ブログ日和。

映画と、『ER緊急救命室』『ザ・ホワイトハウス』などの海外ドラマと、世間に対してのツッコミを徒然に書いていきます。

『おとうと』 激突!小百合VS鶴瓶

2010-02-23 12:38:57 | 映画
吉永小百合という女優は、「善良な市民」として登場することが多い。この映画でも亡き夫と開いた薬局を慎ましく営んでいる。彼女が「正しい日本語」で娘に優しく語りかけ、恐縮しながら隣近所に頭を下げる。観客は誰もが彼女の味方をしたくなる。すると、スクリーン上で彼女は正義の化身となっていく。でも、そんな「いい人・小百合」に抗したいヘソ曲がりな自分もまたいるのだ。

鶴瓶演じる弟は、そんな「正義」をぶっ壊す。大阪で大衆演劇をやりながら、東京の姉の元にふらっと現れるさまは、寅さんとよく似ている。小百合の娘、蒼井優の結婚式を派手に酔っぱらってめちゃくちゃにする。こうなると、小百合も「正しい日本語」だけでは太刀打ちできない。怒りを通り越して呆れ、そして助けたくなってしまう、そんなダメさ加減が鶴瓶の「おねえちゃん!」の人懐っこい声によく出てる。

その後、鶴瓶は借金がバレて、「正しく健全に生きてる人間に、俺みたいな惨めな人生はわからん」と言って出て行くのだけど、末期ガンでホスピス施設に入所しているところを見つかる。やつれながらも酒を飲もうとしたり、最後の最後まで小百合を振り回す。鶴瓶は小百合と見事に闘ったと思う。もちろん実際に闘ったわけじゃないけど、凌駕する演技、キャラクターだった。満足。

山田洋次の久々の現代劇ではあるけど、コテコテの昭和風物語。脇を固める役者人もベテラン揃い。特に義母役の加藤治子は絶品。観客の笑いを誘うイヤミの言い回しとか、そうそうこれが日本の姑だよなと、思わず納得させられてしまった。きちんと作られてる作品だけに、寅さんのビデオが出てきたり、鶴瓶が「麦茶はおいしいなあ」とか言ったり(CM出てるでしょ)、中居正広がわざと目立つような形でホテルのボーイ役で出てたりする、そういう余計な演出が目に余ったのが残念。

『Dr.パルナサスの鏡』

2010-02-22 14:45:29 | 映画
ヒース・レジャーの遺作。主役が撮影の途中で亡くなってしまうなんて、奇想天外物語を撮ってきたテリー・ギリアムも想定外だったろう。それでも、未撮影だった鏡の中のシーンでは「別人」になってしまうというアイディアで克服。そんなことも含めてギリアム節の集大成のように思える。

旅芸人一座が見せる不思議な鏡の中に飛び込むとそこには、その人の欲望の世界がある。この描き方が、色鮮やかだが毒がある。そしてよくよくみると安っぽい(笑)。そんなむせ返りそうな景色にも人々は魅了されていく。自分もその一人。頭がクラクラしながらも、吸い込まれるような力がある。外連味たっぷりの映像から、現代人が忘れてしまった「物語」や想像力の大切さと言ったものを訴える。

『アバター』なんかより、これこそ3Dで上映すべきでしょ。見世物小屋の猥雑で怪しい感じのほうが相応しいと思うんだけど、違う? でも、実際にそんなの見たら気持ち悪くなって吐くかもね。(^_^;

『(500)日のサマー』

2010-02-20 23:39:21 | 映画
ポストカードのデザイン会社に勤める男女の出会いから別れまでの500日間の物語。こう書けば確かにラブストーリーと思える。だけど、冒頭のナレーションは「これはラブストーリーではない」。これの前に見た『キャピタリズム』の原題のサブタイトルが「ラブストーリー」。もう何が何だか分からない。

トムは秘書として入ってきたサマーに一目惚れ。数日後、サマーと音楽の話で意気投合。そして一ヶ月後、コピールームでサマーの方からキスされる。願ったり叶ったりのトムだったが、それは「悪夢」の始まりだった…。映画は、500日間を行ったり来たりして、付き合い始めて有頂天になって街行く人と一緒に踊り出したり、「理想」と「現実」の二分割でトムの内面が表現されたり、趣向に凝ってる。さすがミュージックビデオ出身の監督さんです。

サマーって良くも悪くもいわゆる小悪魔系。めちゃくちゃカワイイわけでもなく、雰囲気美人といったところ。だからこそ、男は惹かれてしまうのかも知れない。「真剣に付き合う気はないの」とか言いながら、一夜を共にすることを厭わなかったり(むしろ積極的)と、端から見れば「何様なの、この女?」だけど、トムにすれば「惚れてまうやろー!」と心の中のチャンカワイが騒ぎ出してしまうのだ。

