永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(925)

2011年04月13日 | Weblog
2011.4/13  925

四十七帖 【早蕨(さわらび)の巻】 その(7)

「かしこにも、よき若人童などもとめて、人々は心ゆき顔にいそぎ思ひたれど、今はとてこの伏見を荒らしはてむも、いみじう心細ければ、歎かれ給ふことつきせぬを、さりとても、またせめて心ごはく、堪え籠りてもたけかるまじく」
――宇治でも、美しく若い侍女や、女の童などを探し出して準備をし、人々は嬉しそうに上京を急いでいますが、中の君はいよいよこの山荘を離れて行くのを寂しくも心細くもお嘆きになりますが、そうかといって、強情を張って宇治にじっと籠っていたところで、どうなることでもなく――

 匂宮からも、

「『浅からぬ中の契りも、絶えはてぬべき御すまひを、いかに思し得たるぞ』とのみ、うらみきこえ給ふも、すこしはことはりなれば、いかがすべからむ、と思ひみだれ給へり」
――「浅からぬ二人の縁も、絶えてしまいそうな不便なお住いですが、どうご決心がつきましたか」とばかり、恨みをこめて催促されますのも、なるほどとも思われ、どうしたものかと思い乱れていらっしゃいます――

「二月の朔日頃とあれば、程近くなるままに、花の木どものけしきばむも、残りゆかしく、峰の霞のたつを見棄てむことも、おのが常世にてだにあらぬ旅寝にて、いかにはしたなく人わらはれなる事もこそ、など、よろづにつつましく、心ひとつに思ひ明かし暮らし給ふ」
――中の君を京へお迎えになるのは、二月の一日頃ということで、その日が近づくにつれて、桜のつぼみの膨らむのにも未練が残り、峰に立つ霞を見棄ててゆくというのも、言い古された歌の「春霞立つを見棄ててゆく雁は花なき里に住みやならへる」の雁のような心地がするのでした。京に行っても中の君にとりましては、永久の住処にでもない旅住いで、どんなにかきまり悪く物笑いになることもあろうかと、万事に気が負けてお心一つに思いあぐねて過ごしていらっしゃるのでした――

「御服もかぎりあることなれば、脱ぎ棄て給ふに、御禊ぎも浅き心地ぞする。親一所は、見奉らざりしかば、恋しきことは思ほえず。その御かはりにも、この度の衣を深く染めむ、と、心にはおぼし宣まへど、さすがにさるべきゆゑもなきわざなれば、あかず悲しきことかぎりなし」
――喪服を着る期間にも期限のあることですので、(姉妹の服喪は三カ月)喪服を脱ぐとき、河原に出てする禊ぎも、姉君に薄情な気がなさいます。中の君は母君をご存知なく育ちましたので、母を恋しいと思うことはありませんでしたが、代わりに姉君に対しては、母君の喪のお代わりとしても、今度の喪服は濃い色に染めようとお思いになりましたが、やはりそのような理由はなりたちませんので、悲しいこと限りない思いでいらっしゃいます――

◆今はとてこの伏見を荒らしはてむも=古今集「いざここにわが世は経なむ菅原や伏見の里の荒れまくも惜し」

では4/15に。