狩人の道東放浪記 Ⅱ

定年後道東に移住しました。
しかし2年後、都合により帰郷しました。徳不孤必有隣の旗印は同じです。

南伊勢町のホテル

2011年01月25日 | 内地の紹介
知人からの伝聞です。この白亜の建物はホテルだったそうです。大工が神戸まで行き勉強して建てたそうです。川面に映る姿は決して色褪せていません。
書きかけです。情報があればコメントとして記入してください。

鳥羽市のパール道路

2011年01月24日 | 内地の紹介
鳥羽市には海岸線を縫って走る「パール道路」がある。昭和46年に着工し昭和48年に磯部までが開通した。その後昭和51年7月1日に鵜方まで届き、現在の姿となった。途中麻生の浦大橋は土木学会田中賞に輝く美しい橋である。そして鳥羽展望台は絶景で伊勢湾が一望される。ここには山口誓子の句碑や地元歌手の鳥羽一郎が歌った「兄弟舟」の記念碑がある。
しかし、このページで紹介したかったのは他にある。写真を見ていただきたい。この道路を作るとき自衛隊の諸君が汗を流し、多大な貢献をされたことを知ってほしい。急カーブの路傍にあり、つい見逃してしまうが、これこそ記念碑である。
その後この地方からは多数の若人が自衛隊に応募したそうである。

久しぶりにナイフだよ

2011年01月15日 | 狩猟と銃
久しぶりにナイフの登場です。ナイフと言うとそれだけで犯罪者扱いです。決してそうではありません。ボーイスカウトではナイフの正しい扱い方を教えているそうですが、現代の父親がその役割を果てしているでしょうか。
ナイフを持たない運動中に育った両親は鉛筆を削ることも出来ません。自分の指もザックリ切ってその痛さが分かれば注意して扱います。まして他人を傷つけることはないでしょう。
友人の希望により昔作ったナイフを引っ張り出しました。作者は亡くなられていますが、力強い作風はナイフに宿っています。きっとハンティングで役立つことでしょう。
えっ、獲物が獲れてからだ、その通りです。

菅首相を擁護する

2011年01月01日 | スピーカーズ・コーナー
決して主義主張に変化があった訳ではありません。思えば菅首相も気の毒な方です。今回は巡礼に出ることも出来ず、他国の代表には伏し目で会っています。党内には怖い兄貴がいて、無理難題を押し付けられます。平和を愛し、我慢を重ね周辺諸国と友好を深め、歌声喫茶で歌いたいのに、体当たりしてきます。僕の気持ちがわからないの、言いたくなりますね。抜擢して大臣にすれば馬鹿な発言ばかりして、他を見回しても人材難です。色気があるので大臣にしたらファッションショーをやらかして、まあヌードでなかったのが救いですね。子供や農家の将来を考えれば、バラ撒きと非難されます。労組の親玉も消費税でウンと言ってくれたから、良いと思ってやると、さてさて・・・・。皆、親玉は貴族と思い信用していませんよ。
しかし「国民はその程度に応じた政府しか持てない」との格言があるから、これを言えばよいです。
自信を持って進んでください。独裁者の出現を待つほど国民は馬鹿ではありませんからね。