永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1037)

2011年12月07日 | Weblog
2011. 12/7     1037

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(8)

 常陸の介は、

「『このわたりに時々出で入りはすと聞けど、前には呼び出でぬ人の、何事言ひにかあらむ』と、なま荒々しきけしきなれど、『左近の少将殿の御消息にてなむさぶらふ』と言はせたれば、逢いたり」
――「時々この邸に出入りする男とは聞いていたが、目通りを許したことはない。何事を言いにきたのか」と素っ気ない返事でしたが、取り次ぎから「左近の少将のお言葉をお伝えに参りました」とのことでしたので、ともかく会うことにしました――

「かたらひ難げなる顔して、近う居寄りて、『月ごろ内の御方に消息きこえさせ給ふを、御ゆるしありて、この月の程に、と契り聞えさせ給ふこと侍るを、日をはからひて、いつしか、と思ほす程に、ある人の申しけるやう、まことに北の方の御腹にものし給へど、守の殿の御むすめににはおはせず、君達のおはし通はむに、世のきこえなむへつらひたるやうならむ』…」
――(その仲立の男は)言いにくそうな顔をして、近くにじり寄り、「この月ごろ、少将殿からこちらの北の方さまに、浮舟所望の御意向をお伝え申されましたところ、ようやくお許しが出まして、この月のうちにとお約束くださいましたので、吉日を選んで一日も早くと思っておいでのところ、ある人の申しますには、あのお方は確かに北の方がお産みになったお子ではありますが、守の殿の実子ではいらっしゃらない。そこへ少将の君ともあろうお方がお通いになっては、いかにも取り入っているようで…――

つづけて言うには、

「『受領の御婿になり給ふかやうの君たちは、ただ私の君のごとく思ひかしづきたてまつりて、手に捧げたるごと、思ひあつかひ後見たてまつるにかかりてなむ、さるふるまひし給ふ人々ものし給ふめるを、さすがにその御願ひはあながちなるやうにて、をさをさ受けられ給はで、け劣りておはし通はむこと、びんなかるべき由をなむ、切に誹り申す人々あまた侍るなれば、ただ今おぼしわづらひてなむ』…」
――「ご身分のある方で、受領の婿君になられるお方は、舅君がひたすら内々の主人のように思ってお仕えし、手に捧げるようにしてお世話もし、ご後見も申すからこそ、それを頼りにお通いになる方々も快くお出入りなさるというものだ。けれども実のお子でないとすれば、その望みもご無理というもので、舅君にはほとんど顧みられず、他の婿君よりも一段と劣ったお取り扱いをお受けになるのでは、面白くないではないか。としきりに悪口をいう者がおりまして、少将は目下思案なさっておいでで…――

「『はじめよりただきらきらしう、人の後見と頼みきこえむに、堪へ給へる御おぼえを選び申して、きこえはじめ申ししなり。さらに、他人ものし給ふらむといふこと知らざりければ、本の志のままに、まだをさなきものもあまたおはすなるを、ゆるい給はばいとうれしくなむ。御けしきを見て参うで来』と仰せられつれば」
――少将が「初めから、殿の盛んなご威勢が、ご後見と頼むにまことに頼もしいので、御文を差し上げ始めたのだ。継娘をお育てとはいっこうに存じ上げなかった。本来の望み通り、まだほかに守には幼い娘も大勢おられるそうだが、そのうちのどなたかの婿にお許しくださるなら、実にうれしいのだが。御内意を承ってくるように」との仰せでございましたので――

 と申し上げます。

では12/9に。