静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

いま靖国から # 34  < 沈黙貫き通した遺族: 広田元首相 >

2014-07-18 10:42:54 | トーク・ネットTalk Net
 城山三郎氏はやはり元首相の長男に取材していた。<A級戦犯で文官唯一の絞首刑となった広田弘毅元首相の死後、遺族は沈黙を通した。妻は東京裁判が始まって半月後、夫を楽にしてあげたいと漏らした翌朝、自宅で毒をあおり、先に世を去っていた>。 
<両親を自殺と処刑で亡くした遺族は、おのずと口数や笑顔が少なくなり、世間ともあまり付き合わず戦後を生きた。公判の傍聴を欠かさず、父親思いで知られた2人の娘は、独身のまま自宅でひっそり暮らし、世を去った。銀行員だった長男・弘雄氏が、東京・渋谷の小学校で同級だった作家・大岡昇平氏に頼まれ、仕方なく作家・城山三郎氏の取材を受けた時も、弟妹は承服しかねるふうだった>。 
  遺族の無念の想いは計り知れなく、余りにも哀しい。私は知りたい、軍人で処刑された遺族は戦犯指定への憾みだけで、責任者として国民への侘びの感情はあるのか、ないのか? <弘雄氏の長男、弘太郎氏(75)にとって、祖父との思い出は一つだけ。小学4年の冬、父母と妹弟の家族5人で東京・市ケ谷の法廷の面会室を訪れた。両親から「おじいさんとはこれが最後だから、よく覚えておきなさい」と言われたが、ガラス越しに見た祖父から「元気でな」とありきたりの言葉をかけられた記憶しかない。じき判決が下り、刑が執行された>。<戦犯の孫と、いじめやからかいを受けた経験はない。エリート商社マンとなって米国に10年、メーカーに転じ中国に3年駐在。充実した職業人生だったが、刑死者遺族の戦後を覆った静けさ寂しさは、体感の奥底に染みている>。
 <弘太郎氏は「A級戦犯が再び論議になり、世間の記憶も薄れたので自分は発言したけど、亡父に叱られるかな」と困ったように笑う>。
 
 <A級戦犯合祀(ごうし)は78年、松平永芳靖国神社宮司が「東京裁判の否定、日本精神復興のため」決行した。分祀は天皇参拝が絶え、外交上得策でないため主張される。どちらも後世の政治が、自説の材料に死者を利用している>。 
 日本政府は、東京裁判の否定を明確に宣言した宮司の行いを追認し続けている。それが「日本精神復興のため」とセットにされていることが、米国を含む諸外国の怒りと警戒心の源になっているのを承知のうえ、敢えて押し通している。いったいどの国が忘れてくれるか? この厚顔無恥が長引くほど、ますます懲罰心は強まるばかりだろう。  誰も<水に流し>忘れてくれはしない!
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 都議会セクハラやじ・・・・... | トップ | 高齢化社会と認知症対策 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

トーク・ネットTalk Net」カテゴリの最新記事