ブログ日和。

映画と、『ER緊急救命室』『ザ・ホワイトハウス』などの海外ドラマと、世間に対してのツッコミを徒然に書いていきます。

さよならの向う側

2011-01-30 23:10:52 | 映画
片桐はいりは学生時代、銀座文化劇場でモギリのアルバイトをしていた。当時のことを『もぎりよ今夜もありがとう』という本に書いている。「映画館が呼吸するのを見た」というのだ。寅さんの正月上映でお客たちが爆笑するたびに「扉が、ばふん、ばふん、と開いては閉じる」らしい。それは映画をつくった人の喜びに勝るとも劣らない、至福の時間だという。立ち見でいっぱいだったその劇場も、今は指定席制のシネスイッチにかわっている。

この数年間、いくつもの映画館の閉館を見送ってきた。2月1日、また一つお別れをしなければならない。それも自分が7年間勤めてきた劇場だと思いは格別だ。渋東シネタワー1と2。渋谷東宝の名を継ぐ劇場として1991年に開館。パンデオン亡き後は渋谷最大の劇場に。3と4は今後も営業を続けるようだけど、7月には「TOHOシネマズ渋谷」リニューアルオープンするとか。一方で、大半の後輩のアルバイトたちは明日で「楽日」を迎え、バラバラになっていく。言いようのない寂しさが募る。

変化や新陳代謝は必要だし必然だ。鴨長明も福岡伸一も言っている。でも、ちょっと待ってという気持ちもある。せめて名前を残すとか、名作上映をやるとか、なにか手立てはあるはずなのにそれもないらしい。

自分にも片桐さんと同じような経験がある。『スターウォーズ・エピソードIII』の先行上映の時だ。スタッフロールが終わり、場内が「遠い昔、遥か彼方の銀河系」から現代の東京・渋谷に戻ってきたちょうどそのとき、客席からワッと拍手が起きた。扉を開けようとしていた体にジンと熱いものが流れた。それは、この仕事をやってて良かったと思えた瞬間だった。

そう、ハコ=劇場には人々の記憶が詰まっている。初めてのデートで見に行ったとか、家族そろって号泣したとか、受験に落ちたあと見に行って立ち直ったとか。それをダンボール箱を畳むかのように閉じてしまうのは、なんだかもったいない。シネコンみたいなキレイな劇場はそれはそれでいいかもしれない。でも、映画の記憶全てに、甘ったるいキャラメルポップコーンの匂いが漂っているのは嫌なのだ。

まあ、なんだかんだと言ってもしょうがないのかもしれない。
それなら、さよならのかわりに言わせてほしい。

たくさんの出会いをありがとう、渋東。

『告白』 中二病の闇

2010-06-20 19:42:12 | 映画
学級崩壊している教室で、担任の森口悠子はゆっくり語りだす。「娘はこのクラスの生徒に殺されました」―。衝撃的な告白に、さまざまな反応を見せる生徒たち。そして、森口は教師を辞める…。

「有名になりたい」「人気者になりたい」「自分はもっと評価されてもいい」「なんであいつが」「みんないなくなればいいのに」「自分は必要とされてない」…。そんなことでいちいち悩んだり落ち込んだり。「中二病」といえばそんな感情から派生する珍妙な行動や思考をさす言葉(と理解してます)。これを『色即ぜねれいしょん』では、70年代の鬱屈する少年の成長物語として描いていて、見る人にノスタルジー的な安心感をくれる。じゃあ、今は?

今も、中二病を患う少年少女の本質は変わってない。でもケータイやネットの出現で、中二病の欲望を叶えるものが簡単に手に入るようになってしまった。それは、想像の中で悶々と処理されてきたものが、ちょっとしたことで実現してしまうということ。この『告白』では、中学生だけではない、教師も親も人間が皆持っている中二病のグロテスクな側面がありありと見せつけられる。クラス、学校という「世間」の描かれ方も、生々しい。

と、重い映画のように書きつつも、映像は洋楽がかかりミュージックビデオのように軽く流れていく。松たか子の感情を排した淡々とした語りも相まって、奇妙な空間が出来上がってる。もしかしたら原作と違うテンションかもしれないけど、中島監督はうまくやったと思う。

