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都議会セクハラやじ・・・・アメリカでやったらどうなる?

2014-07-17 15:14:05 | トーク・ネットTalk Net
 日経電子版に在米の日本人女性ジャーナリストが自身の体験も踏まえた記事を寄せている。これは nikkei WOMAN Online 2014年7月4日付記事を基に再構成したとある。  まさに時宜を得た記事編集であり、快哉を叫びたい。
   詳しくはこちらで・・・http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK11009_R10C14A7000000/。
腰掛け的短期駐在の場合、この類の件で印象に残るのは精々”セクハラ教育の面倒くささ ”くらいだろう。然し、日本の親会社の看板を外れた現地採用の身分になれば、もう差別やハラスメントの盾は無くなる。そうした身分で妻子を伴う勤め人生活を米国で長く送った人なら、生活の色々な場面で遭遇した事例を思い起こし、膝を叩いて同感する内容ばかりだ。
 人種差別を除けば、私はハッとするハラスメント場面に遭遇しなかったが、東洋人というマイノリティ-で且つ女性の場合、私など気付かない悔しさを味あわれた人もいよう。・・ 男女は問わない、若しあなたが在米生活経験の無い方なら尚更、添付URLを開いて一読されたい。

 <セクハラ/パワハラ>;いずれも日本では男尊女卑の視点から論じられる。が、男女平等論だけにとどまってはならない。何故なら、より広く日本社会全体の「人権意識の低さ」が全ての元凶である自覚が抜け落ちるからだ。個人と個人、個人と集団/社会、個人と国家:これらの関係全てに亘る個人の権利(義務)意識が日本では教育不十分ゆえ身についていない。自立した個人は人権意識も高まるものだが、そうはならず、いつまでも日本に中央集権統治が続いている現実ひとつみても、それは解る筈だ。
 身についていないから、議長/他の議員/野次られた女性都議全員が即座に反撃・追及できなかったのである。男性都議の何人が、あの場で「これは放置できない」と心から怒りを感じていたか? 恐らく、ゼロ? 都知事は叱責する立場ではないが、事後の発言は余に消極的過ぎた。これも私は不満である。

 女性議員個人を責めるのは誤りであり、真の問題の在り処を見えなくしている。視野を人権教育の不備そのものに広げないと、野次の制限是非論争に矮小化され、解決への方策はいつまでたっても生まれない。
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