永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(891)

2011年02月03日 | Weblog
2011.2/3  891

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(68)

「うつふして御らんずるに、御髪のうちなびきて、こぼれ出でたるかたそばばかり、ほのかに見奉り給ふが、飽かずめでたく、少しも物へだてたる人と、思ひきこえましかば、と思すに、忍びがたくて」
――(女一の宮が)うつ向いて、絵をご覧になっているご様子の、御髪のさらりと流れてこぼれ出たのが、几帳の間からちらりと拝見され、それが大そう美しく、少しでも血縁の遠い人としてお慕いできるならば、どんなに良いことかと、匂宮はお思いになっていますうちに、お気持が高ぶって――

(匂宮の歌)「若草のねを見むものとは思はねどむすぼほれたるここちこそすれ」
――男女の契りをしようとは思いませんが、このままでは何だか胸の晴れない心地がしますよ――(「ね」は根と寝をかける)

 女房たちは匂宮に気後れして、物の陰に隠れていて、姫君のお側には人もおりません。

「ことしもこそあれ、うたてあやし、とおぼせば、物ものたまはず。ことわりにて、『うらなくものを』と言ひたる姫君も、ざれてにくくおぼさる」
――(姫君は)他におっしゃり方もあろうものを、なんと厭な事をと思われて、物もおっしゃいません。それもごもっともの事で、「うたてなくものを=昔物語に、兄君から懸想された妹の姫君が、それと知らず気を許してきた年月を歎いた」という、このような浅はかなわが身になぞらえられたことを、腹立たしくお思いです――
 
 いまは亡き紫の上が、この姉弟君を分け隔てなくお育て申し上げましたので、大勢のご兄弟の中でも格別睦まじく解け合った御間柄です。

「世になくかしづききこえ給ひて、さぶらふ人々も、かたほに少しあかぬ所あるは、はしたなげなり。やむごとなき人の御むすめなどもいと多かり。御心の移ろひやすきは、めづらしき人々に、はかなく語らひつきなどし給ひつつ、かのわたりをおぼし忘るる折りなきものから、おとづれ給はで日頃経ぬ」
――(匂宮を特に)帝や御母の明石中宮が大切にしておられて、かしずく女房達でも不器量であったり、気が利かないなど少しでも不足のある者たちは極まり悪そうです。ですから高貴な家柄の出の女房も多く、この移り気な匂宮としては、新しい女房たちが参りますと、ちょっとしたご関係を持つなどなさりながらも、あの宇治の姫君をお忘れになるという折とてないのですが、やはり訪れることなく日が過ぎていくのでした――

◆かたそば=片側・片傍=かたはし、一部分。

◆若草のねを見む=伊勢物語流布本四九段に、「むかし男、いもうとのをかしげなりけるを見居りて、
(歌)「うらわかみ寝よげに見ゆる若草を人の結ばむことをしぞ思ふ」云々。実の妹だけれど、あなたと寝たい、という、たいそうあからさまな内容。

◆ことしもこそあれ=事しもこそあれ=他におっしゃり方もあろうに。

では2/5に。