韓国の山村に住むおじいさんとおばあさんと家畜の老牛。カメラは、その日常と忍び寄る老いを見続ける。
おじいさんは毎日休まず牛車に乗って田んぼへ向かう。牛には鈴が付いていて、歩を進めるたびにチリーン、チリーンと田園風景に響く。これがなんとも哲学的な音。托鉢の僧侶が鳴らしているのに似ている。
ある日、おじいさんは疲労で倒れてしまう。おばあさんは、世話をできないから牛を売れという。最初は抵抗したものの渋々、市場へ向かう。この件の中で、牛が涙を流すシーンがある。もちろん感情を持って泣いているわけではないのだろうけど、その表情が切ない。
牛に名前はない。でも、おじいさんは、老牛のエサまで食べようとする若い牛を棒で払う様子を見ると、そこに深い愛情があることに気づかされる。もちろん、おばあさんも牛を売りたくて売れと言っているのではない。おじいさんの身体をいたわってのことだ。この三者の関係が画面からジワジワ伝わってくる。
インサートされる風景や物もよく考えられていて、ドキュメンタリーのお手本と言うべき作品。
おじいさんは毎日休まず牛車に乗って田んぼへ向かう。牛には鈴が付いていて、歩を進めるたびにチリーン、チリーンと田園風景に響く。これがなんとも哲学的な音。托鉢の僧侶が鳴らしているのに似ている。
ある日、おじいさんは疲労で倒れてしまう。おばあさんは、世話をできないから牛を売れという。最初は抵抗したものの渋々、市場へ向かう。この件の中で、牛が涙を流すシーンがある。もちろん感情を持って泣いているわけではないのだろうけど、その表情が切ない。
牛に名前はない。でも、おじいさんは、老牛のエサまで食べようとする若い牛を棒で払う様子を見ると、そこに深い愛情があることに気づかされる。もちろん、おばあさんも牛を売りたくて売れと言っているのではない。おじいさんの身体をいたわってのことだ。この三者の関係が画面からジワジワ伝わってくる。
インサートされる風景や物もよく考えられていて、ドキュメンタリーのお手本と言うべき作品。