静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

やまと言葉にみる(緑とあを)

2014-06-16 16:23:45 | トーク・ネットTalk Net
 春は萌え 夏は緑に くれないの 采(しみ)色に見ゆる 秋の山かも 《萬葉集:10巻 2177》

 山を詠むと題されたこの歌からわかるように「みどり」は若葉に覆われた夏の山を現す色であり、葉が幼く芽吹いた樹木で山がおぼろに色づく春は「萌える」と表現された。

 この感覚は藤村が《落梅集》で春まだ浅い詩情を謳いあげた一編にも引き継がれている。
   小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ 緑なす繁縷(はこべ)は萌えず 
   若草もしくによしなし (後略)

 緑色が、疎らではない若葉が山や野原を“覆い尽くす”感覚で用いられていることに注目すると、「みどりなす黒髪」が混じりけない黒髪の美を称揚する表現となった経緯もよくわかる。
 一方、この表現の源として南宋の詩人・陸游が「秋興」で歌った一句、「一夕緑髪 秋霜トナル」
を挙げるむきもあるが、時代の前後を考慮すると、日本人は万葉の昔から「みどり」のもつ色彩感覚に純粋さを込めていたというべきかもしれない。

 では「みどり」と「あを」は上代日本でどう使い分けられてきたか。それは語源と通用していた色相の範囲から考えればわかりやすい。まず語源だが、「みどり」には【芽出る】或いは【水透る】からきたとする説がある。どちらも上に掲げた和歌や詩に潜む感覚と符合する。「あを」は植物の【藍】から転じたとするのが定説になっている。

 ところで、藍染めで染料に浸ける回数に従い「灰・緑・群青・灰青・暗青・紺・藍」と変化する事実から明白だが、「あを」色感覚に現代の緑色が含まれていたのは興味深い。恐らく、漢字の伝来時、やまと言葉「みどり」の概念に緑の文字を充てることで「あを」から緑色が分離したと考えられる。加えて、青色が五行では「木」、方角では「東」を示すなど、道教の伝統も日本に伝わり、「あを」「青」はものごとの始まりや生命力を象徴するようになった。

 ここから交通信号で発進を許す意味で《青信号》が使われるようになったと思われる。実は1931年、日本で初の交通信号設置にあわせた法律で「緑色信号」と記載されていたのが1947年には“実情に合わせ”法令上の呼称も変更されている。これがどうやら「なぜ日本だけ緑信号といわないのか?」という疑問への答えらしい。

 さて、「青」色は青春・青二才という熟語が示すとおり、日本では溌剌さと併せもつ未熟さのイメージも備えるようになった。キリスト教社会で「青」色にそのイメージはなく、希望・誠実・永遠などの概念を表す一方、憂鬱・陰気といった状態も指す。前者はブルーバードに、後者はブルーマンデーの慣用表現で世界的に広まった。逆に英語圏では青二才はグリーンホーン(Green Horn)。ブルーでは形容しないのだから、色相表現とはつくづく面白い。
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