静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

「信じること」「愛すること」の原点   信仰の要るひと・要らない人

2024-08-02 20:07:07 | トーク・ネットTalk Net
【Area dot.】★ なぜ今『歎異抄』なのか?高橋源一郎さんが読み解いた  抜粋
  作家・高橋源一郎さんが昨年11月に刊行した『一億三千万人のための「歎異抄」』(朝日新書)がロングセラーとなっている。もっとも重要なのは第二条の以下の部分だろう。
・ 「念仏は、まことに浄土に生(うま)るるたねにてやはんべらん、また地獄におつべき業(ごう)にてやはんべるらん、総じてもつて存知せざるなり。たとひ法然聖人にすかされまゐらせて、
    念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候(そうろ)ふ」   これを、ぼくはこんなふうに訳してみた。
 ⇒ 「正直にいいます。ネンブツをとなえて、ほんとうにゴクラクジョウドに行けるのか、それともジゴクに落ちてしまうのか、わたしにはわかりません。ほんとうにわからないのです。
   けれどそれでもいいのです。そんなことはどうだっていいのです。結果としてホウネンさまにまんまと騙され、ネンブツをとなえながらジゴクに落ちたってかまわないのです」

① およそあらゆる宗教というものにつきまとうもの。「信仰」とか「来世」とか「救済」とか「神」といったもの。それがなければ、そもそも「宗教」など存在することができないなにか。
  しかし、それらはほんとうに「信じる」ことができるのだろうか。「死後の生」なんて、ほんとうにあるのだろうか。
② あらゆる宗教が「ある」と宣言しているものを疑えば、どんな信仰も崩れ去ってしまうような何か。その宗教を信じている人たちすべての人の心の奥底に、ほんとうは存在している、小さな、
  でもほんとうは大きな疑問。それを押し隠したところで、あらゆる宗教は成立している。 
③ いや、宗教だけではない。家族も、社会も、もしかしたら、人間が作り出したものはすべて、どこか疑わしいところがあるのかもしれない。でも、疑えば、すべてが終わってしまうから、
  ぼくたちは黙りこむのだ。黙りこむことによって、かろうじて、すべては成立しているのだ。  ← そう、此の恐怖から何かを信じたくなるのだ

【A】 「ジゴク」とか「ゴクラクジョウド」とか、そんなものがほんとうにあるのかと。「シンラン」は、弟子である「ユイエン」にいうのである。
  <わたしは信じている。ほんとうに心の底から信じている。信じることができる。師である「ホウネン」さまのおっしゃることだけは。それだけで十分なのだ。なにもいらないのだ。
   誰かを心の底から信じることができる、ということ。その能力が自分にはあるのだ、ということ。それ以上のものは、世界には存在しないのだから
   世界はそのようなものであるべきだ。見返りがあるから、意味があるから、みんなに認められるから、そのことをするのではない。なにもなくとも、見返りなどなくとも、意味などなくとも、
   誰にも認められなくとも、私は、たったひとりで、誰かを信じるのだ。たったひとりの私しか、その人を信じることがなくとも>。


【B】「ことば」には実体などなく、もろく、か弱い。だが、それをこそ信じなければならないのだ。それが「信仰」なのだ。それ以外の「信仰」は無意味なのだ。
   そして、そんな「信仰」がなければ、この世界が存在する意味などないのだ。「シンラン」が「ユイエン」に告げたのは、そのことだった。

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 人間は成長するにつれ、周囲・社会を見渡し、対象が何であれ表現手段を問わず、何らかの意味づけ・生きた証を求めるようになる。最も下卑た実例は昨今のSNS における鬱憤晴らし連中だ。
上の③で高橋氏が言うように、家族への愛を含めて全てを疑えば人生は終わる、それは怖いから何かを信じたいのだ。この「意味づけ」に<信仰>はもってこいだ。


其の<信仰>とは【A】にあるとおり、見返りが無くても自分が尊敬する誰かの全存在を信じ、言葉を胸に戴くこと。これは一神教であろうがなかろうが同じ【信者の精神構造】だ。
【B】で高橋氏が言っているのは、誰かを崇めるにせよ、人間だから言葉でつながる他はない。だから尊崇する人の放った言葉を<信じ仰ぐ>しかないのだと。

◆ 私は<信仰>に生きる人の精神構造と人生を簡潔に整理する高橋氏の解析に異論はない。そのとおりだ。・・唯、私は③を幼少から感じているが、信じる誰かを持たないし、持とうと思わない。
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≪ 今朝の3題 ≫   (米国大統領=専制君主)か?   日本人の国籍意識を問う張本智和選手   ゼニになるから田原総一朗を猿回しに使うTV局  

