狩人の道東放浪記 Ⅱ

定年後道東に移住しました。
しかし2年後、都合により帰郷しました。徳不孤必有隣の旗印は同じです。

40にして、迷わずサモン

2019年05月30日 | その他

「40にして、迷わずサモン」このフレーズの解る人は同年輩であろう。

40になれば迷わずにサモン(栄養剤)を飲め、との製薬会社の宣伝文句だ。

もちろん、この宣伝文句には原典がある。論語で為政第二の4がそれである。

子日、吾十有五而志于学、三十而立、四十而不惑・・・・・七十而従心所欲、不踰矩

一度は目にされた方が多い論語の一節である。

製薬会社はさておき、小生も最後の歳となった。

「七十歳で思いのままに振舞っても、道理を踏み外す事は無くなった」

孔子様はこのように述懐されているが、小生ではなかなかその心境になれない。

翌日となると何も思い出せない日々の連続であり、感情の回路が短くなり怒りに走る。

・・・・で省略した辺りの年齢で、迷い悩む事が多く天命を知る事もなく、人の話を確りと聞いていなかったのだろう。寅さん同様に、悔悟と反省の日々である。

健康で思うままに行動できる、これを念じている。


淡竹採集の日々

2019年05月26日 | 内地の紹介

毎日のように淡竹採集に行っています。

採っても、採っても出てきます。

今日は友人と7:00に待ち合わせて、採りました。

たちまちバックがいっぱいになります。時計を見ると30分しか経過していません。

これ以上採ると、荷物(淡竹)が肩に食い込み、ヒイヒイと言わねばなりません。

友人も満足して帰りました。


松阪萬古焼の栄光

2019年05月21日 | 内地の紹介

全国には無数の陶器磁器があり、時代によっても盛衰するために、消えて行った窯も多数あります。

三重県には万(萬)古焼が連綿と続いています。

沼波弄山を開祖とし、射和万古~松阪万古~現代、有節万古~桑名万古~現代、そして有節万古~四日市万古~現代と続きます。

古万古は古安東へと続き、再興安東阿漕焼~阿漕焼~現代と続きます。

私の所持する時中焼きは陳明焼き、延年山焼きなどと栄えました。

親子代々で続く場合もありますが、絶えてしまった窯元も沢山あります。

この為に収集も多岐に亘り、系統立てて収集すれば、財産は消えてしまいます。

骨董店の店先で納得できる陶器が有れば買って行きたいですね。

写真は「時中焼」の布袋像、そして松阪万古の佐久間芳嶙作の龍持羅漢です。

錦花山焼き、阿漕焼と思われる陶器もありますが、判明次第紹介します。


山科植物資料館の見学

2019年05月20日 | 内地の紹介

昨日、松阪薬剤師会主催の「薬草見学会」に参加させて頂きました。

もう50回になる歴史ある見学会です。いつも入念な資料を頂戴し、浅学の徒である小生は目から鱗です。

今回は日本新薬KK「山科植物資料館」を見学しました。

1919年(大正8年)に創立された会社で、100年となります。創立の頃中国から輸入されていた「支那ヨモギ」、実際はロシア産の蓬から摘出した「サントニン」で作る回虫駆除薬の生産が主でした。支那ヨモギは入手が困難な為、国産化に努力しましたが、フランス産の蓬にもサントニンが含まれることを発見しました。この蓬を改良して作られたのが「ミブヨモギ」です。

1934年には山科試験農場(現在の資料館)が開設されました。

ところが日本は高度経済成長となり、生活の衛生が行き届くと回虫は激減し、現代では絶滅状態だそうです。なんとも皮肉な話です。日本新薬KKは発展を遂げて現在に至っています。

植物資料館は3000種を超す薬用・有用植物を栽植し無料で見学させています。写真は回虫駆除用の「ミブヨモギ」です。

住宅街にある別天地で、開設時は一面の田園地帯でしたでしょう。

予約の上、ぜひ見学に訪れて下さい。