狩人の道東放浪記 Ⅱ

定年後道東に移住しました。
しかし2年後、都合により帰郷しました。徳不孤必有隣の旗印は同じです。

お召し列車

2018年03月30日 | その他

昭和34年4月10日に平成天皇は結婚されました。

私も白黒テレビで拝見しました。

陛下は4月18日に伊勢神宮へ御報告に来られました。

私も沿線で日の丸を振ったのを憶えています。

平成天皇は国鉄山田駅を利用されました。

この写真は山田駅の一番ホームへ転線してきた機関車C5756号機です。

上の陸橋は現在も、ほぼ同じです。

菊の御紋を付け、国旗は国鉄の紋章で結わえられています。

お召し列車に携わる事は国鉄職員の名誉でした。機関士は選抜され、ピカイチの職員が乗務しました。

 

 


ベトナムの青年

2018年03月29日 | その他

団地内で家の取り壊しが始まった。

家を建て替えるためだ。

この作業に青年が来ている。顔つきはマレー系の顔で、「こら、バカ」と言われて働いている。

声をかけてみた。

「君はベトナム人?」

はい、そうです。すみません。

「ベトナム国は尊敬している。ビエンフーの戦いでフランスに勝った。日本が負けたアメリカにも勝った国だ」

破顔一笑、嬉しそうに笑った。

恐らく彼の年齢ではビエンフーの戦いも、ベトナム独立戦争も体験していないだろう。

だが異国で働いていて、母国が褒められて嫌なわけはない。

昔、中近東の国へ行くとロシアに勝った日本が称賛され、東郷平八郎の名前さえ出たそうだ。

私の称賛はこの故事の習いであるのと、青年の応援である。

元気に帰国してほしい。


高札についての考察

2018年03月28日 | その他

先日紹介しました高札が少し解ってきました。

以下のように読みました。

この様に読みました。

村人の強訴などを恐れた為政者は密告を奨励しています。

銀100枚を与え、苗字帯刀さえ許しています。

そして一旦仲間に入っていても、裏切って訴人すれば、ご褒美を頂き罪も許されます。

この高札は幕末の元治元年に掲出されています。

法としては、其の100年ほど前に出されています。

一枚の板切れから、当時の社会状況が分かり、興味津津たる思いです。

 


黒餡二軒茶屋餅

2018年03月25日 | 美味紹介

毎月25日は「黒餡二軒茶屋餅」の日です。

普段は白砂糖で作られている餡が黒砂糖で作られます。

二軒茶屋餅は天正年間の創業ですから、約438年前のことです。

これが本店です。

今日は特別にこのセットが240円で売られていました。

黄粉は時間が経っているので、ペショとしていました。

買い求めた黒餡二軒茶屋餅はこれです。

              

伊勢神宮へ参拝の折は、赤福ばかりに走らないで二軒茶屋餅も如何でしょうか?

 


明和7年(1771年)の高札

2018年03月20日 | 内地の紹介

高札がありました。

購入を検討しています。

表です。

明和7年(西暦1771年)と有りますが、奉行の上が消されているように思えます。

なぜ?理由は分かりません。

この時代は田沼意次が活躍した時代です。

公告された内容はよく分からないので、元高校国語教師に読んでもらう予定です。

裏はこのようになっています。

小濱村と読めますが、年号は元治ではないでしょうか。元治とすると1864年ですから表に書かれた年からは93年を経ています。

何故か?

元治は撤去された年なのかな?

暫くは調査と推理で楽しみます。