トムを草食男子と見る向きがあるけど、そうかな。トムはトムでサマーに対していろいろアプローチを掛けてるわけで、恋愛に消極的ではない。むしろ、サマーの方が恋愛経験に長けていて、乏しいトムが振り回されるっていう構図なんだろな。同じ男として同情はするけど、気分屋の女子と付き合うためには、それなりの「お勉強」が必要だよね。 …って偉そうなことを言いながら、この映画、いろいろ思い当たる節があったりなかったりラジバ…。

『キャピタリズム~マネーは踊る~』

2010-02-15 12:57:29 | 映画
マイケル・ムーアの最新作だけど、今作は、怒りを笑いにして政治家や経営者にぶつけると言うより、嘆きの色合いが強い。延々1時間半、近年のアメリカ資本主義がいかに中産階級を壊してきたかの物語。「父の時代は良かった。でもいまや町は荒涼とした風景だ」的な。

サブプライムローンの問題で家を失う人々や、「金融工学」に流れる科学者たち、閉鎖された工場で働き続ける従業員などなど。いくつかの人々の語りの中で、特にやりきれない気持ちになったのが、民間の子どもの矯正施設。この経営者と判事とが談合していて、ちょっとのこと(ケンカをした、万引きした程度のこと)で、この施設に子どもをぶち込む。入所した人数分だけ運営費が出るから、彼らは万々歳。まあ、そのことが明るみに出てたから、彼らがぶち込まれることになるんだろうけどさ。これは子どもの人生を弄んだとしかいえず、許せない。

そんな資本主義への懐疑は、2008年秋に発生した世界不況に対する公的資金の投入を議決したアメリカ連邦議会と政府に対して頂点に達する。ある民主党の女性議員は、中間選挙前の駆け込み的な法案提出に憤っていた。結局、選挙に勝ちたいがための寝返りもあり、成立してしまう。そんな中、彼女は、議会の演説で家を失った人たちに「あなたの家はあなたの物なのだから、住み続けて構わない」と叫んだ。彼女の発言を通して、ムーアの言いたいことは、大企業だけを救済して、なんで庶民が苦しんでも救わないのかという、当たり前のこと。

これを受けてムーアは、企業の本社に行き「金返せ!」と言いながら、「立ち入り禁止」のテープで建物を一周する。あれ、これだけ?正直、ガッカリした。彼にはもっと過激なことを求めていたのに。一通りのことをしてつぶやく。「もう自分一人では戦えない、みんなと一緒に立ち上がらないと」と。そうなんだけどさあ。原題のサブタイトル「Love story」に引きずられすぎじゃない?

もしかして、こんなことを主張する映画でさえ、資本主義のルールに則らないといけないことに気が付いた?単なるガス抜きになってるんじゃないかって、考えちゃった?オバマの言う「正しい戦争」にしっくりこないけど、一回、持ち上げちゃったから批判しにくい?

じゃあ、僕も言おう。「ムーア、金返せ!」

『誰がため』

2010-02-09 12:00:12 | 映画
歴史を取り扱った映画は時に、自分がこの時代に生きていたらどうするだろう、ということが頭に浮かぶ。ナチス・ドイツ時代を描いた作品は、特に考えさせられる。この映画もまたそうだ。『白バラの祈りゾフィー・ショル、最期の日々』と同じく、レジスタンス運動に関わった若者の物語。自分と年齢が近いこともそんな思いを巡らす要因かも知れない。フラメンは23歳だった。

ナチス・ドイツにに進行されたデンマークでは、地下抵抗組織がナチスに協力する者の暗殺を企てていた。フラメンと相棒のシトロンはその実行メンバーである。家族を持つシトロンは人を殺めることに抵抗を覚え、独り身のフラメンは国のためと、感情を殺して冷徹に暗殺を実行する。

身近に、家族を任せられる男を見つけたことから、フラメンは忠義に走り出す。逆にシトロンは妖艶なケティと親しくなり、自分のやっていることに疑問を持ち始める。この二人の錯綜が、観客に大きな問いを投げかける。何のために、誰がために。自分だったらどうするか、見ている間に考えたが、分からない。もちろん、そんな問いへの「答え」が求められる時代に戻してはいけないのだけど。

デンマークのレジスタンスについて何も知らなかったけど、これほど激しいものがあったとは。戦争は、生き延びる者にも、殉ずる者にも、どちらにも哀しみしか残さない。

『ウルルの森の物語』

2010-02-03 01:05:33 | 映画
『マリと子犬の物語』のヒットに味をしめて同じスタッフ、キャストが集まったそうな。

深田恭子がいつもよりショートカットで、福田衣里子に似て蝶。そんなボーイッシュな彼女が「兄貴」と呼ぶのは、ご存じ2時間ドラマの帝王、船越英一郎でござい。北海道で野生動物の獣医をしていて、いちいち芝居くさい。二昔前のトレンディドラマのようだ。子どもを前に「治すんじゃない、治る手助けをしているだけだ」なんて臆せず言えるのは、織田裕二ぐらいなものではないだろうか。

絶滅したはずのオオカミを子どもたちが発見して元に戻そうとするのが話の筋なんだけど、うーん、つまんない。(^_^; なので、英一郎の眩しさに目が行ってしまうのは自然なこと。対して、途中で登場するマタギ役の大滝秀治の役作りがマジなので、そこだけ浮いてしまうという見事な(口あんぐりな)演出。

