永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(972)

2011年07月15日 | Weblog
2011. 7/15      972

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(33)

「からうじて出で給へる、御様、いと見るかひある心地す。あるじの頭の中将、盃ささげて御台まゐる。つぎつぎの御土器、二度三度まゐり給ふ。中納言のいたく勧め給へるに、宮すこしほほゑみ給へり」
――(匂宮が)ようよう宴席に出られたそのご様子は、まことに拝見する甲斐ある心地がします。主側の頭の中将がお盃をささげて御食膳を差し上げます。次々に御土器(かわらけ)を二度三度召しあがります。薫がしきりに盃をおすすめになりますと、匂宮は苦笑いをされて――

「『わづらはしきわたりを』と、ふさはしからず思ひて言ひしを、思し出づるなめり。されど見知らぬやうにて、いとまめなり」
――「あんな窮屈で格式ばったところはご免こうむる」とおっしゃったのを、匂宮は思い出されたのでしょう。けれど薫は素知らぬふりで、大そう真面目な顔つきでいます――

「東の対に出で給ひて、御供の人々もてはやし給ふ。おぼえある殿上人どもいと多かり。四位六人は、女の装束に細長添へて、五位十人は、三重襲の唐衣、裳の腰もみなけじめあるべし。六位の四人は、綾の細長、袴など、かつはかぎりある事を、飽かずおぼしければ、物の色、しざまなどをぞ、きよらをつくし給へりける。召次、舎人などの中には、みだりがはしきまで、いかめしくなむありける」
――(薫は)やがて東の対にお出でになって、匂宮のお供の人々をもてなされます。評判の良い殿上人もたいそう多い。四位六人には女の装束に細長(ほそなが)を添え、五位十人には三重襲の唐衣(みえがさねのからぎぬ)を、裳の腰もそれぞれに差別があるらしい。六位の四人には、綾の細長に袴など。こうした折の禄(祝いの褒美)なども、夕霧はやはり臣下である身分によって限度というものがあるのを残念にお思いになって、同じ品でも色合いや仕立て方などを殊に念入りに美しくおさせになったのでした。召次(めしつぎ)、舎人(とねり)などには、度が過ぎて濫りがましくみえるほどに多くの物を与えられたのでした――

「げにかくにぎはしくはなやかなることは、見るかひあれば、物語などにも、先づ言ひたてたるにやあらむ。されど、くはしくは、えぞ数へ立てざりけるとや」
――まったくこのように賑々しく、派手やかなことは、見甲斐のあることなので、物語などでは先ず書き立てることでしょう。しかしこの度のことは詳しく数え立てることができない程だったということですよ――

「中納言の御前のなかに、なまおぼえあざやかならぬや、暗きまぎれに立ちまじりたりけむ、帰りてうちなげきて、『わが殿の、などかおいらかに、この殿の御婿にうちならせ給ふまじき。あぢきなき御ひとりずみなりや』と、中門のもとにてつぶやきけるを、聞きつけ給ひて、をかし、となむ思しける」
――薫の御前駆(さき)の者の中に、さほどの待遇に与らなかった男が、暗い物陰に立っていたと見えて、その者が帰って来て物欲しげに歎くには、「うちの殿様(薫)は、何でおとなしくあの殿様(夕霧)の婿君におなりなさらぬのだろう。面白くもないお独り暮らしだよ」を、中門のもとで呟いているのをお聞きになって、薫はおかしくお思いになるのでした――

◆三重襲の唐衣(みえがさねのからぎぬ)=表の裏との間にもう一枚あるもの。

◆召次、舎人(めしつぎ、とねり)=院や宮に仕えて雑役を勤める人。

では7/17に。

源氏物語を読んできて(971)

2011年07月13日 | Weblog
2011. 7/13      971

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(32)

「その日は、后の宮なやましげにおはします、とて、誰も誰も参り給へど、御かぜにおはしましければ、ことなる事もおはしまさずとて、とて、大臣は昼まかで給ひにけり」
――匂宮と六の君との御結婚三日目の日は、明石中宮がご病気らしいということで、どなたも、どなたも御所に参内なさいましたが、ちょっとしたお風邪とのことで、格別のご容態ではいらっしゃらない由、夕霧は昼のうちに退出なさいました――

