先日紹介しました高札が少し解ってきました。
以下のように読みました。
この様に読みました。
村人の強訴などを恐れた為政者は密告を奨励しています。
銀100枚を与え、苗字帯刀さえ許しています。
そして一旦仲間に入っていても、裏切って訴人すれば、ご褒美を頂き罪も許されます。
この高札は幕末の元治元年に掲出されています。
法としては、其の100年ほど前に出されています。
一枚の板切れから、当時の社会状況が分かり、興味津津たる思いです。
先日紹介しました高札が少し解ってきました。
以下のように読みました。
この様に読みました。
村人の強訴などを恐れた為政者は密告を奨励しています。
銀100枚を与え、苗字帯刀さえ許しています。
そして一旦仲間に入っていても、裏切って訴人すれば、ご褒美を頂き罪も許されます。
この高札は幕末の元治元年に掲出されています。
法としては、其の100年ほど前に出されています。
一枚の板切れから、当時の社会状況が分かり、興味津津たる思いです。
解説をありがとうございました。
この高札銀何枚で手に入れたのですか?
訴人すると銀100枚ですが、高札の前で解説しても「ご苦労さん」だけでしょう。
名字帯刀はあまりありがたくない世の中だしね。
いまじゃ草木も生い茂り、通りすがりの人は廃屋と思うかもしれません。。。
毎年、この家に帰るのが私たちには大きな楽しみのひとつでした。文字通り、昔話に出てきそうな家ですが、それゆえに心の故郷に帰って来たのだ、という感慨が幼心にもしっかりとありました。
元々は武家であったらしく、先祖が残した古文書類も多くあり、子供の頃、祖母がそれらを虫干ししていました。私にはどれも読めるしろものではありませんでしたが、中には、辞世の句、なるものもありました。その当時の私には、辞世の意味は当然わかりません。切腹にのぞんで、したためたのだと伝わる書には、心なしか険しい文字が並んでいました。句というよりも、漢字ばかりの漢文?に近いものでした。内容は禅問答みたいでした。その先祖が詠んだという別のひらがな混じりの歌も見ていたのですが、これが同じ人物か、、と思うほどに、その筆跡は異なっていました。やわらかなかな文字から連想させるおおらかさ。そして何か身に迫ったものを感じさせる重々しい文字。ほんの子供に過ぎない自分には、衝撃でした。先祖のそのときの心の有り様を想像してもみました。いまでも、ふと、思いを馳せていることがあります。長い歴史のほんの一滴の出来事に。。
一度失った物は二度と帰りません。戦後の混乱期、高度成長期には重要な建物から、民間の小住宅まで消滅しました。日本にとって悲しい事です。
古文書は大切に保管して下さい。
何気ない手紙から歴史の重要な事象が判明するかもしれません。
そして個人情報であっても、子孫が読む事を前提に書いてあるでしょう。
ご先祖様の意思を紐解く事は、供養にもなります。
失ってしまえば、子先祖様の意志、思いも消滅しますから、大切に保管して下さい。
その昔、重要文化財?に、という話もあったようですが、そうなると補修や釘一本を打つのでさえいちいち届け出が必要になるとかで、断念したようです。家族の生活の場ですから。建物自体はいまも頑丈ですが、問題は屋根です。夏は涼しく冬は暖かい。利点もありますが、30年に一度は葺き替えが必要です。一時に全面は無理なので、数年を置いて、一面ずつ。職人さんも少なくなりましたし、材料の調達にもひと苦労。昔は、許可を得て、近くの河川敷で葦を刈り、乾燥させ、それを専用の倉庫に大量に保管していました。その後、護岸工事がなされたり、環境の変化もあり、葦がさほど生えなくなったため、現在は周囲の田畑に葦を植えて育てています。だから、余計に草深い家となっています。
私が子供の頃に、一度大掛かりに表の葺き替えを行ったのですが、もっさりとしたおかっぱ頭が、眉目秀麗、立ち姿も凛々しい若いおのこに生まれ変わったのです。職人さんの技とはすごいものだと感心した覚えがあります。
いまは、おじとおばが職人さんの真似事で、時折屋根に上がっているようです。
しかし、使い勝手の悪い道具は困ったものです。
申し出てこないから、所有者が悪いとされます。
日本には「すべて滅びゆくのだ」この考えがあるように思います。
叔父さんの住まわれている家も、基本は周囲が変化しています。河の工事による葦の激減、結による相互扶助は住民がいない。仕事が少ないから職人もいない。
「いつまでこの様な家に住んでいるの。蕎麦屋にでも売っ払いなさい」
「こんな家に住めていいね。たまには宿泊したい」
「お金持ちですね」
これが世間でしょう。
一度か二度、ドライブついでに立ち寄ったことがあるのですが、さすが有名な観光地です。観光バスはバンバン来るし、観光客でごった返していました。かやぶきも手入れが行き届き、だからでしょうか建物自体も若々しい印象を受けました。まるで山里に急に現れたテーマパークの趣。。財の力を感じました。
母の実家も、昔、新聞や写真集に紹介された縁から、同じような茅葺き民家の方から屋根等の補修に関する相談の電話が、時折かかってくるとのことでしたが、皆さん、やはりいろいろと苦労が絶えないようです。果たして、その内の一体何軒がいまも現役として、存続しているでしょうか。。。
京都市内では、近年、町家を生かしたゲストハウスが雨後の筍のように続々と出現しています。
うちの真向かいも、取り壊すものとばかり思っていた古民家が、リノベーションでゲストハウスに生まれ変わりました。
ターゲットは日本人ではなく、外国人観光客。
今宵も客が宿泊しているようです。
次なる活路を見出だすのも、またひとつの生き残りの方法なのでしょうね。