ブログ日和。

映画と、『ER緊急救命室』『ザ・ホワイトハウス』などの海外ドラマと、世間に対してのツッコミを徒然に書いていきます。

『ぐるりのこと』

2008-08-29 00:01:11 | 映画
1年ぶりのシネマライズにて。

物語は93年の夏から始まる。カレンダーの赤の×印は、「する日」らしい。木村多江の律儀な妻が書いたもので、疲れているリリーフランキー演ずるカナオはどうにかかわそうとする。その会話が妙に生々しくてリアル。アパートのお隣を覗いてるような。まあなんでこの二人が一緒になったのかなぁって、?マークが頭に浮かぶ。

いい加減男なのにカナオは、なぜか法廷画家になってしまう。現実に起きた事件をモチーフにした被告人たちが登場してきて、一瞬ギョッとするのだけれど、それをカナオは淡々と見つめ描いていく。途中途中に登場する翔子の兄も、バブルの成金みたいな奴で時代を象徴した存在みたいで。気持ち悪い時代だなと。書店のイベントで白人の作家に嬉々として、「本当の優しさに出会えました」いう女たち。気持ち悪い。

一方、翔子は流産を経験してから徐々に心身のバランスを崩していく。仕事を辞めた彼女とカナオが台風の夜、対峙するシーンはなかなか。感情をぶつけられたリリーフランキーがそれを柔らかく包み込む感じが、ああ夫婦っていいなって。やっぱりこの二人だからやってこれたんだって。木村多江って、不幸役の似合う女優っていうイメージがあるけど、絵を再び描き始めたあとの表情がとてもさわやかで印象的だった。

最近読んだ内田樹の本に「親子や夫婦の関係の本当の価値は、『楽しい時代』にどれほどハッピーだったかではなく、『あまりぱっとしない時代』にどう支え合ったかに基づいて考量される」とありました。たぶん、この夫婦はその本当の価値のある関係なのでしょう。

『告発のとき』

2008-08-24 23:41:23 | 映画
『クラッシュ』のポール・ハギスが監督した、実話に基づく物語。イラク戦争から帰還したばかりの息子がなぜ失踪したのか、父親と女刑事が追うサスペンス。

父親役はトミー・リー・ジョーンズ。今回は宇宙人役じゃないよ。それどころか、厚みのある芝居でストーリーに説得力を持たせている。息子が残した携帯電話から断片的に分かるイラクでのおぞましい体験。軍人一家に生まれ、アメリカのために殉ずることさえ厭わない。そんな性格故に、イラクで見聞きしてきたことは彼を変えてしまい、戦友たちもまた歪んでしまった。この事件において、被害者・加害者の立場の紙一重であることは、虚ろな表情の犯人のセリフからも推察される。

この事件を追うシングルマザーの刑事役がシャーリーズ・セロン。同僚のセクハラ発言に警察組織の腐敗っぷりを垣間見つつ、彼女は軍の外の人間として、事件の背後にある軍組織の隠蔽体質や冷酷さを見る。

どこまでも重く、暗く、なんだか、どいつもこいつもと、アメリカの暗部を見せ付けられて、鬱屈な気持ちになる。でも、彼女の息子とトミー・リー・ジョーンズとの会話にホッとさせらる。こういう希望の残し方は、ポール・ハギス脚本のいつも感心するところ。

『ザ・マジックアワー』

2008-08-17 23:10:37 | 映画
ホント、最近書くのが遅くて。二ヶ月近く前に観たのに。

三谷幸喜第四回監督作品。ある港町で起こるマフィアたちのドタバタ劇。明らかにいろんな映画からのパロディが。守加護(すかご)なんてふざけた名前の町の名は、エンディングのキャストロールが『シカゴ』と全く同じイメージ(曲までも!)で作られてる。ボスの女に手下が手を出すというストーリーの下敷きは、三谷さんが敬愛するビリーワイルダーの『お熱いのがお好き』、亡き市川昆が最後に「監督」していたのは『黒い十人の女』ならぬ『黒い101人の女』、醤油が倒れてシミが広がっていくのは『アンタッチャブル』…。映画好きがニヤリとする姿を想像しながら、三谷さん自身もニヤニヤしながら書いたのでしょう。

豪華なキャストの中でも光っていたのが、やはり主役の佐藤浩市。売れない役者が騙されて殺し屋役を演じ続けるんだけど、異様にギラついた芝居とかとにかく押しつけのように笑わせる。そこら辺の三谷演出は上手い。場内の笑いはコンスタントに起こり、コメディー映画として成功してました。ワンシーン・ワンカット的な撮り方を封印したのは少し残念だったけど。

ここで一つ注文。そう、やっぱり長い。脇役に主役級の人たち使ったり、それはいいんだけど、それが故に横道に逸れてなかなか前に進まない。彼はコラムで、劇場を出た途端に何もかも忘れて「ああ面白かった」という気持ちだけが残るのが、最高のコメディーだと書いていた。そういうなら、まずは2時間にまとめるようにしましょう。笑い疲れました。

『西の魔女が死んだ』

2008-08-11 00:13:26 | 映画
十数年前に出版され、長くベストセラーとして読まれてきた児童文学作品の映画化。強い喚起を呼ぶタイトルに対して、ロハスな作風です。

中学生のまいは不登校になったことをきっかけに、山奥に住むおばあちゃんの家で暮らすことになる。おばあちゃんは、イギリス人で「魔女」である。まいがただ一人心を許せる人物。そこでの「魔女修行」を通して、自分で決めること、を身に付けていく。

ファンのたくさんいる小説を映像化するのは大変な作業だ。イメージを壊さず、でも映像ならではの視点や味付けを加えるのだから。その点、この映画は、自然の風景を視覚だけではなく、風や雨の音、時には料理のにおいや味さえも、ゆっくりとしたスピードで伝えようとしている。まいの心がほぐされていくのと同時に、観客もまた気持ちが穏やかになっていく。

そして、おばあちゃん役のサチ・パーカーがいい。誰に対しても丁寧な日本語を使っていて、彼女の真摯な生き方そのものを表しているようにも見える。この映画を観ていて思い出したのが、『千と千尋の神隠し』。女の子の成長モノと言う点では同じだが、ストーリーの軍配は、西魔女に上がる。礼儀正しいことを無条件で良しとする千と千尋。しかし、西魔女のまいは、おばあちゃんに対して、疑いを目を向ける。いったん正しいと思ったことを、本当にそうなのか考えて「自分で決める」。結果的にまいは後悔することになったが、それも含めて、彼女の成長の糧になっただろう。そこに共感した。

小説も併せて読んだのだが、小説には出てこない郵便屋さんの存在がやや気になった。高橋克実が演じていてとてもいいおじさんなのだけど、昨今の郵政民営化問題の中で、何か政治的意図があって登場したのでは、と。要らぬ勘ぐりが働かぬように、余計なものは入れない方がいい。