 その折、薫をお誘いになって、一つ車で六条の院に向かわれます。

「今宵の儀式、いかならむきよらをつくさむ、と、おぼすべかめれど、かぎりあらむかし。この君も、心はづかしけれど、親しき方のおぼえは、わが方ざまにまたさるべき人もおはせず、物の栄えにせむに、心ことにおはする人なればなめりかし」
――(夕霧は)今宵の儀式、三日夜の祝宴はどのように善美を尽くそうか、なるべく晴れがましくとはお思いになっていらっしゃるけれど、それにも臣下としては限度があるというもの。この薫を招待するのも以前のいきさつ(はじめは薫を六の君の婿にと)があって気が退けるところもあるけれども、親しい身内で世間の人望も格別で、この人を置いては相応しい人はいない。祝宴の引き立て役には特にすぐれた人なのであろう、この薫という人は――

「例ならずいそがしくまで給ひて、人の上に見なしたるを口惜しとも思ひたらず、何やかやともろ心にあつかひ給へるを、大臣は人知れずなまねたし、とおぼしけり」
――(薫は)いつに似ず忙しく夕霧のところへ参られて、六の君を他人のものにしたことを口惜しいと思うご様子もなく、何やかやと御一緒にお世話なさることを、夕霧はひそかに忌々しいと思うのでした――

「宵すこし過ぐる程におはしましたり。寝殿の南の廂、東によりて御座参れり。御台八つ、例の御皿など、うるはしげにきよらにて、またちひさき台二つに、花足の皿ども、いまめかしくせさせ給ひて、餅まゐらせ給へり」
――宵を少し過ぎた頃に匂宮がお出でになりました。寝殿の南廂の東に寄ったところに、匂宮と六の君のご婚儀の御座所が設けてあります。食膳の高坏八つに、慣例どおり立派に美しく、そのほかに小台盤二つに華足の付いた銀製の御皿などを、当世風に設えて、餅(三日夜のもちひ)を差し上げる用意がなされてます――

「めづらしからぬこと書きおくこそにくけれ」
――こんな珍しくもないことまで書きとどめるのは気がきかないことですけれどね――
(作者の謙辞)

「大臣わたり給ひて『夜いたう更けぬ』と、女房してそそのかし申し給へど、いとあざれて、とみにも出で給はず。北の方の御兄弟の、左衛門の督、藤宰相などばかりものし給ふ」
――左大臣夕霧がお出になって、「夜もたいそう更けましたから(そろそろ婚儀をはじめたい)」と女房を姫君のお部屋に遣わして御催促になります。婿君の匂宮は、お迎えの女房を相手にお戯れになって、すぐにはお出でになりません。北の方(雲居の雁)の御兄弟の左衛門の督、藤宰相などだけが、この場(ご婚儀のお部屋)の御相伴に控えています――

◆その日は=匂宮が六の君との結婚三日目の日。

◆なやましげ=病気、具合が悪いこと。

◆もろ心=諸心=一緒にこころを合わせること

では7/15に。


源氏物語を読んできて(970)

2011年07月11日 | Weblog
2011. 7/11      970

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(31)

 匂宮は中の君に対して、いつも以上にご機嫌をおとりになって、全然お食事をなさらないのを心配されて、貴重な水菓子やその道の専門家をお呼びになって特に料理を調えさせなどしては、中の君にお勧め申されますが、中の君は、お食事などまるで人事のように思っておいでのご様子に、「ああ、なんと痛々しいことよ」と歎いていらっしゃいましたが、この日も暮れかけた頃になって、お出かけのために寝殿にお戻りになりました。

「風涼しく大方の空をかしき頃なるに、今めかしきにすすみ給へる御心なれば、いとどしくえんなるに、物おもはしき人の御心の中は、よろづにしのび難き事のみぞ多かりける。ひぐらしの鳴く声にも、山の陰のみ恋しくて、(歌)『おほかたに聞かましものをひぐらしの声うらめしき秋の暮れかな』」
――風も涼しく吹き出して、大方の空の風情も味わいのある頃ですので、匂宮の今風に派手好きなご性分から、いつもよりいっそうお気持が華やいでいらっしゃいますが、一方の中の君は物思いに沈んで、何かにつけて耐えがたいことが多いのでした。蜩(ひぐらし)の鳴く声をお聞きになるにつけ、あの宇治の山里が恋しくて、(歌)「宇治にいたならば、ただ一通りの淋しさと聞くでしょうが、今は蜩(ひぐらし)の声がとりわけ恨めしく聞こえる秋の暮れですこと」――