「先生の娘を殺したのは、誰?」というのが宣伝のコピーだけど、見終わった今、「殺したのは、何?」という問いがグルグル頭の中を回ってる。

『月に囚われた男』

2010-05-02 23:42:37 | 映画
大阪に来て初めて映画を見ました。2ヶ月ぶり。本当は『オーケストラ!』が見たかったんだけど、満席で。あ、映画サービスデーだったのね。というわけで、こちらを見ました。

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月はエネルギーの宝庫らしい。石油の枯渇した未来の地球ではそれを頼りに暮らしている。サムはその採掘のために一人で月にいる。それもこれも妻と娘のためだ。接点はビデオレターだけ。彼の孤独感は推して知るべし。

物語はほぼ一人芝居で進む。厳密に言えば…違う?そこらへん、この映画のムズカシサ。『アイランド』や『スカイ・クロラ』的なって書いちゃうと、ネタバレなのかな。はっきりいっちゃいましょう、そうです、クローンの話です。傍から倫理的にクローンの是非を問うようなことじゃなくて、クローン人間がそのことに気がついてしまったらどうなるのか。帰る家が無いと分かれば、孤独感は絶望へと変化する。

一見、ミステリーのタネ明かしを楽しむタイプの映画のように思えるけど、それだけじゃない。クローンを生きる哀しみと、それを共有することで生まれる奇妙な感情、ひいては文明への警鐘が含まれる。あまりにも簡素で無機質でスタイリッシュな映像に、そのメッセージが浮かび上がる。

なぜか基地のある地区は「サラン(愛)」。作業着にもハングルで書いてあった。韓国がこの分野で覇権を握ったのかな。他にもこの映画、いくつか謎があります。

『ボーイズ・オン・ザ・ラン』

2010-03-03 12:41:08 | 映画
主人公・田西はガチャガチャ玩具メーカーの営業。仕事もプライベートも何をやってもダメダメ。そんな彼の前に後輩ちはるが現れる。不器用ながら付き合い始めそう、と思ったところで、ある事件が起きて疎遠になってしまう。田西役の峯田和伸の、鬱屈とした感情を抱え込む男の姿に、情けなさを笑いながらも、同時に自分を重ね合わせてしまう。好きな女の子のために立ち上がる田西に、「がんばれ!」と応援しない男はいないだろう。リア充以外は。

そう、リア充以外は、なのである。その後、田西も我々も現実を見ることになる。田西とちはるの思いは清々しいまでにすれ違い、リア充との「格差」を思い知る。終盤、ヒロインと思われていたちはるの実態が分かってきて、今までやってきたことが見事にガラガラ崩れていく。それでも一遍走り出したら止まれないのが男なんだ――!

ということで、これもラブストーリーではないし、サクセスストーリーでもない。構図は『(500)日のサマー』に似ている。が、もちろん、比較するまでもなく、なっさけなくて、下品で、低俗な話。でも「それのどこが悪いんだ!男はそういう生き物だ!」と胸を張りたくもなる。そんな力強ささえも感じさせる映画だった。ソープ嬢役のYOUもそうだけど、社長のリリー・フランキーや小林薫の配役は、まさにハマリ役。小林薫に「いい、ションベンでした」なんて言わせるのずるいよー。笑うしかないじゃん。

『おとうと』 激突!小百合VS鶴瓶

2010-02-23 12:38:57 | 映画
吉永小百合という女優は、「善良な市民」として登場することが多い。この映画でも亡き夫と開いた薬局を慎ましく営んでいる。彼女が「正しい日本語」で娘に優しく語りかけ、恐縮しながら隣近所に頭を下げる。観客は誰もが彼女の味方をしたくなる。すると、スクリーン上で彼女は正義の化身となっていく。でも、そんな「いい人・小百合」に抗したいヘソ曲がりな自分もまたいるのだ。

鶴瓶演じる弟は、そんな「正義」をぶっ壊す。大阪で大衆演劇をやりながら、東京の姉の元にふらっと現れるさまは、寅さんとよく似ている。小百合の娘、蒼井優の結婚式を派手に酔っぱらってめちゃくちゃにする。こうなると、小百合も「正しい日本語」だけでは太刀打ちできない。怒りを通り越して呆れ、そして助けたくなってしまう、そんなダメさ加減が鶴瓶の「おねえちゃん!」の人懐っこい声によく出てる。

その後、鶴瓶は借金がバレて、「正しく健全に生きてる人間に、俺みたいな惨めな人生はわからん」と言って出て行くのだけど、末期ガンでホスピス施設に入所しているところを見つかる。やつれながらも酒を飲もうとしたり、最後の最後まで小百合を振り回す。鶴瓶は小百合と見事に闘ったと思う。もちろん実際に闘ったわけじゃないけど、凌駕する演技、キャラクターだった。満足。

