癒しの森 湯布院(仙人の健康相談室)  


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NO627・・・ペヌコンダに帰る

2022-05-27 | 聖者

 この話は、2000年頃の話であり、多少年号が前後することもあるが、本当の聖者とは、聖者の日常の生活とは、聖者の真の姿などを知らせるために連載しており、多くの方々が体験するインドとは多少違う事もあると思うのであるが、なるべく真実の世界を書きたいと思っている。1週間や1か月の滞在では、ただうわべを見ているだけで到底真実とはかけ離れた体験本を見かける。

 

 このようにして、真実とかけ離れた人物像が出来上がって行くのではと思っている。カレスワール、スワミが出版された「ジーザス・クライストの本当の教え」を紹介している時、気が付いたのは、多くの人は、スワミを知らない。会った事もない。話したこともない。たとえ、話をされても雲の上の人であり、上下関係の立場で聞いている。その中において、100年後に、この教えが花開き、多くの人がスワミを思う時の材料が必要であろうと思い、連載しているのです。

 

 シルディー、サイババの本もそうであるが、その側におられた方々が書かれた本に巡り合う事はない。また助けられた人や村人の体験本や一緒に修行された方々の体験談も見かけない。その後に書かれた本などはブッダの経典と同じで「如是我聞=にょぜいがもん=我はこのように聞いた」あり、対機説法(たいきせっぽう)が多い。対機説法とは、その生徒のレベルにおいて話すわけだから、レベルによっては、真逆の事も教えられる。

 

 友人2人が、スワミのインタビューを受けた。出して頂いたグッズを手に持って出てきた2人の顔は違う表情である。1人はグッズ(指輪やミニ神像)を2個頂き、顔はほころんでいる。もう1人は1個で顔は曇っている。何故?そのような事をするのであろうか?日本では平等が普通であるから、同じドネーションなら個数も同じであるのだが、スワミはあえてそれを行わない。スワミどうしてなのですか?と私が尋ねると、明確な答えは言わない。

 

 それをフォローするのが私の仕事でもある。と私は思っていたのだが、スワミは違うという。これを行うことが、私の修行法だという。何故かを考えさせることが重要だという。一人は悲しみながら何故かを考え、もう一人は有頂天になるだろう。それで良いのだ。その後、どのようにして解決していくかが修行なのだ。また、違うインタビューでは、手を回して空間から物質化した物を渡すときと、そばに置いていたグッズを渡す場合もある。

 

 一人は、物質化とは手を回して空中から出すものだ。もう一人は、インチキだと言うだろう。この時、まだ未熟な者には、本当の物質化を見せ、上級者には手渡しして、疑問を生じさせる。そして疑問を持たせることにおいてネガティブを噴出させる。これがスワミの手法であるが、私はフォローしてスワミの邪魔をし続ける。貴女は見込みがあるから、2つ頂けたのだよ。もう一人には、貴女はかなり浄化しているから1個で良いのだよと、フォローする。KENZO、お前は私の仕事を邪魔していると、スワミから後に怒られる。私の修行法を邪魔をするなと怒る。このような事を誰が知るでありましょうか?これが裏側、即ち実行する立ち位置から観察し続けた聖者の真実なのです。

 

 これらの事を知るゆえも無く、聖者を語っている。その行為は巨像の足元のアリと同じく、蟻が像について語り合っているのと同じである。像とは、鼻が長く、耳は小さく、草は手で取って食べているのだと年老いた蟻の長老が若い蟻に教える。ーーーーーーこのようなものであると、インドでは教えられている。ゆえに、スワミの横にいて真実を学ばなければ、神の本当の教えは理解できないのです。

本題

 ドンドンドン、アンクル、アンクルと言いながらドアが毎朝叩かれる。ナガナンダ、スワミの宿坊は粗末で地面とほぼ同じの一階だけの長屋だった。6畳一間に日本式の汲み取り式のトイレがあり、その上には水シャワーが出るホースがある。トイレットペーパーなどはなく、用が終わったら左手で拭く。そのための水道があり、バケツに水を蓄えておく。トイレの上でシャワーもするのであり、ちょっと間違えると大変な事になる。

 

 ドアーを開けると、いきなりホウキを片手に突進して来る。追い出されないように突進して、土間の掃除を始める。そして、いろいろの理由をつけて小遣いをおねだりする。病気の父親がおり、大変だ。みんなは、ブレスレットをしているが、私はお金がないので買えない。日ごと違う理由を付けて小遣いをゲットしに来る。

 

 アシュラムの宿坊の横の奥に地元の若夫婦の小屋がある。雨風が防げるだけの藁ぶきの小屋で、暗い奥の片隅に火を焚くレンガを積み上げただけの炊事場がある。家具などは見当たらない。ある日、その若奥さんから食事の招待を受ける。鶏肉のインド風の料理だけであったが、とても美味しく頂いたのだが、その後が大変である。もう少しで私は出産の為、サティア、サイババの病院に行かなければならない。お金は無料なのだが、衣類を入れるバッグがない。みんな持ってくるので、私はみじめだ。このようなバッグだと手で教える。カレスワール、スワミの実家がある村(歩いて15分くらい)に売っているので買って欲しいという。

 

 食事をいただいた弱みから、誰にも言わない条件で、買いにいくのだが800ルピー(1600円)であった。次の日には村中の人に知れ渡り、ナガナンダ、スワミから苦言を言い渡された。お前は、農婦に毎日50ルピー(100円)渡しているだろう。50ルピーは農園の日当より高く、他の若い娘たちも騒いで仕事をしなくなった。それにお前はインドの風習と文化を壊してる。インドは貧しい国なので、いくらお前が頑張っても良くなることは出来ない。その中で生きていく者をお前は狂わしている。ーーーーーーー良いことをしたと思っていた行為が実は悪い事をしていたのであります。ゆえに物事は裏と表から見ないとわからないのです。

 私が渡すのでお前が持っている10ルピー札を持って来なさい。別れの日、私は全ての50ルピー札より小さなルピーを渡し、去る事になるのです。その足でカレスワール、スワミのアシュラムに舞い戻るのであるが、私たちはすぐスワミに呼び出される。お前たちは、二度と他のアシュラムに滞在してはならない。私に仕事を増やさないで欲しい。お前たちがやっている行動は、グルパランパラの流れを複雑にしている。

 

 他の者がどこに行こうが勝手だがお前たちは違う。お前たちの魂の中で流れが複雑に絡み合と、それを元に戻すのが大変なのだ。私に無駄な仕事をさせないで欲しい。早速戻るまで瞑想しなさい。後日、1000ルピー(2000円で半月分)の口止め料を渡した運転手に文句を言うが、けろっとしたもので、俺はスワミの使用人だ。でお終いでした。その時スワミは里帰りしていたとの事でした。

 

 


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