「今宵はまだ更けぬに出で給ふなり。御さきの声の遠くなるままに、海人も釣するばかりになるも、われながら憎き心かな、と、思ふ思ふ聞き臥し給へり。はじめより物思はせ給ひしありさまなど思ひ出づるも、うとましきまで覚ゆ」
――(匂宮は)この夜もまだ更けないうちに六の君のところへお出かけになるようです。御前駆(おさき)の声が遠ざかっていくにつれ、中の君は涙で枕がぬれとおるのもわれながら厭わしい心だと思い思い、その声を聞きながら臥してしまわれました。匂宮がはじめから自分に物思いをおさせになったこと(夜離れ)を思い出されるにつけ、今更ながら宮の情なさを歎くわが身をおぞましくも思われるのでした――

 中の君はお心の中で、

「このなやましき事もいかならむとすらむ、いみじく命短き族なれば、かやうならむついでにもや、はかなくなりなむとすらむ、思ふには、惜しからねど、悲しくもあり、またいと罪深くもあなるものを」
――このような身重な身体もこの先一体どうなるものかしら、私どもはたいそう短命な血筋なのだから、このような折にでも死んでしまうのかも知れない。そう考えたとて惜しい命ではないけれど、宮に先立って死ぬのも悲しいし、また妊って死ぬのは罪深いとも聞いていることですし――

 と、あれこれ思い煩って寝られぬままに一夜をお明しになりました。

◆海人も釣するばかりになる=古歌「恋をしてねをのみ泣けば敷妙の枕の下に海人ぞ釣する」=泣きぬれて枕の下は海のようになって、まるで海人が釣をするほど

では7/13に。


源氏物語を読んできて(969)

2011年07月09日 | Weblog
2011. 7/9      969

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(30)

 落葉宮の御文には、

「さかしらはかたはらいたさに、そそのかし侍れど、いとなやましげにてなむ。(歌)『女郎花しをれぞまさるあさ露のいかにおきけるなごりなるらむ』」
――差し出がましいことをいたしますのも心ぐるしく、六の君にご自身でお返事申し上げるように勧めましたが、たいそう辛そうでございますので、(歌)「貴方のどんな御態度によるのでしょう。六の君はいっそう悩ましげでいらっしゃいます。(六の君を女郎花に、匂宮を朝露に譬えた)」

 と、上品に書かれております。匂宮は、

「かごとがましげなるもわづらはしや。まことは、心安くてしばしはあらむと思ふ世を、おもひの外にもあるかな」
――何だか不平がましいのも厄介だなあ。本当は中の君と気楽に当分は暮らそうと思っているのに、思いの外になってしまったものだ――

 などとおっしゃる。

「また二つなくて、さるべきものに思ひならひたるただ人の中こそ、かやうなる事のうらめしさなども、見る人苦しくはあれ、思へばこれはいと難し。つひにかかるべき御ことなり。宮たちときこゆるなかにも、筋ことに世人も思ひきこえたれば、幾人も幾人のえ給はむことも、もどきあるまじければ、人も、この御方いとほしなども思ひたらぬなるべし」
――ひとりの妻を守る慣いの一般の人の間でこそ、こういう事の起こった時は、妻の立場に周囲の人も同情するでしょうが、思えば匂宮のような貴人では、これは大変難しいことで、結局はこうなる筈だったのかもしれない。匂宮は皇子たちと申し上げる中でも、格別の将来(東宮になること)をお持ちの方と、世の中の人々もお思い申しておいでであってみれば、大勢の女君をお持ちになっても非難する筈もないこと。誰もこの対の御方をお気の毒だなどとは思ってもいないに違いない――

