狩人の道東放浪記 Ⅱ

定年後道東に移住しました。
しかし2年後、都合により帰郷しました。徳不孤必有隣の旗印は同じです。

五箇山の合掌造り

2015年07月31日 | 内地の紹介
世界遺産に登録された、白川郷と五箇山へ行きました。白川郷はすっかり観光地化されていて、内宮のお祓い町おかげ横丁ですね。広告塔のような合掌造りでした。
中国人観光客がバスより吐き出されると、チャイナタウンです。入場料を返せと言いたくなります。順番への割り込みは国民性なのか娘さんもやります。食堂では大声に閉口します。お道化た格好で記念写真を撮っているのを見ると、脳味噌はゼロのようです。

五箇山へも行きました。観光地化にはあと数年間に合います。
ここでは塩硝造りが見たくて行きました。江戸時代、火縄銃の火薬に用いられた塩硝が此処で作られていたのです。木の葉、蚕の糞、尿などを囲炉裏の近くに掘った穴に居れ、5年ぐらいで発酵させていました。そして結晶を煮詰めて採取したそうです。明治以降はチリ産の塩硝に変わられました。

結晶を煮詰める時に使用した釜です。
この釜の縁には左右に浮彫がありました。右側「共有金仕入」左側「第72号」です。番号は当然漢字です。そのまま読めば、共用の金で仕入れた釜です。そしてこの釜は第72号です。しかし、共有金とは何であろうか?塩硝作りの組織を当主に尋ねると、扇子作りとかのように、分業システムで作っていたようです。この当主の家(岩瀬家)は最後の仕上げと加賀藩への納入をしていた。分業とか利益の分配までは分からなかった。
そして説明してくれた岩瀬家御当主です。囲炉裏の傍てお話してくれました。焚火の木はインデアンの焚火と同じやり方なのには驚きました。
現在は屋根の葺き替え中で約6000万円の費用が掛かるそうです。

白川郷よりも観光化されていなく、楽しめると思います。

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弾帯の修理

2015年07月27日 | 狩猟と銃
随分と使い込んだ弾帯です。先輩が引退した時に譲り受けたそうです。其れからも20年以上使用している、との事です。
皮には脂分が無く、カサカサです。弾差しも破れて、落としそうな場所もありました。そのような個所は思い切って切り落としました。
頂いた時は筋骨隆々としていましたが、中年(老年)太りで一番長い位置でも苦しいそうです。そこで止める部分を外し、逆につけました。写真のようになりました。手縫いで補強します。



もう少しで完成です。脂分も補充します。
ハイ出来ました。ナイフ入れはサービスで付けました。中のナイフもサービスです。

縫目は全て縫い直しました。全体にワックスを塗り、皮も柔らかくなりました。艶もいいでしょう。

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牙と爪

2015年07月24日 | 狩猟と銃
猪の牙で作りました。先日友人の罠に猪が掛りました。一人では車に乗せられないので助成を依頼したぐらいの大きさです。以前より牙をお願いしていましたので、電話すると快諾されました。
翌日受け取りに行き昨日から加工していました。これが作品です。上の大寸が下顎から生えていた牙、小寸は上顎から生えていました。もっと大きいはずですが、牙同士で擦れて削られています。右が少し茶色くなっていて、分かります。


ゼムクリップを添えました。大きさの目安にして下さい。
右下の黒っぽいのは羆の爪です。知床で頂いてきました。現在、携帯電話のストラップにしています。

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福田真理夫氏と独ポ

2015年07月16日 | 狩猟と銃
もう何年も前の狩猟界に独ポの宣伝を出しておられた方です。独ポはドイツポインターの略で五目猟をこなす器用な犬であったと記憶している。
島根県の福田真理夫氏は当時独ポのブリーダーとしての第一人者であったと思います。他の宣伝はセターとかポインターそして甲斐犬だったのに独ポ一筋であった。他のブログで数年前に死去されたと知った。勿論面識はないが一度独ポの芸が見たいものである。

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ミニクレーン

2015年07月14日 | 狩猟と銃
軽トラにミニクレーンを装着しました。前田製作所のミニクレーンで300㌔まで上がります。
如何に大きな蝦夷鹿でも大丈夫ですが、障害物のある林の中を引っ張ると少々心配です。


大きすぎると軽トラには積載できません。過去の鹿は200キロ前後ですから心配いりませんね。
この前、脱輪して皆さんのお力で抜け出しました。北海道では誰もいません。脱出にはウォンのウインチが必要でしょう。

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