2011. 5/19 943
四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(4)
帝はまた、お心の内で、
「もとより思ふ人持たりて、聞きにくき事などうち交ずまじく、はたあめるを、つひにはさやうの事なくてもえあらじ、さらぬ前に、さもやほのめかしてまし、など折々おぼしめしけり」
――前々から思う人があったとしても、そのために女二の宮に対して、聞きづらいような情れない仕打ちにおよぶこともあるまい。また、いくら忘れ難い人を失ったといっても、いつかは本妻を定めないわけにはいくまい。そうならぬ前に、女二の宮との結婚の事をそれとなく仄めかしてみよう、と時々お思いになるのでした――
「御碁などうたせ給ふ。暮れゆくままに、時雨をかしき程に、花の色も夕映えしたるを御らんじて、人召して、『ただ今、殿上には誰々か』と問はせ給ふに、『中務の親王、上野の親王、中納言源の朝臣さぶらふ』と奏す」
――(帝は女二の宮と)碁をお打ちになっていらっしゃるうちに、日が暮れていきます。時雨が趣きを添えて、菊の花も夕映えに美しく映えるのをご覧になりながら、帝は人を召して、「今、殿上には誰と誰が控えているか」とお尋ねになりますと、侍臣が、「中務の親王(なかつかさのみこ)、上野の親王(かんづけのみこ)、中納言源の朝臣(ちゅうなごんみなもとのあそん)が伺候しております」と奏上されます。
「『中納言の朝臣こなたへ』と仰せ言ありて、参り給へり。げにかくとり分きて召し出づるもかひありて、遠くより薫れるにほひよりはじめ、人に異なるさまし給へり」
――(帝が)「中納言の朝臣(薫)をこちらへ」との仰せ言がありましたので、薫が参上されます。なるほどこうして帝が特別に召し出されるだけのことがあって、遠くから匂って来る薫りといい、美しいそのお姿といい、他の人とは比べようがありません――
帝は、こちらは喪中のこととて、管弦の遊びなどもなく、退屈でこまっている、とおっしゃって、碁盤を持ってこさせて、薫にお相手をおさせになります。いつものようにお側近くに召してはお放しにならないのはいつものことで、今日もそうなのかと薫が思っていますと、帝は、
「『よき賭物はありぬべけれど、軽々しくはえ渡すまじきを、何をかは』などのたまわする御けしき、いかが見ゆらむ、いとど心づかひしてさぶらひ給ふ」
――「結構な賭物(のりもの)がある筈だが、軽々しくは渡せない。さて何にしようか」などと気を持たせて仰せになります。中納言は帝の真意をどうお取りになったものか、いっそう神妙に控えておられます――
さて、碁盤にお向かいになると、三番の勝負に一番を帝がお負けになられ、「残念な」と
おっしゃって、
「『先づはこの花一枝ゆるす』と。
――「とりあえず、今日はこの菊の花を一枝だけ許す」と。
では5/21に。
四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(4)
帝はまた、お心の内で、
「もとより思ふ人持たりて、聞きにくき事などうち交ずまじく、はたあめるを、つひにはさやうの事なくてもえあらじ、さらぬ前に、さもやほのめかしてまし、など折々おぼしめしけり」
――前々から思う人があったとしても、そのために女二の宮に対して、聞きづらいような情れない仕打ちにおよぶこともあるまい。また、いくら忘れ難い人を失ったといっても、いつかは本妻を定めないわけにはいくまい。そうならぬ前に、女二の宮との結婚の事をそれとなく仄めかしてみよう、と時々お思いになるのでした――
「御碁などうたせ給ふ。暮れゆくままに、時雨をかしき程に、花の色も夕映えしたるを御らんじて、人召して、『ただ今、殿上には誰々か』と問はせ給ふに、『中務の親王、上野の親王、中納言源の朝臣さぶらふ』と奏す」
――(帝は女二の宮と)碁をお打ちになっていらっしゃるうちに、日が暮れていきます。時雨が趣きを添えて、菊の花も夕映えに美しく映えるのをご覧になりながら、帝は人を召して、「今、殿上には誰と誰が控えているか」とお尋ねになりますと、侍臣が、「中務の親王(なかつかさのみこ)、上野の親王(かんづけのみこ)、中納言源の朝臣(ちゅうなごんみなもとのあそん)が伺候しております」と奏上されます。
「『中納言の朝臣こなたへ』と仰せ言ありて、参り給へり。げにかくとり分きて召し出づるもかひありて、遠くより薫れるにほひよりはじめ、人に異なるさまし給へり」
――(帝が)「中納言の朝臣(薫)をこちらへ」との仰せ言がありましたので、薫が参上されます。なるほどこうして帝が特別に召し出されるだけのことがあって、遠くから匂って来る薫りといい、美しいそのお姿といい、他の人とは比べようがありません――
帝は、こちらは喪中のこととて、管弦の遊びなどもなく、退屈でこまっている、とおっしゃって、碁盤を持ってこさせて、薫にお相手をおさせになります。いつものようにお側近くに召してはお放しにならないのはいつものことで、今日もそうなのかと薫が思っていますと、帝は、
「『よき賭物はありぬべけれど、軽々しくはえ渡すまじきを、何をかは』などのたまわする御けしき、いかが見ゆらむ、いとど心づかひしてさぶらひ給ふ」
――「結構な賭物(のりもの)がある筈だが、軽々しくは渡せない。さて何にしようか」などと気を持たせて仰せになります。中納言は帝の真意をどうお取りになったものか、いっそう神妙に控えておられます――
さて、碁盤にお向かいになると、三番の勝負に一番を帝がお負けになられ、「残念な」と
おっしゃって、
「『先づはこの花一枝ゆるす』と。
――「とりあえず、今日はこの菊の花を一枝だけ許す」と。
では5/21に。