「かばかりものものしくかしづきすゑ給ひて、心ぐるしき方おろかならずおぼしたるをぞ、幸おはしける、ときこゆめる。みづからの心にも、あまりにならはし給うて、にはかにはしたなかるべきが、なげかしきなめり」
――匂宮が中の君をこれほど重々しく、大事にお据えになって、いとしい思いが並々でなくいらっしゃるのを、中の君は幸運な方だとお噂するらしい。中の君ご自身としても、今まであまりにも匂宮が大事になさりつけたので、にわかに具合の悪いことになりそうなことが悲しいのであろう――

中の君はお心の中で、

「かかる道を、いかなれば浅からず人の思ふらむ、と、昔物語などを見るにも、人の上にても、あやしく聞き思ひしは、げにおろかなるまじきわざなりけり、と、わが身になりてぞ、なにごとも思ひ知られ給ひける」
――このように別の妻ができた場合、人はなぜ大事件のように思い騒ぐのかと昔物語などを読んだり、他人の身の上を見聞きしては不思議に思っていたものの、なるほど、いい加減には考えられないことなのだ。と、わが身になってはじめてすべてが分かったのでした。――

では7/11に。


源氏物語を読んできて(968)

2011年07月07日 | Weblog
2011. 7/7      968

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(29)

 匂宮はつづけて、中の君に、

「よし、わが身になしても思ひめぐらし給へ。身を心ともせぬありさまなり。もし思ふやうなる世もあらば、人にまさりける志の程、知らせたてまつるべきひとふしなむある。たはやすく言出づべきことにもあらねば、命のみこそ」
――まあいい、わたしの身になって考えてみてください。私は、わが身も心のままにできない身の上なのですよ。もしも思い通りにできる世にでもなりましたら、だれよりもあなたを愛おしく思っていることとして、お知らせ申したいことが一つあるんですよ。(将来即位したら中宮にしたい)今は軽々しく口に出すべきことではないので、まあ、せいぜい長生きしてください――

 こうしていらっしゃるうちに、先ほど六の君に差し上げた使いの者が、ひどく酔っ払って、中の君の手前遠慮すべきだということも忘れて、大っぴらにこの対の屋の正面に参上してきたのでした。

「海人の刈るまづらしき玉藻にかづきうづもれたるを、さなめり、と人々見る」
――(使いが)褒美の禄に貰っためずらしい衣裳を肩から被いかけているのを、なるほど、と中の君の女房たちは見ています――

 匂宮としては、

「あながちに隠すべきにはあらねど、さしぐみはなほいとほしきを、すこしの用意はあれかし、と、かたはらいたけれど、今はかひなければ、女房して御文とり入れせさ給ふ」
――六の君からのお返事を、強いて中の君に隠さなければならないわけではないけれど、中の君に見せつけるのはやはりお気の毒なのに、少しは注意してもらいたい、と、苦々しくお思いになりましたが、仕方がない、と、女房に仰せつけて御文をお受け取りになりました――

「同じくは隔てなきさまにもてなしはててむ、とおもほして、ひけあけ給へるに、継母の宮の御手なめりと見ゆれば、今すこし心安く、うち置き給へり。宣旨書きにてもうしろめたのわざや」
――どうせこうなったからには、いっそのこと、中の君に隠しだてがない風にしてしまおうと、封をお開きになりますと、継母(落葉宮)の御手蹟らしいので、いくらかほっとなさって、下にお置きになります。しかしいくら御代筆でも、後朝の文のお返しをご覧になるのは、こういう時には随分具合の悪いことではありますけれどねえ――

◆さなめり=然なめり=さ・なめり=六の君への使いで、先方から貰って来たということ。

◆継母の宮(ままははのみや)=落葉宮のこと。【夕霧の巻】で、夕霧と藤典侍腹の六の君について、その養育を落葉宮に託した由が見える。夕霧は、器量良しの六の君を将来有望な婿取りの切り札と考えて、内親王だった未亡人落葉宮を妻の一人とし、養女を頼んだいきさつが書かれている。

では7/9に。


源氏物語を読んできて(967)

2011年07月05日 | Weblog
2011. 7/5      967

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(28)