山田洋次の久々の現代劇ではあるけど、コテコテの昭和風物語。脇を固める役者人もベテラン揃い。特に義母役の加藤治子は絶品。観客の笑いを誘うイヤミの言い回しとか、そうそうこれが日本の姑だよなと、思わず納得させられてしまった。きちんと作られてる作品だけに、寅さんのビデオが出てきたり、鶴瓶が「麦茶はおいしいなあ」とか言ったり(CM出てるでしょ)、中居正広がわざと目立つような形でホテルのボーイ役で出てたりする、そういう余計な演出が目に余ったのが残念。

『Dr.パルナサスの鏡』

2010-02-22 14:45:29 | 映画
ヒース・レジャーの遺作。主役が撮影の途中で亡くなってしまうなんて、奇想天外物語を撮ってきたテリー・ギリアムも想定外だったろう。それでも、未撮影だった鏡の中のシーンでは「別人」になってしまうというアイディアで克服。そんなことも含めてギリアム節の集大成のように思える。

旅芸人一座が見せる不思議な鏡の中に飛び込むとそこには、その人の欲望の世界がある。この描き方が、色鮮やかだが毒がある。そしてよくよくみると安っぽい(笑)。そんなむせ返りそうな景色にも人々は魅了されていく。自分もその一人。頭がクラクラしながらも、吸い込まれるような力がある。外連味たっぷりの映像から、現代人が忘れてしまった「物語」や想像力の大切さと言ったものを訴える。

『アバター』なんかより、これこそ3Dで上映すべきでしょ。見世物小屋の猥雑で怪しい感じのほうが相応しいと思うんだけど、違う? でも、実際にそんなの見たら気持ち悪くなって吐くかもね。(^_^;

『(500)日のサマー』

2010-02-20 23:39:21 | 映画
ポストカードのデザイン会社に勤める男女の出会いから別れまでの500日間の物語。こう書けば確かにラブストーリーと思える。だけど、冒頭のナレーションは「これはラブストーリーではない」。これの前に見た『キャピタリズム』の原題のサブタイトルが「ラブストーリー」。もう何が何だか分からない。

トムは秘書として入ってきたサマーに一目惚れ。数日後、サマーと音楽の話で意気投合。そして一ヶ月後、コピールームでサマーの方からキスされる。願ったり叶ったりのトムだったが、それは「悪夢」の始まりだった…。映画は、500日間を行ったり来たりして、付き合い始めて有頂天になって街行く人と一緒に踊り出したり、「理想」と「現実」の二分割でトムの内面が表現されたり、趣向に凝ってる。さすがミュージックビデオ出身の監督さんです。

サマーって良くも悪くもいわゆる小悪魔系。めちゃくちゃカワイイわけでもなく、雰囲気美人といったところ。だからこそ、男は惹かれてしまうのかも知れない。「真剣に付き合う気はないの」とか言いながら、一夜を共にすることを厭わなかったり(むしろ積極的)と、端から見れば「何様なの、この女?」だけど、トムにすれば「惚れてまうやろー!」と心の中のチャンカワイが騒ぎ出してしまうのだ。

トムを草食男子と見る向きがあるけど、そうかな。トムはトムでサマーに対していろいろアプローチを掛けてるわけで、恋愛に消極的ではない。むしろ、サマーの方が恋愛経験に長けていて、乏しいトムが振り回されるっていう構図なんだろな。同じ男として同情はするけど、気分屋の女子と付き合うためには、それなりの「お勉強」が必要だよね。 …って偉そうなことを言いながら、この映画、いろいろ思い当たる節があったりなかったりラジバ…。

『キャピタリズム~マネーは踊る~』

2010-02-15 12:57:29 | 映画
マイケル・ムーアの最新作だけど、今作は、怒りを笑いにして政治家や経営者にぶつけると言うより、嘆きの色合いが強い。延々1時間半、近年のアメリカ資本主義がいかに中産階級を壊してきたかの物語。「父の時代は良かった。でもいまや町は荒涼とした風景だ」的な。

