがある。
あと数年生き永らえていたら、南海地震に遭遇する確率は飛躍的にアップするところだった。
高知市の中心地に住んでいた母が助かる見込みは限りなくゼロに近かっただろう。
杖をついて、よろよろとしか歩けなくなっていた母が、高い建物に逃げられる確率は低かった。
母が生きていれば、私は、常に頭の片隅にその心配をおいておかなければならなかった。
それがなくなったというだけでも、母の死は、私に安堵を与えてくれたと言えるかもしれない。
それにしても、われわれはいかに不安定な国土に住む国民であるかを、今回の白根山の噴火は再認識させてくれた。
*
・噴火する山と知らざる白根山三千年を噴火なければ
・噴火して噴火してこの国土ありしかば白根の噴火あり得る
・想定をせざる噴火と言ふ地震学者よ想定できる地震はありや
・明日起きる明後日起きる地震とも思ひ待つのが天災地震
それでもわたしはこの日本列島が大好きです(^^♪
日本が置かれた環境は悪い事ばかりではないです。
例を挙げれば、台風は大気の大掃除をしてくれます。
様々な犠牲の上に新たな息吹や豊かなめぐみが育まれるんです。
日本固有の風土はそんな中で培われたものです。
人の生死だって同じ環境の中に組み込まれたものかと思っています。
たしかにそうですね。
そういう意味では、この国に起こることには、それぞれ意味があるのでしょうね。
私も、日本という国が大好きです。
だからこそ、日本の国技を汚す人たち、日本の皇室を汚す人たちに我慢がならないのです。
が、これらの事件も、ひょっとすると、平和ボケした日本という国を大掃除してくれる大役を担っているのかもしれませんね。いいように解釈すれば。