永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(遊び・双六)

2008年05月17日 | Weblog
双六(すごろく)

 双六は現在にもみられるが、現在の双六とは異なり、六盤の区画の上に黒白各十五個の駒を置き、二人が交互にサイコロを振ってその目数によって駒を進める。サイコロは現在と同じく各面に一個から六個の点を打つ。

◆写真は風俗博物館より

源氏物語を読んできて(52)

2008年05月17日 | Weblog
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【葵】の巻 (15)

年が改まって
源氏は、元日に桐壺院、内裏に参上して後、左大臣宅へ渡られます。左大臣も大宮も新年でありながら涙にくれていらっしゃるのに、まして源氏がお出でになられたので、またも思い出されてたまらなく悲しまれます。
しばらくお会いにならなかった源氏を、お二人は
「御年の加はるけにや、ものものしきけさへ添ひ給ひて、ありしよりけに、清らに見え給ふ。」
――源氏はお年が加わって、重々しい様子まで添われて、以前よりずっとお綺麗にお見えになる――(清ら=第一級の賛辞)
 
源氏は若宮(夕霧)をごらんになると、随分大きくなって
「まみ、口つき、ただ東宮の御同じさまなれば、人もこそ見奉りとがむれ、と見給ふ」
――目元や口つきが東宮(源氏と藤壺の御子)と瓜二つなので、もしかして人が不審に思いはすまいかと、ご心配になります――
 
 大宮は、今までのしきたりどおり、新年の御装束を源氏にご用意なさっていてお待ちしていましたので、源氏は晴れ着に着替えをなさって、それにしても葵の上の御装束が無いのを物足りないとお思いになります。

 御衣裳の御下襲は、色も織ざまも世間普通のものではなく、全く特別なものでした。
大宮のうた「新しき年ともいはずふるものは旧(ふ)りぬる人のなみだなりけり」
――新年だというにもかかわらず、昔のままに降るものは老人の愚痴の涙の雨でした――
 
作者のことば
これほどのお嘆きは、本当に並大抵のことではありません。

◆ 「葵」終わり。


源氏物語を読んできて(下襲)

2008年05月17日 | Weblog
下襲(したがさね)

 束帯装束で、袍の下に着る垂領の内衣。
両脇を縫わず、丈は前身頃が腰の辺りまでで、後身頃は長く伸ばして引きずります。

 束帯の袍(うえのきぬ)の下に着る下襲(したがさね)のすその部分を裾(きょ)または「尻」という。平安時代初期までは等身であったが、次第に長くなり官位の高さに応じて長く引きずるようになった。

◆写真は 一日晴(いちにちばれ)の裾(きょ)を高欄にかけています。
 風俗博物館より

源氏物語を読んできて(遊び・貝合わせ)

2008年05月17日 | Weblog
貝合(かいあわせ)

「貝合せ」とは、本来は同じ種類の貝の姿の優劣を競う物合せのひとつである。
写真はこの「貝合せ」の様子である。これに対して「貝覆(かいおおい)」は平安末期以後の遊びで、蛤の貝殻の左右を地貝と出貝とに分け、地貝を並べて置き、出貝をひとつずつ出して地貝と合っているものを取り、多く取った方を勝ちとする遊びである。

 後世、一組の貝の内側に同じ絵を美しく描くようになった。後に、「貝合せ」と「貝覆い」は混同されるようになり、現在は「貝合せ」の名のみが残っている。

◆写真は 風俗博物館より