永子の窓

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枕草子を読んできて  (32)

2018年02月13日 | 枕草子を読んできて
二十   清涼殿の丑寅の隅の   その2  (32) 2018.2.13

 陪膳つかまつる人の、をのこどもなど召すほどもなくわたらせたまゐぬ。「御硯の墨すれ」と仰せらるるに、目はそらにのみ、ただおはしますをのみ見たてまつれば、ほとほとつぎめもはなちつべし。白き色紙を押したたみて、「これにただいまおぼえむ古ごと書け」と仰せらるるに、外にゐたまへるに、「これはいかに」と申せば、「とく書きてまゐらせたまへ。をのこは言まずべきにもはべらず」とて、さし入れたまへり。御硯取りおろして、「とくとくただ思ひまぐらさで、難波津も何も、ふとおぼえむを」と責めさせたまふに、などさは臆せしにか、すべて面さへ赤みてぞ思ひ乱るるや。
◆◆陪膳にお仕えする人が、台盤を下げる男の人たちなどをお召しになるかならないうちに、主上はこちらにお越しあそばされてしまいました。中宮様が「御硯の墨をすれ」とお命じあそばされるが、(私は)目はただうわの空で、ひたすら主上のおいであそばすご様子だけお見申しあげているので、あやうく墨鋏と墨との継ぎ目も離してしまいそうである。中宮様は白い色紙を押したたんで、「これに、いますぐ、頭に浮かんでくる古歌を書け」とお命じあそばされるので、外に座っていらっしゃる大納言殿に、「これはいかがなさいますか」と申し上げると、「あなた方が早く書いてさしあげなさい。男子は口出しすべきでもございません」と言って、その色紙を御簾の中に差し入れてお返しになった。中宮様は硯をこちらへお下げおろしなさって、「早く早く、ただもう思案しないで、難波津でもなんでも、ただ浮かんでくるものを」とお責めあそぼされるのに、どうしてそんなに気おくれしたのか、全く顔まで赤くなって思い乱れることよ。◆◆



 春の歌、花の心など、さいふに、上臈二つ三つ書きて、「これに」とあるに、
 年ふればよはひは老いぬしかはあれど花をし見れば物思ひもなし
といふことを、「君をし見れば」と書きなしたるを、御覧じて、「ただこの心ばへどものゆかしかりつるぞ」と仰せらるるついでに、「円融院の御時、御前にて、『草子に歌一つ書け』と殿上人に仰せられけるを、いみじう書きにくく、すまひ申す人々ありける。『さらに手のよさあしさ、歌、をりに合はざらむをも知らじ』と仰せられければ、わびてみな書きける中に、ただいまの関白殿の三位中将と聞こえけるころ、
 しほの満ついつもの浦のいつもいつも君をば深く思ふやはわれ
といふ歌を、末を『たのむやはわれ』と書きたまへりけるをなむ、いみじくめでさせたまひける」と仰せらるるも、すずろに汗あゆる心地ぞしける。若からむ人は、さもえ書くまじき事のさまにやとぞおぼゆる。例の、ことよく書く人々も、あいなくみなつつまれて、書きけがしなどしたるもあり。
◆◆春の歌や、花についての気持ちなど、そうは言いながらも上席の女房たちが、二つ三つ書いて、次に(私に)「ここに」ということなので、
年ふればよはひは老いぬしかはあれど花をし見れば物思ひもなし(年月がたったので、年はとってしまっている。そうではあるけれど、花を見ると、何の物思いもない。
という古歌を、「君をし見れば」とわざと書きかえてあるのを(中宮が)御覧あそばして、「ただ、こうしてそなたたちの心の働きがみたかったのだよ」と仰せになるついでに、「円融院の御代に帝の御前で、『この草子に歌を一つ書け』と殿上人にお命じあそばしたので、たいへん書きにくくて、お断り申しあげる人々があった。『いっこう、字の上手下手や、歌が季節に合わなかろうのもかまわないことにしよう』と仰せになったので、困ってみなが書いた中に、ただいまの関白殿が、三位の中将と申しあげた頃、
 しほの満ついつもの浦のいつもいつも君をば深く思ふやはわれ(潮の満ちてくるいつもの浦の「いつも」という名のように、いつもあなたをば深くおもうことよ、私は)
という歌を、末の句を、『たのむやはわれ』とお書きになっていたのを、たいへんおほめあそばされたのだった」と仰せになるのも、むやみに汗の出る気持ちがしたのだった。年の若い人だったら、そうも書けそうにもない事態であったろうか、と感じられる。いつもの、言葉をたいへん上手に書く人たちも、どうしようもなく皆遠慮されて、書きよごしなどしているのもある。◆◆


 古今の草子を御前に置かせたまひて、歌どもの本を仰せられて、「これが末はいかに」と仰せらるるに、すべて夜昼心にかかりておぼゆる、け清くおぼえず、申し出でられぬことは、いかなる事ぞ。宰相の君ぞ十ばかり。それもおぼゆるかは。まして五つ、六つ、三つなど、はたおぼえぬよしをぞ啓すべけれど、「さやはけにくく、仰せ言を、はえなくもてなすべき」と言ひ、くちをしがるも、をかし。知ると申す人なきをば、やがてよみつづけさせたまふを、「さてこれはみな知りたることぞかし。などかくつたなくはあるぞ」と言ひ嘆く。中にも古今あまた書き写しなどする人は、みなおぼえぬべきことぞかし。
◆◆『古今集』の綴じ本を中宮様は御前にお置きあそばされて、いろいろな上の句を仰せになって、「これの下の句はどうだ」と仰せになるのに、すべて夜も昼も念頭にあって自然とうかんでくる歌が、まるっきり浮かんで来ず、口に出して申しあげられないのはどうしたことか。宰相の君が十首ほど、やっと申し上げる。それくらいでは、それも「自然と思い浮かぶ」などと言えたものではない。まして五首、六首、三首などは、思い浮かんでもやはり、思い浮かばないということをこそ申し上げるのが当然なのだけれど、「そんなにそっけなく、仰せ言を、仰せつけ映えがないように取り扱って、よいものでだしょうか」と言って、残念がるのもおもしろい。知っていると申し上げる人のいない歌は、そのまま下の句をお詠みつづけあそばされるのを、「その句のとおりで、これはみなが知っているうたですよね。どうしてこんなに鈍いのかしら」と(女房たち)嘆いている。その中でも、『古今集』をたくさん書き写しなどする人は、全部でも当然そらに思い浮かんできていい筈のことである。◆◆
 


■陪膳(はいぜん)つかまつる人=御給仕役。上臈四位の役の由。

■さもえ書くまじき事のさまにやとぞおぼゆる。=(作者は)老年者として「よしはいは老いぬ」などといういう歌をかいたからとみる説。年功者としての自分の機転を自賛したとみる説などがある。

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