癒しの森 湯布院(仙人の健康相談室)  


人を、そして自分を癒し真なる喜びをもたらす
   
        人生の生き方を学ぶ 癒しの森湯布院

NO538・・・板前道

2018-01-23 | ヒーリング

昨日、恵比寿様の話の中で、鯛は進んで釣られると書いた。人は良くこのように云う。聖者は金を物質化出来るのなら、その金を売ればいくらでもお金は入るではないか?」恵比寿様は、鯛を釣って売れば良いではないか?・・・・・神の世界を知らない人が言う、愚問である。鯛にも金にも仏性がある。そして形がある。形あるものは全て神のエネルギーが流れており、神になる資格がある。

 

その神の化身を使って金儲けをしろと云うのと同じである。生あるものには、神仏の魂の一滴が流れている。また、姿が消えエネルギーに同化した物も、神の世界で休息するのである。我々は、金もうけをする為に生かされているのではないのである。いくらお金が入っても幸を掴むことは出来ないと、神は教えている。それを悟った聖者が、なにゆえに殺生をしなければならないのか?  意味不明である。

 

板前さんも、同じである。一つの道を探求しているのであるから板前道であろう?神の魂の一部が入った食材を使ってお客にいかにしてエネルギーを与える事が出来るかの道を修行しているのである。目に食べらせ、耳に聞かせ、鼻に嗅がせ、舌に、喉に味わって頂くかを日々精進しているのである。つまり、いかに五味を活用し、五感を司る脳にエネルギーを送り込むかを研究しているのであると思う。

縁ある人に渡すルドラクシャ(シバ神の涙)は、地下瞑想室の龍オイルに漬けられ嫁入りを待っている。

 

ゆえに材料の全てを使い切ろうと努力している。大根の尻尾であろうが葉であろうが全てを使う努力をしている。それを考えず見かけの良さだけを考え、金もうけの事ばかり考えている板前さんは、カルマを積むであろう。料理学校で習う料理と板前行を行った人の出来る料理のエネルギーは違うのである。よって高級料亭の値段が高いのは当たり前であるし、そのエネルギーが分かる人が通うのである。

 

ゆえに主婦をしながらでも、霊性修行は出来る。材料を無駄にしない事。冷蔵庫には常に新鮮なものしか保存しない。ご主人が汁の一滴まで飲み干す料理を作る。四季折々の色付けをする。魚の身の全てを食べて頂ける事に専念する。残飯は出さない様にする。これが主婦行である。

 

冷蔵庫も無く、食べ物も無かった時代に、歴史に残る聖者は修行をした。全てを美味しく頂いたであろう。頂くとは命を頂いたのである。ゆえに殺生するためのお金がどうして必要なのか?自分の肉体が喜ぶ為のお金が何故必要のか?お金は魂が喜ぶ事に使いたいものである。食べるなら、すべてを美味しく頂き、残さないで全てを食べつくすことである。それが、自分を生かすために犠牲になった食材に対する愛であり、成仏して頂く行為である。

 

地下洞窟ではなく、地下室の瞑想室。この部屋は主に天使やババ・ブッダと繋がる修行を行います。秘密が隠されているので写真は横にしてわかりづらくしています。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする