狩人の道東放浪記 Ⅱ

定年後道東に移住しました。
しかし2年後、都合により帰郷しました。徳不孤必有隣の旗印は同じです。

回覧板

2015年08月29日 | 内地の紹介
昭和15年に内務省より指導されてできた歴史を持つ連絡手段である。
現代も行政と市町民を繋ぎ、行事予定、お知らせ、町内の連絡周知などに使用されている。今後全ての家庭にパソコンが置かれ、市町村のホームページを開くようになれば消滅するかもしれない。そうなるとホームページも安閑としていられない。何年も前の資料が野ざらしになっていたり、年度が替わっても予定は前年度のままであったりするからだ。
以前はメールで注意したが、そのメールさえ開かれていない。まして返事は絶対に来ない。

今日はその話ではない。回覧板で健康器具の宣伝を廻してくれと言う依頼だ。町内の福祉団体が一枚咬んでいる。廻しても誰も買わないだろう。しかし回覧板の目的は何だろうか?
本来の目的から逸脱しているように思える。
そんな風に考えず、前も廻したのなら、サラーと廻せばいいじゃない、これも真理であるが、歯止めをする時にしないと、とも思う。



他のページでは靴下、ファンデーション、鍋、スライサーとなんでもある。

翌日、町役場へ相談に行きました。
 1、この様な団体がある事を把握しているか
 2、回覧板の目的を明確にされたい
 3、回覧板で通販商品の情報を流す事が適切か

町からの回答
 1、ここでは把握してない
   別な個所で把握している。この団体は存在する。
 2、町からの伝達事項、自治会内での情報共有のためと把握している
 3、適切とは思えない

このように、良い感触を得ました。
それで、町としても把握しているなら、安易に通販商品を回覧板で閲覧させる依頼をするな、と指導して頂きたい。そうでないと又やるだろう。他の自治会ではどうか?
一か所だけここへ持って来て、相談した。パンフは預かっているが、貴自治会の分も預かりましょか?
これは断り、今後の進展によってはネットなどでこの名前などを公表する方向で検討する。



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今日も駆除

2015年08月23日 | 狩猟と銃
駆除の地区まで片道1.5時間です。高速を使用すると20分ぐらい縮まりますが、片道2500円ぐらい支払います。
駆除で1匹獲ると約10000円ぐらい頂けますが、三人で分配すると油代にもなりません。
農家の方の感謝で満足しています。

今日は2Rやりました。

その1Rです。
待っていると林の奥でチラリと鹿が走りました。右の方へ走りましたが民家があり危険な為、私も右の方へマチを変えました。それを見られたのか、止まってしまいました。勢子さんから何も出ないので「終り」と言ってきました。それで無線ですが小声で状況を話しました。其れじゃあ其処を重点的にやろう、となりました。配置につき犬を入れました。
10分ほどして、キャンキャン犬か鳴き、ギューと悲鳴も聞こえました。まもなく勢子さんより「犬が咥えたで、マチをあげて下さい」と指示されました。解らないまま従い、集合場所へ行きました。
其処には写真の猪が投げてありました。

えっ、これかい。これって猫じゃないの?
私が見た鹿は猫に変わっていました。誰か欲しい人?誰も欲しがりません。とうとう、犬が咥えたので、勢子さんが処理する事になりました。


2R 出ましたが、鹿の方が一枚役者が上でした。

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有害駆除の実績

2015年08月22日 | 狩猟と銃
今日も駆除に参加しました。
1R 私のマチから200メーターほど下の田を鹿が駆けて行きました。少し気が付くのが遅かったのですが「撃たねば当たらぬ」2発発射しました。掠りもせずに逃げて行きました。後は白波です。
2R 1Rで逃げた鹿です。良い角が確認できました。
犬を入れると、いきなり曲がり角から出ましたが畔草を刈っている農民と鉢合わせ、元の竹藪に逃げました。これを報告すると犬を誘導して、私の前に来ました。いきなり犬が鳴きました。直ぐに銃を構えましたが、犬の鳴声が近すぎます。この距離ならば鹿は私の前に居て不思議ではありません。
ドーン、鹿は私の前ではなく猟友の前に出たそうです。一発で命中したそうですが、川の中に落ち込みました。まだ動いています。本来ならばナイフで刺殺しますが、堤防が高い為2発撃ち、止めとしました。
写真は川から鹿をミニクレーンで引き揚げた所です。

私が撃った多様な顔をして写っているでしょう。
暑かった・・・。

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幽霊子育飴

2015年08月16日 | 美味紹介
京都は歴史の町だが、美味しい物、歴史のある物も沢山残っている。今回紹介するのは「幽霊子育飴」である。
その由緒書きによると、慶長4年京都の江村氏が妻を葬った後、土中より幼児の泣声がした。掘り起こしてみると妻の横で幼児が泣いていた。亡くなった妻が産み落とした子であった。
その当時、夜な夜な飴を買いに行く夫人があったが、幼児を掘り起こしてからは見なくなった。さては子の為に幽霊となり、乳の代わりの飴を買いに行っていたのかと、涙を絞った。
この子は成長し、高名な槽となり寛文6年3月15日に68歳で遷化した。
さればこの店で飴を買っていたのかと有名になり、平成の世でも営業している。



由来である。電話は075-561-0321でFaxも同じです。取り寄せも可能です。



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家族

2015年08月14日 | バイク関係
こんな名前の映画がありましたね。山田洋二監督だったと思います。大阪万博を背に炭鉱の町から北海道へ流れて行く一家でした。
長男がお盆と言う事で帰省しました。

     帰省して母の白髪を抜きにけり   草城

驚いたのはバイクで帰ってきたのです。ホンダのNC750Sです。本当は心配でやめて欲しいのですが、父が乗っていては言えません。
ええい面倒、稲瀬川勢揃いだ。前から母、児、父のバイクです。母はチャリバイ、父ちゃんはトライアンフ・スピードマスターです。



楽しいバイクだから交通安全、それだけが望みです。




今朝、東京方面へ帰りました。


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