自遊空間、 ぶらぶら歩き。

日々見たこと、聞いたこと、読んだこと、考えたこと

少女ヘジャル、アイ・アム・デビッド

2005-11-11 | 映画・テレビ
10月末から11月頭まで開催されていた第10回神戸100年映画祭の今年のテーマは「やさしく」なければ・・・でした。私は神戸初公開の2本を観ました。



★少女ヘジャル (2001年/トルコ)
ヘジャルは5歳の少女の名前です。クルド語で「抑圧された人」の意味だそうです。クルド人の村が襲撃されて両親を殺されたヘジャルは預けられたイスタンブールの知り合いの家でも武装警官隊に踏み込まれて1人だけ生き残ります。

75歳のトルコ人の元判事の老人が彼女の面倒を見ざるを得ない状況になり、最初は仕方なくだった少女との関わりが、養子として育てようと思うまで強くなります。

でも、ヘジャルは同じ村出身のおじさんと、狭くて、不便で、貧しく不衛生なクルド人居留地で暮らすことを選びます。元判事と短い間だけ暮らした部屋を振り返って見上げる顔が何とも言えません。


★アイ・アム・デビッド (2004年/アメリカ)
1950年代のブルガリアです。強制収容所に入れられていた12歳の少年デビッドが母親の知り合いだった看守の手引きもあって脱走。ギリシャ、イタリア、スイスと海路、陸路をたどってデンマークを目指します。

撮影はすべて、’50年代の自然や建物を残すブルガリアで行われました。
小さいころから収容所育ちのデビッドは「笑う」ことすら、練習しないとできません。生死の分らない母親の面影を時々思い浮かべるデビッドですが、最後に作家としてデンマークで暮らす母親と再会できます。

ここでも何人かの大人にやさしい手を差し伸べられます。子どもには大人のやさしい手が必要なのです。
(この写真は映画のサイトから借用しました)


一体全体、子どもが何をしたというのでしょう。
たまたま2本の映画の主人公は大人に援けられて、運よく生き延びます。

でも、21世紀のこの世の中で、戦争はなくなるどころか、あちこちでくすぶっています。
大人の欲望から生まれる抗争で、とばっちりを受ける子どもは、たまったものではありません。

流れに身を任せていては世界は変わらないというところまで来ているのではないでしょうか。
ともに地味な映画なのですがじわじわと涙が出てきます。

コメント
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