4月16日から3泊4日で、中国は大連を旅してきました。
帝政ロシアの統治時代にパリをモデルに設計された中山広場は円形で直径約220m。
この広場を中心に主要道路が放射状に延び、ロータリーの周りに20世紀初頭に建てられた欧風建築が並んでいます。
あいにく今は、地下鉄工事のフェンスがかなりの部分をふさいでいて、周囲を360度見回すことはできませんでした。
旧大連ヤマトホテル(大連賓館)
旧大連市役所(中国工商銀行)
旧文化倶楽部(中国光大銀行)
旧横浜正金銀行(中国銀行大連市分行)
旧関東逓信局(大連市郵政局)
旧朝鮮銀行大連支店(中国人民銀行大連市分行)
大連金融大厦(英国領事館があった場所に新しく建てられた)
最後に旧ヤマトホテル内を見学して、旧日本人街へ向かいました。
大連賓館の前では結婚式用の写真の前撮りをしているカップルがいましたが、
ここでも写真を撮っているカップルを見かけました。
新たに欧風に建て替えられた家が多く、どの家に当時日本人が住んでいたのかは分りません。
角川書店のPR誌「本の旅人」4月号に、映画監督の山田洋次さんが、終戦後の昭和22年まで住んでいた大連の家を訪ねたインタビュー記事が載っていました。
この近辺で多くの日本人が生活していたんですね。
阪神・淡路大震災の復興の経緯は、私が住んでいる地域は地震当日の夕方に電気が復旧したのを覚えている以外、記憶があいまいです。
ブログを更新するときに、東日本大震災関連の記録を残しておくことにしました。
4月20日(水)
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