インド神話に出てくる神には、頭が三つある神や手が九本あったりと、現実には考えられない様相で出てくる。ゆえに作り話だと真面目に考える事も出来ないし、理解も出来ない。が、この神話の中にこそ真実が隠されているのである。少し視点を変えて考えてみればわかるのである。
シヴァ神の奥様は、パールヴァティーである。パールヴァティーはヒマラヤの土着宗教家の家に生まれ、シヴァ神に見染められ嫁になるのであるが、パールヴァティーには三つの呼び名がある。ドゥルガー・カーリーである。平安である時は、貞淑な妻であるパールヴァティーとして生活するのであるが、事情が変わると日ごろは隠れている性格が表に現れる。
これは人間も一緒ではないだろうか?亭主が浮気をすれば日頃貞淑な妻の顔は一変するし、言葉も一変する。そして浮気相手に戦いを挑むことにもなる。この時が、ドゥルガー神に変身した時である。これでも心の平安が戻らない時は、相手の親族一党や民族にまで戦いを仕掛ける事になるのだが、ドゥルガー神に与えられた武器や体力では戦えないのでカーリー神に変身して戦う事になる。※カーリー神は第三の目が開いている意味を理解しなければならない。
これをアスラー界の悪鬼と戦う事に置き換える。そしてアスラー界を自分の思考回路に置き換えると意味が少しは理解できるであろう。パールヴァティーは嫁入り道具の一つとして親からライオンの乗り物を頂いた。一説には虎であると記されているがライオンである。
このライオンに乗りアスラ界に乗り込んだのである。アスラー界つまり自分のもう一つの脳内にある次元の世界に乗り込み、ふつふつ沸き起こる魔性な考えの源に戦いを挑んだのである。この魔とはブッダも苦労しながら戦ったと記されている。ゆえに瞑想とは、この次元に入り込み、自分の中に隠れている魔性を持つ悪鬼退治が目的ではないだろうか。
自分の中に潜む邪悪な考えの住処は霊界の次元にあり、この次元に入り込み邪悪な考えの源を中和(カルマの清算)をしなければならない。その世界は死後の世界(前世の行い) にあると教えるためにカーリー神は首に髑髏(どくろ)をぶら下げているのではないだろうか?私たちは、正しい瞑想を行い、どくろの数の前世に遡り、カルマを中和し続けなければならないのである。これが人間に生まれた目的という事になる。