中の君は、

「日ごろも、いかでかう思ひけりと見え奉らじ、と、よろづにまぎらはしつるを、さまざまに思ひ集むる事し多かれば、さのみもえもて隠されぬにや、こぼれそめては、とみにもえためらはぬを、いとはづかしくわびし、と思ひて、いたく背き給へば、しひてひきむけ給ひつつ」
――この日頃、何とかして自分がこのように匂宮をお恨み申しているなどとは、決してお見せ申すまいと、万事に気を紛らわしてはいらっしゃるものの、さまざまな思いがこみ上げてきて、もはや抑え切れなくなったのでしょう、一度涙がこぼれ出すと急には止められず、恥ずかしく辛いこととは思いながら、お顔を背けておいでになります。それを匂宮は無理にもご自分の方にお引き向けになって――

「『きこゆるままに、あはれなる御ありさまと見つるを、なほへだてたる御心こそありけれな。さらずば夜の程におぼし変わりにたるか』とて、わが御袖して涙をのごひ給へば」
――「あなたは私が申し上げることを素直に聞いてくださる可愛い方だと思っていましたのに、やはり私に隔て心がおありだったのですね。そうでなければ一夜のうちに心変わりなさったのですか」と、おっしゃって、ご自分の御袖で中の君の涙を拭いてさしあげます――

 匂宮のやさしさに、

「夜の間の心がはりこそ、のたまふにつけて、おしはかられ侍りぬれ」
――「あなたこそ一夜のうちに心変わりされたということが、今おっしゃったお言葉でよくよく分かりました」――

 と少し微笑まれます。つづけて匂宮が、

「げにあが君や、をさなの御物いひやな。されどまことには心に隈のなければ、いと心やすし。いみじくことわりしてきこゆとも、いとしるかるべきわざぞ。むげに世のことわりを知り給へはぬこそらうたきものから、わりなけれ」
――なんと可愛らしい人よ。それは他愛のない言いがかりというものですよ。こちらは実際には心に隠すところはありませんから、まことに平気なものです。うまく理屈を合わせて申したところで、嘘か本当かははっきりするものでしからね。あなたは全く夫婦の道をご存知ないのは、可愛いけれども困ったものだ――

では7/7に。


源氏物語を読んできて(966)

2011年07月03日 | Weblog
2011. 7/3      966

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(27)

 匂宮はわけもなく涙ぐまれて、しばらく中の君を見つめておられて、

「などかくのみなやましげなる御けしきならむ。暑き程のこととかのためひしかば、いつしかと涼しき程待ち出でたるも、なほはればれしからぬは、見ぐるしきわざかな。さまざまにせさする事も、あやしく験なき心地こそすれ。さはありとも、修法はまた延べてこそはよからめ。験あらむ僧もがな。なにがし僧都をぞ、夜居にさぶらはすべかりける」
――どうしてこんな風に苦しげなご様子が続くのでしょう。暑いうちのこととかおっしゃっていましたから、涼しくなればと待ちかねておりましたのに、まだすっきりとなさらないのは困ったことですね。いろいろと祈祷をさせているけれども、不思議に効き目がないようだし。しかし修法はこれからも続けたほうがようでしょう。効験のあらたかな僧はいないものか。あのなにがしかの僧都に夜居を勤めてよかったのに――

 などと、細々とおっしゃる。中の君は、

「かかる方にも言よきは、心づきなく覚え給へど、むげに答へきこえざらむも例ならねば、『昔も、人に似ぬ有様にて、かやうなる折はありしかど、おのづからいとよくおこたるものを』とのたまえば」
――こういうことには、匂宮の口先のよいのが厭な気がなさいますが、全くお返事をなさらないのも常のようではありませんので、「私は以前にも人と違った体質でこんな事がよくありましたが、そのうち自然に癒ってしまうのです」と申し上げますと――

「『いとよくこそさわやかなれ』とうち笑ひて、なつかしく愛敬づきたる方は、これにならぶ人はあらじかし、とは思ひながら、なほまたとくゆかしき方の心いられも立ちそひ給へるは、御志おろかにもあらぬなめりかし」
――(匂宮は)「よくまあ、さっぱりしたものですね」と苦笑いをなさる。やさしくて可愛らしい点では、中の君に並ぶ人はいないと思われるものの、やはり一方では、早く六の君に逢いたいものと焦る気持ちに急き立てられるのは、六の君へのご愛情の並々ならぬということでしょう――

