七六 懸想文にて来たるは (89) 2018.9.25
懸想文にて来たるは、言ふべきにもあらず。
ただうち語らひ、またさしもあらねど、おのづから来などする人の、簾の内にて、あまた人々ゐて物など言ふに入りて、とみに帰りげもなきを、供なるをのこ、童など、「斧の柄も朽しつべきなンめり」と、むつかしければ、長やかにうちながめて、みそかにと思ひて言ふらめども、「あなわびし。煩悩苦悩かな。今は夜中にはなりぬらむ」など言ひたる、いみじう心づきなく、かの言ふ者は、とかくもおぼえず、このゐたる人こそ、をかしう見聞きつる事も失するやうにおぼゆれ。
◆◆恋の手紙の使い手としてきているのは、とやかくゆうべきものではない。
しかし、ちょっと親しく話をしたり、また、それほどでもないけれど、自然何かのついでに来たりする人が、簾の内側で、たくさんの女房たちが座って何かを話してしる所に入り込んで、すぐには帰りそうにもないのを、その男の供人の男や童子などが、「斧の柄も腐らしてしまいそうにみえる」と、長い時間待たされるのにうんざりして、長々とひとところを見つめて、ひそかに心の中で人には聞こえないだろうと言うようだけれども、「ああ、やりきれない。全く煩悩苦悩だよ。今はもう夜中になってしまっていることだろう」などと言っているのは、聞く方にとっては気に入らないが、こう言っている者については、別にどうということもないが、その座っている人こそ、今まで風情あると見たり聞いたりして
いたことも、消え失せてしまうように感じられる。◆◆
■懸想文=ここの文、「懸想人にて」に従う。
■斧の柄も朽しつべきなンめり」=『術異記』に見える晋の王質の故事による。王質が石室山で仙童たちの囲碁を見ている間に、仙童が棗(なつめ)の核のような物をくれたが、それを口に含んでいると腹がへらない。一局終わらぬうちに斧の柄が朽ち果て、家に帰ったら、自分と同時代の人はいなかった。
■煩悩苦悩=「煩悩は」は心身を惑わし悩ますこと。「苦悩」は苦しみ悩み。作者が従者の用いそうな言葉をそのまま写したとすれば、苦しくつらいことの意で、かなり一般的に用いられていた語ということになろう。
また、色に出でてはえ言はず、「あな」と高やかにうち言ひ、うめきたるも、下行く水のほど、いとをかし。立蔀、透垣のもとにて、「雨降りぬべし」など聞こえたるも、いとにくし。
よき人、君達などの供なるこそ、さやうにはあらねど、ただ人などは、さぞある。あまたあらむ中にも、心ばへ見てぞゐてありくべき。
◆◆また、はっきりと表面には出して言えず、「ああ」と声高に言って、唸り声をたてているのも、「下行く水の」という古歌の気持ちがたいへんおもしろい。立蔀や、透垣のもとで、「きっと雨が降ってくるだろう」などという声がきこえてくるのも、ひどくにくらしい。
身分の高い人や、若者たちなどの供をしている者こそは、そんなふうではないけれど、普通の人などの場合は、そんなことだ。従者はたくさんいるだろう中でも、気立てをきちんと見たうえで連れてまわるべきである。◆◆
■うめきたる=「う」擬声語。「めく」接尾語。
■下行く水の=古今集「心には下行く水のわき返り言はで思ふぞ言ふにまされる」第二句をとって下二句の意を利かせたもの。口に出して言わないのは、言うのより一層思いがまさる。
■透垣(すいがい)=板や竹を間をすかせるようにして組んだ垣。
懸想文にて来たるは、言ふべきにもあらず。
ただうち語らひ、またさしもあらねど、おのづから来などする人の、簾の内にて、あまた人々ゐて物など言ふに入りて、とみに帰りげもなきを、供なるをのこ、童など、「斧の柄も朽しつべきなンめり」と、むつかしければ、長やかにうちながめて、みそかにと思ひて言ふらめども、「あなわびし。煩悩苦悩かな。今は夜中にはなりぬらむ」など言ひたる、いみじう心づきなく、かの言ふ者は、とかくもおぼえず、このゐたる人こそ、をかしう見聞きつる事も失するやうにおぼゆれ。
◆◆恋の手紙の使い手としてきているのは、とやかくゆうべきものではない。
しかし、ちょっと親しく話をしたり、また、それほどでもないけれど、自然何かのついでに来たりする人が、簾の内側で、たくさんの女房たちが座って何かを話してしる所に入り込んで、すぐには帰りそうにもないのを、その男の供人の男や童子などが、「斧の柄も腐らしてしまいそうにみえる」と、長い時間待たされるのにうんざりして、長々とひとところを見つめて、ひそかに心の中で人には聞こえないだろうと言うようだけれども、「ああ、やりきれない。全く煩悩苦悩だよ。今はもう夜中になってしまっていることだろう」などと言っているのは、聞く方にとっては気に入らないが、こう言っている者については、別にどうということもないが、その座っている人こそ、今まで風情あると見たり聞いたりして
いたことも、消え失せてしまうように感じられる。◆◆
■懸想文=ここの文、「懸想人にて」に従う。
■斧の柄も朽しつべきなンめり」=『術異記』に見える晋の王質の故事による。王質が石室山で仙童たちの囲碁を見ている間に、仙童が棗(なつめ)の核のような物をくれたが、それを口に含んでいると腹がへらない。一局終わらぬうちに斧の柄が朽ち果て、家に帰ったら、自分と同時代の人はいなかった。
■煩悩苦悩=「煩悩は」は心身を惑わし悩ますこと。「苦悩」は苦しみ悩み。作者が従者の用いそうな言葉をそのまま写したとすれば、苦しくつらいことの意で、かなり一般的に用いられていた語ということになろう。
また、色に出でてはえ言はず、「あな」と高やかにうち言ひ、うめきたるも、下行く水のほど、いとをかし。立蔀、透垣のもとにて、「雨降りぬべし」など聞こえたるも、いとにくし。
よき人、君達などの供なるこそ、さやうにはあらねど、ただ人などは、さぞある。あまたあらむ中にも、心ばへ見てぞゐてありくべき。
◆◆また、はっきりと表面には出して言えず、「ああ」と声高に言って、唸り声をたてているのも、「下行く水の」という古歌の気持ちがたいへんおもしろい。立蔀や、透垣のもとで、「きっと雨が降ってくるだろう」などという声がきこえてくるのも、ひどくにくらしい。
身分の高い人や、若者たちなどの供をしている者こそは、そんなふうではないけれど、普通の人などの場合は、そんなことだ。従者はたくさんいるだろう中でも、気立てをきちんと見たうえで連れてまわるべきである。◆◆
■うめきたる=「う」擬声語。「めく」接尾語。
■下行く水の=古今集「心には下行く水のわき返り言はで思ふぞ言ふにまされる」第二句をとって下二句の意を利かせたもの。口に出して言わないのは、言うのより一層思いがまさる。
■透垣(すいがい)=板や竹を間をすかせるようにして組んだ垣。