サブプライムローンの問題で家を失う人々や、「金融工学」に流れる科学者たち、閉鎖された工場で働き続ける従業員などなど。いくつかの人々の語りの中で、特にやりきれない気持ちになったのが、民間の子どもの矯正施設。この経営者と判事とが談合していて、ちょっとのこと(ケンカをした、万引きした程度のこと)で、この施設に子どもをぶち込む。入所した人数分だけ運営費が出るから、彼らは万々歳。まあ、そのことが明るみに出てたから、彼らがぶち込まれることになるんだろうけどさ。これは子どもの人生を弄んだとしかいえず、許せない。

そんな資本主義への懐疑は、2008年秋に発生した世界不況に対する公的資金の投入を議決したアメリカ連邦議会と政府に対して頂点に達する。ある民主党の女性議員は、中間選挙前の駆け込み的な法案提出に憤っていた。結局、選挙に勝ちたいがための寝返りもあり、成立してしまう。そんな中、彼女は、議会の演説で家を失った人たちに「あなたの家はあなたの物なのだから、住み続けて構わない」と叫んだ。彼女の発言を通して、ムーアの言いたいことは、大企業だけを救済して、なんで庶民が苦しんでも救わないのかという、当たり前のこと。

これを受けてムーアは、企業の本社に行き「金返せ!」と言いながら、「立ち入り禁止」のテープで建物を一周する。あれ、これだけ?正直、ガッカリした。彼にはもっと過激なことを求めていたのに。一通りのことをしてつぶやく。「もう自分一人では戦えない、みんなと一緒に立ち上がらないと」と。そうなんだけどさあ。原題のサブタイトル「Love story」に引きずられすぎじゃない?

もしかして、こんなことを主張する映画でさえ、資本主義のルールに則らないといけないことに気が付いた?単なるガス抜きになってるんじゃないかって、考えちゃった?オバマの言う「正しい戦争」にしっくりこないけど、一回、持ち上げちゃったから批判しにくい?

じゃあ、僕も言おう。「ムーア、金返せ!」

『誰がため』

2010-02-09 12:00:12 | 映画
歴史を取り扱った映画は時に、自分がこの時代に生きていたらどうするだろう、ということが頭に浮かぶ。ナチス・ドイツ時代を描いた作品は、特に考えさせられる。この映画もまたそうだ。『白バラの祈りゾフィー・ショル、最期の日々』と同じく、レジスタンス運動に関わった若者の物語。自分と年齢が近いこともそんな思いを巡らす要因かも知れない。フラメンは23歳だった。

ナチス・ドイツにに進行されたデンマークでは、地下抵抗組織がナチスに協力する者の暗殺を企てていた。フラメンと相棒のシトロンはその実行メンバーである。家族を持つシトロンは人を殺めることに抵抗を覚え、独り身のフラメンは国のためと、感情を殺して冷徹に暗殺を実行する。

身近に、家族を任せられる男を見つけたことから、フラメンは忠義に走り出す。逆にシトロンは妖艶なケティと親しくなり、自分のやっていることに疑問を持ち始める。この二人の錯綜が、観客に大きな問いを投げかける。何のために、誰がために。自分だったらどうするか、見ている間に考えたが、分からない。もちろん、そんな問いへの「答え」が求められる時代に戻してはいけないのだけど。

デンマークのレジスタンスについて何も知らなかったけど、これほど激しいものがあったとは。戦争は、生き延びる者にも、殉ずる者にも、どちらにも哀しみしか残さない。

『ウルルの森の物語』

2010-02-03 01:05:33 | 映画
『マリと子犬の物語』のヒットに味をしめて同じスタッフ、キャストが集まったそうな。

深田恭子がいつもよりショートカットで、福田衣里子に似て蝶。そんなボーイッシュな彼女が「兄貴」と呼ぶのは、ご存じ2時間ドラマの帝王、船越英一郎でござい。北海道で野生動物の獣医をしていて、いちいち芝居くさい。二昔前のトレンディドラマのようだ。子どもを前に「治すんじゃない、治る手助けをしているだけだ」なんて臆せず言えるのは、織田裕二ぐらいなものではないだろうか。

絶滅したはずのオオカミを子どもたちが発見して元に戻そうとするのが話の筋なんだけど、うーん、つまんない。(^_^; なので、英一郎の眩しさに目が行ってしまうのは自然なこと。対して、途中で登場するマタギ役の大滝秀治の役作りがマジなので、そこだけ浮いてしまうという見事な(口あんぐりな)演出。

平日の午前中とはいえ、お客が自分を含めて3人ということに納得がいきました。