 中の君とご一緒のときは、今までと変わることもなく、来世までもと行く末をお約束されることなど尽きないのでした。匂宮のそれを伺うにつけても、中の君は、

「げにこの世は短かめる、命待つ間も、つらき御心は見えぬべければ、後の契りや違わぬこともあらむ、と思ふにこそ、なほこりずまにまたも頼まれぬべけれ、とて、いみじく念ずべかめれど、えしのびあへずにや、今日は泣き給ひぬ」
――確かにこの世は短かそうで、命が尽きる間にもきっと辛く思えるお心が見えるに違いないから、せめてあの世の約束は違わず守ってくださるだろうと、そんな風に思えばこそ、やはり性懲りもなくおすがりせずにはいられないわが身である、と、じっと我慢しておいでになるようでしたが、それとても堪え切れず、今日は泣いておしまいになるのでした――

◆言よきは=口先ばかり上手なのは

◆いとよくこそさわやかなれ=実にさっぱりとしたものですね。中の君が嫉妬を顕わにしなかったこと。この時代、男性が女性に求める最大の美点は、嫉妬しないことであった。

では7/5に。


源氏物語を読んできて(965)

2011年07月01日 | Weblog
2011. 7/1      965

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(26)

 六の君にお逢いしてみると、

「さやうなる御けはひにはあらぬにや、御志おろかなるべくもおぼされざりけり。秋の夜なれど、更けにしかばにや、程なく明けぬ」
――実際は、そうでなかったのでしょう。六の君へのご愛情は、いい加減にしておこうなどというものではなかったのでした(たいそう気に入られて)。秋の夜長ではありましたが、更けてからお出でになったせいか、間もなく夜も明けたのでした――

「帰り給ひても、対へはふともえ渡り給はず、しばし大殿ごもりて、起きてぞ御文書き給ふ。『御けしきけしうはあらぬなめり』と、御前なる人々つきじろふ」
――(匂宮は)二條院に帰られても、対へはすぐにもお渡りにならず、しばらくお寝すみになってから、お起きになって六の君に後朝の御文をお書きになります。「ご機嫌は悪くなさそうですこと(六の君を気に入られたようですね)」と、お側に仕える侍女たちは、目引き、袖引き合っています。――

「『対の御方こそ心ぐるしけれ。天の下にあまねき御心なりとも、おのづからけおさるることもありなむかし』など、ただにしもあらず、皆馴れ仕うまつりたる人々なれば、安からずうち言ふ事どももありて、すべてなほねたげなるわざにぞありける」
――「(女房たちは)対の御方(中の君)こそ、ほんとうにお気の毒ですこと。どんなに匂宮がお二人を分け隔てなく平等に愛されるおつもりでも、御相手が左大臣の御姫君であってみれば、自然、六の君に厭倒される事にもなるでしょうし」などと、とても平常ではいられず、いずれも以前から中の君に親しく仕えている人たちなので、癪にさわってとやかく言う者もいて、何もかも妬ましく思っている様子です――

 匂宮は、

「御返りも、こなたにてこそは、とおぼせど、夜の程のおぼつかなさも、常のへだてよりはいかが、と、心ぐるしければ、いそぎ渡り給ふ」
――(後朝のお便りに対しての)六の君からのお返事を、このままこのお部屋で待っていたいと思いながらも、昨夜一晩空けてしまった中の君へのご心配もあって、いつもの不在の様子とどう違うのか気になられて、急いで中の君の対にお渡りになります――

「寝くたれの御容貌、いとめでたく見どころありて、入り給へるに、臥したるもうたてあれば、すこし起きあがりておはするに、うちあかみ給へる顔のにほひなど」
――中の君の寝起きのお顔が、まことに美しく見映えがして、匂宮が来られたので、臥していますのも具合悪く、少しお起きになるそのご様子は、お顔にほんのり赤味がさして、今朝は格別美しい――

◆ふともえ渡り給はず=ふと・も・え、渡り給はず=ほんのちらりともまったくお渡りにならず。

◆つきじろふ=突きしろふ=互いに膝などをそっと突きあう。

では7/3に。