神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

恵方巻きが大量に廃棄されたって?

2016年02月05日 20時36分14秒 | ニュース
さきほどネットのニュースを見ていたら、コンビニ、スーパーなどの恵方巻きが大量に廃棄されたとあった。

私は、やっぱりと思った。

私は、日本古来の伝統行事を大切にすることには双手を挙げて賛成するが、ごく最近流行りだした、こういう行事には疑問を感じていた。

別のネットのニュースでは、この恵方巻きの行事は芸子さん達のお座敷遊びから発展したものというふうに書かれてあった。

まあ、そんなお遊びを、私達市井の人間が真似てどうするのよって思ってしまった。

が、そういう私も、実は毎年作っていたことを白状しよう。

今年は、体調が悪かったから、ごく簡単に、手巻き寿司用の海苔に寿司飯を載せて、缶詰のシーチキンを入れて手巻き寿司にしたものを食べただけだった。

ま、よい言われることは一応しておこうという軽い気持ちでそうしていたのだが、しかし、毎年気持ちのどこかにひっかかるものもあった。

私は、南国土佐の生まれなので、もともとお寿司は大好きだ。

恵方巻きに限らず、お寿司は、よく作るほうだと思う。

それがたまたまこの節分に巻き寿司を食べるイベントができたから、それに乗っかって作っているだけのことであって、それは節分でなくて、立春の日でもいいし、建国記念日の日でもいい。

要するに、どの日でもかまわないというわけだ。

が、問題なのは、これを国民的なイベントにして、大々的にコンビニなどで売ることだ。

いや、売ること自体もかまわないのだが、そのネットのニュースによると、その売り上げノルマ達成のためにコンビニ、スーパーの従業員達に買い取らせるというのが問題だ。

そんな無理をしないといけないのなら、最初から止めておけばと思う。

廃棄される恵方巻きも半端ないと書かれてあったから、これは問題だと思った次第。

そのネットのニュースによると、クリスマスケーキ、おせち料理も、同様なシステムになっていると。

私は、これは食品無駄遣いをなくすためにも改めなければならない問題だと思う。

  廃棄さるるおせち料理に恵方巻き、クリスマスケーキああもつたいな  biko

お迎えが来る

2016年02月05日 09時45分04秒 | わたしのこと
さきほどブロ友さんのブログを読ませていただいていて、「お迎えが来る」という言葉が目に付きました。

説明の要もないのですが、死ぬことですね。

自死する人は別にして、人は「お迎え」がこないと死ねないわけです。

若い頃は、死ぬことは不幸なことだと思っていたのでしたが、最近は、必ずしもそうではないと思うようになりました。

兄は3年前に母を残して67歳で亡くなりましたが、それはお迎えが来たからなのですね。

現代の67歳は、まだまだ若いといわれる年齢です。

が、お迎えが来たということは神様がご覧になって十分この世で学んだから、お迎えを差し向けたのでしょう。

急逝だったのは、兄にとっては幸せなことであったかもしれません。

母がまだ生き永らえているのは、まだこの世で修行することが残っているのか、あるいは、娘の私のことが心配で死ねないとか、なのでしょうか?

考えてみれば、私の周囲の人たちは、わりあい急逝している人が多いです。

義父は癌で亡くなったとはいっても、癌が発見されて、ひと月たらずの入院でしたから、本人も世話をする家族も、それほど長く苦しむことはありませんでした。

義母などは、入院して3日目の早朝になくなったので、アッという間でした。

みな、日ごろの行いがよかったから、速やかに死ぬことができたのでしょうか?(笑)

私も、あやかりたいのですが、こればかりは神のみぞ知るです。

どうして、今朝はこんなことを書いているかというと、最近むくみが酷くて、夜ソックスを脱ぐと、ゴム跡がしばらく消えないからです。

検診のたびに、肝臓がかなり悪くなっていますと主治医の先生に真顔でいわれるのですが、今のところ私には実感がありません。

私はお酒は飲みませんから、肝臓が悪くなったのは薬害だろうと思います。

私も、兄と同じように、ある日突然ということになるかもしれません。

夫には悪いけれども、私は、夫より先に逝かせてもらいたいです。

私は、難聴で電話もできないし、体も丈夫でないから。

子育ても終わった私には、「お迎えが来る」ことは、冗談ではなく、福音です。

しかし、身辺の整理はしておかなければとは思います。

  お迎へを待つわたくしに速やかに訪れるべし安らかな死は  biko

母はショックを受けるかもしれませんが、でも、娘の私が待っていると思えば、死ぬのも悪いことではないと思うようになるかもしれません。

それに、強い人ですから、私がいなくなっても、大丈夫でしょう。