2024-08-02 08:16:41 | トーク・ネットTalk Net
◆ 【CNN】トランプ氏、連邦議会議事堂襲撃の受刑者に「恩赦」 大統領選当選なら
・  米国のトランプ前大統領は31日、全米黒人ジャーナリスト協会(NABJ)の集会で、11月の大統領選で当選した際には、2021年1月に起きた連邦議会議事堂襲撃で警官を襲って有罪になった受刑囚らに「絶対」恩赦を与えると述べた。
  トランプ氏はNABJの質疑応答の際、「もし彼らが無罪なら、彼らに恩赦を与える」と述べた。
   司会者が多くの暴徒が有罪判決を受けていると指摘すると、トランプ氏は、そうした人々は「非常に厳しい制度」によって有罪判決を受けたと述べた
  ⇒ 民主党政権下の裁判だから認めないというのは三権分立と法秩序自体の否定であり、この妄言を吐く男がもし再び選ばれたら、合衆国はどうなる?19世紀までの王様と同じじゃないか。

◇ 【The Answer】中国斬り寸前で蘇った張本智和の言葉 帰化から10年、他人を認めない「ネットの声」の受け流し方
・ 両親は中国・四川省出身。父はプロ選手として活躍し、1990年代に日本へ移り住んだ。自身は宮城・仙台市で生まれ、ラケットを握り始めたのは2歳の時。幼い頃から全国大会で活躍し、11歳を前にした2014年の春、5歳下の妹・美和とともに
  日本へ帰化した。近年、多様性の流れが加速してきたとはいえ、これまで風当たりが強くなかったわけではない。「最初は別に何も気にしていなかった」と外野の声に無関心。しかし、活躍とともに少しずつ名前が売れ、「15、16歳の頃」には
  ネット上のコメントに傷つく瞬間もあった。 以下は張本選手が19歳だった5年前のコメント。
・ 自分がもともと日本人だったとしても、何か言われることはあるでしょうし、親が日本人であってもあると思います。最初はちょっとつらい気持ちがありましたけど、どんなトップ選手でもあることなので、今は嫌なことは全くないです」
・ 「ジェンダーのことだったり、いろんな『人』『事』を国際的にもどんどんと受け入れてもらえる中で、そういうことを認めていない人もまだまだいます。でも、気にせず、自分が納得して気持ちよく過ごすことが大切。
  自分が正しいと思うことをすればいいと思います。当時19歳でここまで言えたことが素晴らしい。もちろん「多様性」とは“全てを受け入れろ”と押しつけることではない。ただ、もう少し他人を認めてみることも必要ではないか。
  ⇒ 日本育ちながら敢えてカナダ国籍を選び、今大会でメダルに輝いた女子柔道選手がいる。彼女は張本選手と正反対の立ち位置だが、やはり中傷コメントを浴びている。
   国籍をめぐる中傷コメントで鬱憤晴らしに興じる愚か者どもが絶えない現状に私は毎日憤る。多様性を認める風潮が徐々にではあるが、今後も広がるよう祈るばかりだ。


▼ 【週刊女性】言ってはいけない言葉」田原総一朗、ひろゆきに“暴言”で批判の嵐   過去にも失言炎上
・ 「2023年10月、深夜に放送された『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)に出演した田原氏はパネリストの国民民主党・玉木雄一郎代表との議論を繰り広げる中でも《うるさい!黙れ!》と声を張り上げて怒鳴りつけた場面がありました。
  あまりの急な暴言にネットでは批判が殺到、炎上する形となりました」その際には田原氏も反省したのか、自身のX(旧ツイッター)で、《ご視聴ありがとうございます。おっしゃる通りです。話しをじっくり聴かなくてはいけないです。
  心から反省してます。ご指摘感謝致します》と綴った。
 「今でも彼をキャスティングするのは、時代錯誤なキャラクターがミスマッチで面白く映るのかもしれません。しかし、『朝まで生テレビ』が受け入れられていた80年代とは時代が違います。パワハラや暴力など、とても敏感になっている
  このご時世、暴言の多い田原氏に違和感を覚える視聴者は多いでしょう」(テレビ局関係者)

  ⇒ 田原の老耄を番組の娯楽性として使うのは視聴率=銭になるからであり、TV局は田原を猿回しに使っているわけだ。当人はそれに気づいていようが、叫び罵るキャラを止めたら明日から世と
    繋がれなくなる。それが怖いからTVに出続ける・・・醜い! 90を超えてもこんな醜態を晒さない人物はいくらでもいる。田原に引導を渡す人は居ないのか?? 死ぬまで待つのか?
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