永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(十二単)

2008年05月06日 | Weblog
十二単(じゅうにひとえ)

正式名は五衣唐衣裳(いつつぎぬ、からぎぬ、も)、または女房装束(にょうぼうしょうぞく)という。実際は12枚衣を重ねるわけではないため俗語であるが、一般的にこちらの名称で呼ばれることが多い。「十二単」という言葉が書物に初めて現れたのは、『源平盛衰記』である。源平盛衰記の建礼門院入水の段で「弥生の末の事なれば、藤がさねの十二単の御衣を召され」と書かれている。
女性の「直衣」に当たるのが「十二単」であった。
十二単は二十キロ程あり春用夏用秋用冬用があったとされる。

襲(かさね)

袿の上下に重ねることを「襲(かさね)」といい、その色の取り合わせを襲の色目という。一方、袷の表地と裏地で色を違えることは「重ね(かさね)」といい、下につけた衣の色がすかして上に映るところに見所がある。
襲は袖口・裾などに衣がすこしずつ覗き、十二単の着こなしの工夫が多くなされたところでもある。ある女房は襲に凝り、通常よりも多くの衣を重ねたが衣の重さのために歩けなくなったとある。このように平安時代は袿の枚数に定めがなかったが、室町時代には五枚となり、五衣と呼ばれるようになった。

重ねの色目には裏と表の取り合わせで固有の呼び名があり、春夏秋冬に分類されていた。古典でしばしば言及される代表的な重ねとして、服喪の際の青鈍(あをにび:表裏とも濃い縹色)、春の紅梅(表は紅、裏は紫または蘇芳)などがある。
襲も同様で、色の重ね方に決まりがあり、それぞれに固有の呼び名があった。但し、重ねと襲には同じ名称のものが見受けられ、古典研究の際の混乱の元にもなっている。

十二単では季節ごとに対応する色目の襲を着用したが、通年使われるものもあった。また弔事にも決まった色目が使われた。また天皇妃が出産する際には、妃はもちろんその世話をする女房も白づくめの十二単をまとう慣例になっていた(『紫式部日記』)。

◆写真は、風俗博物館より十二単

源氏物語を読んできて(袿・うちぎ)

2008年05月06日 | Weblog
袿(うちき、うちぎ)

語源は、
唐衣等より身体側に着付ける「うちがわのきもの」の略から着たという説や、「打ちかける着物」の略からきたという説がある
平安時代の貴族の一般的な形の衣服。男女とも用いる。

単に衣(きぬ)ともいう。衣とは上半身に着る服の総称的な意味合い。
構造は、現在の着物に近く、袂(たもと)が開いている。
素材は、夏は生絹(すずし)、冬は織物や平絹(ひらぎぬ)の袷(あわせ)。冬の寒いときは綿衣(わたぎぬ:間に真綿が入っている)もあり。

女性の普段着として、袿装束のように外側に着ることもあるが、内着にも使われ、男性装束では、直衣(のうし)・狩衣(かりぎぬ)の中に、女性は、女房装束(にょうぼうしょうぞく)や小袿(こうちぎ)・細長(ほそなが)の中に用いる。

ね衵(かさねあこめ)の構成
1. 長袴(ながばかま)
2. 単衣(ひとえ)
3. 衵(あこめ)=袿 数枚

袿姿(うちぎすがた)の構成(平安後期~)
1. 小袖(こそで)数枚
2. 長袴(ながばかま)
3. 単衣(ひとえ)
4. 袿 数枚

源氏物語を読んできて(41)

2008年05月06日 | Weblog
5/6  

【葵】の巻 (4)

 左大臣方の葵の上の車は、はっきりとそれと分かるので、人々は皆畏まって通られる。六條御息所は、惨めにも、またたまらなくもお思いになり
「涙のこぼるるを、人の見るもはしたなけれど、目もあやなる御様容貌(かたち)のいとどしう出栄え(いでばえ)を見ざらましかば、と思さる」
――涙のこぼれるのを人に見られるのは恥ずかしいけれど、眩しいほどの源氏のお姿や容貌の、人の中で一層見栄えのするのを見なかったなら、やはり惜しかったと思ったはず、と、お思いになる――

 供奉の人々が、それぞれの身分に応じて精一杯整えてのご一行ですが、源氏の美しさは
「世にもてかしづかれ給へるさま、木草も靡かぬはあるまじげなり」
――世にもてはやされている源氏の姿は、草や木も認めぬものがあるはずもないようです――

見物人の、そのありさまときたら、
「壺装束などいふ姿にて、女ばらの賤しからぬや、また尼などの世を背きけるなども、倒れ転びつつ、もの見に出でたるも……」
――壺装束(市女笠をかぶり、上着の両褄を前腰に折って挟んだ婦人の外出着)の女たち、また、世を捨てた筈の尼たちが、倒れ転ばんばかりに、もの見に出てきているのも、(普段なら、浅ましい光景と思うが、今日はもっともなことです。)――

ここで、作者の下層階級に対する描写がまだまだ続きます。
 
 歯が抜け、口がすぼまって、髪を上着の中に突っ込んだ、賤しい老女たちが、手を合わせて額に当てながら、お見上げしているのも、間が抜けていてみっともない。身分が低くて賤しい男までもが、自分の顔の無様さも忘れて笑っているなど、見られたものではありません。とるに足らぬ受領の娘などさえ、精一杯飾り立てた車に乗り、ことさら様子ぶって決め込んでいるのなどは、一方では興味ある見ものですこと。

 ◆下じもの者たちにとっても、「晴れ」のお裾分け。美しい人、美しいものを目にするのは、長寿の薬と言われた当時です。すぐれた描写でしょうが、例によって、そこまで言うのは……。

 ◆写真は、京都の鴨川