平日の午前中とはいえ、お客が自分を含めて3人ということに納得がいきました。

『牛の鈴音』

2010-02-02 12:06:32 | 映画
韓国の山村に住むおじいさんとおばあさんと家畜の老牛。カメラは、その日常と忍び寄る老いを見続ける。

おじいさんは毎日休まず牛車に乗って田んぼへ向かう。牛には鈴が付いていて、歩を進めるたびにチリーン、チリーンと田園風景に響く。これがなんとも哲学的な音。托鉢の僧侶が鳴らしているのに似ている。

ある日、おじいさんは疲労で倒れてしまう。おばあさんは、世話をできないから牛を売れという。最初は抵抗したものの渋々、市場へ向かう。この件の中で、牛が涙を流すシーンがある。もちろん感情を持って泣いているわけではないのだろうけど、その表情が切ない。

牛に名前はない。でも、おじいさんは、老牛のエサまで食べようとする若い牛を棒で払う様子を見ると、そこに深い愛情があることに気づかされる。もちろん、おばあさんも牛を売りたくて売れと言っているのではない。おじいさんの身体をいたわってのことだ。この三者の関係が画面からジワジワ伝わってくる。

インサートされる風景や物もよく考えられていて、ドキュメンタリーのお手本と言うべき作品。

『カールじいさんと空飛ぶ家』

2010-02-01 22:52:13 | 映画
こちらは通常の2D版で。本編前のショートムービー『晴れときどきくもり』は、雲とコウノトリの無声物語。ちょっぴり感動的で「これから泣かすぞー」な意気込みが伝わってくる。

で、本編でやっぱり泣かされる。カールじいさんとエリーの出会いから死別までの一連の流れはほんの数分なのに、グッとくる。ほとんどセリフはないのだけど、「古き良きアメリカ」を体現していて、泣くも一緒笑うも一緒。空を見上げて雲からいろんな物を想像するシーンが一番好きだなあ。ここだけ見て、十分満足してしまった。って同じことを宮崎駿がコメントしてたっけ。子どもたちには分かるまい。

共有してきた時間が長い分だけ、カールじいさんの喪失も大きい。悲嘆に暮れるじいさんを奮い立たせたのが、近隣の再開発。エリーのスクラップブックを見返して、二人の「夢」を叶えることに立ち上がる。いや、飛び立つ。その後の珍道中は見てください。そこはピクサー、そつなく笑わせてくれます。階段の昇降機を使っていたじいさんは、いつ間にか007ばりのアクションまでやってしまうのだから。冒険はリハビリになるということを証明しようとしております。

途中、往年の冒険家・マンツが悪役として登場する。カールたちに夢を与えたはずなのに、ちょっと解せない。名声を得ることに執着した者への仕打ち、ということなのだろうか。それにしてもあの最後はあんまりだ。

ラストシーンで再びウルウル来るのだけど、彼のことを考えると、ねえ。――あ、考えちゃいけないの。そうなの。カールじいさんと子どもが幸せに暮らせれば、それでいいのね。おとぎ話ってそんなもんだ。

『アバター』

2010-02-01 11:49:22 | 映画
ジェームズ・キャメロン、12年ぶりの監督作。前作『タイタニック』が持っていた史上最高の興行成績を塗り替えたようで。そんな有名な役者が出ているわけでもないのに、これだけすごいことになっているのは、もちろん、3D上映のおかげ。新聞記事によると、日本国内では興収の8割は3Dだそう。どおりでチケット売り場で「2D版です」って言われると帰って行くお客さんが多いわけだ。

さて、自分も今年1本目の映画として見てきました。3D初体験。入り口でオモシロメガネみたいなものをもらい、中へ。予告編は途中から3D仕様になってここだけでも少し楽しめる。でも、本編直前のマナー広告は2Dのまま。もう少し考えてよ。20世紀FOXのサーチライトで再び3Dに。

で、アバター本編。おお、飛び出てる。最初のシーンはスペースシャトル内部の映像のみたいな感じで、上下が分からなくて軽く酔う。でも、すぐ慣れるのでご心配なく。メガネを外して観察してみると、手前にいる人や物はピントが合っていて、奥に行くほど二重にぶれている。つまり、奥が沈んで見えることによって、相対的に飛び出して見えるのか、ということを一人で納得。3Dを使って一通りの迫力は見せてくれるものの、どうしても3Dを使わないといけないというようなところは見られず。これなら、トーキーとかカラー化と同じような「革命」ではないと思うんだけど。

ストーリーは「マトリックス風味のラストサムライ」と言ったところで、目新しさは無し。アメリカの保守層が怒ってるとかいうけど、なんか言うほどのものなのかしら。その程度のものなんだから、3時間もやるなって。だったら、派手にドンパチやって90分ぐらいにまとめらたら?

3Dであろうとなかろうと、映画の基礎は脚本なのだと再認識しながら、メガネを返したのでした。