永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(944)

2011年05月21日 | Weblog
2011. 5/21      944

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(5)

 帝の仰せに、薫は無言で階を下りて、風情ある枝を折って持ってきて、

(薫の歌)「世の常の垣根ににほふ花ならばこころのままに折りて見ましを」
――普通の家の垣根に匂う花でしたら自由に折って賞美しましょうものを(御前の花ではそれもできません。暗に女二の宮を辞退する意を示す)

 と申し上げます。しかし、お心のほどはお歌ほどでもないように見えます。

(帝の歌)「霜にあへず枯れにし園の菊なれどのこりの色はあせずもあるかな」
――霜に耐えかねて枯れた園の菊のように、母の藤壺は亡くなってしまわれたが、あとに残った色のように女二の宮は美しく育っていることよ――

「かやうに、折々ほのめかさせ給ふ御けしきを、人づてならず承りながら、例の心の癖なれば、いそがしくも覚えず」
――このように、帝が薫に女二の宮を下さろうと、折々仄めかされますのを、直々に承りながら、薫はいつもの気長なご気性で、ゆったりと構えておいでになります――

「いでや、本意にもあらず、さまざまにいとほしき人々の御事どもをも、よく聞きすぐしつつ年経ぬるを、今更に聖やうのものの、世にかへり出でむ心地すべきこと、と思ふもかつはあやしや」
――いや、女二の宮を頂くなどは、もともと自分の望みでもない。あの宇治の中の君や、左大臣夕霧の六の君など、あちらこちらお断りしては申し訳ないようなご縁談を、さりげなく聞き流しながら年を経てきたものを、今更妻を迎えるなどとは、僧などの身が還俗するような心地がするものだ。こんなことを思うのも考えてみれば妙なことよ――

 また、

「ことさらに心をつくす人だにこそあなれ、とは思ひながら、后腹におはせばしも、と覚ゆる心のうちぞ、あまりおほけなかりける」
――女二の宮ならば恋い焦がれている人もいらっしゃるだろうに、だが自分としてはできれば明石中宮からお生まれになった内親王であったら良かったのに、と思ったりするのは、あまりにも望みが高すぎることだ…――

◆薫は身分から言えば臣下である。(女三宮は臣下の源氏に降嫁したので)八の宮の姫君たちも、女二の宮も皇室の内親王という身分。

では5/23に。