狩人の道東放浪記 Ⅱ

定年後道東に移住しました。
しかし2年後、都合により帰郷しました。徳不孤必有隣の旗印は同じです。

辺野古にご高配を

2010年05月31日 | スピーカーズ・コーナー
有名な電報ですが敢て紹介します。
「・・・・・・沖縄県民斯く戦えり、県民に対し後世特別のご高配をたまわらんことを」
平成の世にどのようなご高配を、我々はしたのでしょう。
画像は有りません。

ああ、年金

2010年05月19日 | その他
不思議と命永らえて・・・とは軍歌の一節です。
小生も年金を考える時期(少し遅いですが)になりました。先日社会保険庁へ行きました。親切に教えていただきましたが、理解は出来ません。一覧表で揃える書類を教えてもらいました。しかし、概に会社より頂いているのか市役所へ行くのか解りません。住民票などは知っていますが初めてのものも多いのです。
退職後は個人の事ですが、情けない事です。
あっちへ行って笑われて、こっちへ行って叱られて、やっと自分のかけた年金を頂くのです。

珍道物語

2010年05月16日 | 内地の紹介
いつも昼食は職場近くの食堂で日替わり定食を頂いています。此処のご主人は骨董が趣味で松阪万古焼の素晴しい作品を持っておられます。奥さんも骨董が好きで、仲の良いご夫婦です。
16日日曜日に松阪市コミュニティーセンターで発表会があり、出演されるとのことです。是非と言われれば、行かねばなりません。一人では恥ずかしいので妻と出かけました。凄いですね、そのパワー、厚化粧に素顔を隠しまったくのスターです。出演者の99パーセントは女性でした。
真打、奥様の登場です。チマチョゴリの美しい事。そして声の若々しい事、圧倒されました。元気を頂きました。

熱烈歓迎清水寺

2010年05月09日 | スピーカーズ・コーナー
西国33寺を巡礼しています。朱印の、太筆は完成。御詠歌の5寺を残すのみです。今日はバイクに乗って三室戸寺、上醍醐寺、清水寺を参拝しました。これで残りは2寺です。上醍醐寺は天災により消失していて麓の女人堂でOKです。正直に駐車場に止めましたが、事情の解る人は女人堂の近くまで自家用車でやってきます。
清水寺は国際観光寺にふさわしく、黒いスカーフを被った回教徒の夫人や大声で喚き散らす韓国人、そして痰を吐き散らし順番を無視する中国人で一杯でした。勿論紅毛人、碧眼人などもいます。メッカ(特にガーバー神殿)に仏教徒が入ればどうなんでしょうね。日本の宗教は寛容です。ありがたい事です。
坊様はニコニコとして外国人には何も言いません。商売の種である仏教は彼らの手を潜ってやって来たから何もいえないのでしょう。
上海万博へ遣唐使船が行きます。きっと中国人の自尊心を満足させるでしょう。先般は大勢の選良が朝貢外交をしたばかりですからね。普天間基地の代替地に「竹島」はどうかと思っていますが、正確な地勢は知りません。でも徳之島よりは反対の民意は少ないでしょう。えっ、島根県の人で本籍が竹島にある人がいる、おいらの領土だと主張する韓国が反対する。ウーン難しい。鳩山首相のご苦労が察せます。

保存民家を訪ねて

2010年05月05日 | 内地の紹介
栄村小赤沢地区には古い民家が保存されています。国道405号線よりも見る事ができます。少し拝見しました。
土間が広く畳の部屋は一部屋だけです。仏壇と神棚がありました。いろいろな道具が展示されています。良く解らない道具もありますが、妻の解説でわかりました。
これは「縄を綯う機械」これは「うどんを作る道具」じゃあこれは「莚を編む道具」
妻は江戸時代の人間ではありません。昭和の人間です。
私たちが子供の時に見慣れた道具、使用した道具も赤錆て展示してあるのです。薄暗い土間に佇みながら思われるのは、今使用しているパソコンは何十年か先に展示されるか、でした。
それと国道405号線には滅んだ村が沢山ありました。天保の凶作で一村が壊滅したのです。嶮しい中津川沿いには、その嶮しさに似た歴史があるようです。