狩人の道東放浪記 Ⅱ

定年後道東に移住しました。
しかし2年後、都合により帰郷しました。徳不孤必有隣の旗印は同じです。

ルンビニの無憂樹

2016年07月31日 | その他
注文していた無憂樹が到着した。

約50センチの幼木と思ったが、実生で4年目だそうだ。

開花までには5年は最低必要だ。霜にも弱く、印度の樹らしい。
オリーブの木の下に置いた。木陰で風もよく通る場所である。




聖樹は3つある。

釈迦が生まれた時の「無憂樹」、悟りを開いた時の「印度菩提樹」、そして涅槃に入った時の「沙羅の樹」だ。

既に沙羅の樹(夏椿)は入手した。菩提樹も良く販売しているが、本物の菩提樹はない。

生きている間に無憂樹の開花を見たい。


沙羅双樹

2016年07月13日 | 内地の紹介
最近、園芸店通販で2本の木を買った。

前々から欲しい木であったが見つけられなかった。

奈良県宇陀市の森野旧薬園にあった沙羅双樹である。奥の離れの前に大木であった。晩夏に行ったがまだ盛んに咲いていた。一気に落ち、潔い花と思った。
平家物語冒頭が心に残っていたのだろう。

まだ1メーターほどであるから、私の生きている間に立派な様子は見られないであろう。
しかもネットで調べるとこの花木(夏椿)は沙羅双樹では無かった。本物は熱帯樹の様相で葉も朴の葉より立派である。仏教伝来の際、何か取り違えたのであろう。

もう一本は甘茶である。灌頂会でお釈迦様の上からかけるあのお茶である。
紫陽花ソックリで、もっと育てば葉を収穫できる。
葉は良く揉んで覆い、発酵させれば甘茶になるそうだ。

漢方薬でもあり、常用したい。
ネットで調べていて、欲しくなったのが「無憂樹」と「菩提樹」である。
お釈迦様が生まれた時に咲いた花と、悟りを開いた時に有った木である。「無憂樹」は捜しても無かった。

なにか仏教関係の樹木ばかり気になる。
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ダッカでのテロ

2016年07月05日 | その他
バングラデシュ・ダッカでの人質立てこもり事件での7人の遺体が羽田空港へ到着した。

空港の荷物用の台車に白布が掛けてあるが、荷物用の台に哀れが誘われる。

これから必要な手続きを終えて、帰宅するのは何時だろうか?親族の悲しみは察して余りが有る。

今回の政府の対応は手際よくされている。

犯人は現地の裕福な家庭と報道されている、犯人が日本人がでなく、一安心である。

しかし今後もテロは発生するが、日本人の若者が犯人になる可能性は高い。

海外へ技術協力で出かけた人のコメントがあった。

「人道的支援」これを何度も言っていた。

本人はそのつもりでも、見方を変えれば経済侵略の先兵である。教育の振興も働く人の育成である。

橋や空港も、裕福な人を更に富ませる投資である。

こう考えると、善意だけでは物事は進まない。

小学校の建設などにもボランティアが参加しているが、イスラムか異教徒かで区別すれば異教徒で聖戦の対象である。

やがて、日本人を含むグループにより、日本国内で100人規模の犠牲が出るテロが発生するだろう。

徹底的な摘発が望まれるが、事前拘束は御免蒙りたい。ここは中国でないからだ。

思想信条や宗教の自由は守らねばならないが、我々の価値観はキリスト教的な価値観の様である。

それに日本教の色付けがされている。

戦前ならば各地へ陸戦隊を送り、邦人保護をした。しかし今日ではその動きは無い。

今後はどのように対応するのか分からない。

蝦夷鹿への準備

2016年07月02日 | 狩猟と銃
7月に入りました。
今年度の蝦夷鹿猟の準備をしています。

服装類を取り出して、虫干し兼点検です。昔ほど衣類を準備しなくなりました。

役場の担当者に今年度も行く旨を伝えました。北海道は早く解禁するので、申請も早くせねばなりません。

敦賀港から日本海フェリーで車を運びます。フェリーのネット予約は2か月前なので、8月末には申込まねばなりません。苫小牧市で一泊の予定です。

銃とスコープの調整をします。暑い中ですが射撃場へ行かねばなりません。ここで9割方調整し、最後は釧路市のHAP’1射撃場で仕上げます。腕はとも角、銃は完璧に仕上げます。

そうすると残るのは道東の宿だけです。

写真は昨年のものです。


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