永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(902)

2011年02月25日 | Weblog
2011.2/25  902

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(79)

 薫は、

「夜もすがら人をそそのかして、御湯など参らせ奉り給へど、つゆばかりまゐるけしきもなし。いみじのわざや、如何にしてかはかけ留むべき、と、言はむ方なく思ひ居給へり」
――ひと晩中侍女たちを指図して、薬湯などを差し上げたりなさいますが、大君はまったく召しあがるご様子もありません。薫は、なんと悲しいことよ、どうしたらお命をこの世に取り止めることができようか、と、身も世もなく歎き沈んでいらっしゃいます――

「不断経の暁がたの、居かはりたる声のいと尊きに、阿闇梨も夜居にさぶらひて眠りたる、うちおどろきて陀羅尼よむ。老い枯れにたれど、いと功づきて頼もしうきこゆ」
――不断の御読経の明け方に入れ替わる僧の声が、たいそう尊く聞こえてきますので、夜居に控えてまどろんでいました阿闇梨も目を覚まして、陀羅尼経(だらにきょう)を読み始めました。齢老いてしわがれた声が、却って功徳がありそうで頼もしくきこえます――

 その阿闇梨が、薫に、「今宵のお加減はいかがでございましょう」などとお伺いなさるついでに、つい亡き八の宮の御事に話が及んでは、しきりに鼻をかむのでした。

 阿闇梨は、

「いかなる所におはしますらむ。さりとも涼しき方にぞ、と思ひやり奉るを、先つ頃の夢になむおはしましし。俗の御かたちにて、『世の中を深ういとひ離れしかば、心とまる事なかりしを、いささかうち思ひしことに乱れてなむ、ただしばし願いのところを隔たれるを思ふなむ、いと口惜しき。すすむるわざせよ』と、いとさだかに仰せられしを、たちまちに仕うまつるべき事の覚え侍らねば、堪えたるにしたがひて、行ひし侍る法師ばら五六人して、なにがしの念仏なむ仕うまつらせ侍る。さては思ひ給へ得たること侍りて、常不経をなむつかせはべる」
――八の宮はどのようなところに往生されたのでしょう。いくら何でも極楽浄土にちがいないと想像申すのですが、先日夢にてお目にかかったのです。まだ御在俗のお姿で、「自分は現世をまことに厭うていたから、後に執念が残るまいと思っていたのに、少し気にかかる事があった為か、正念が乱れて、そのためか望んでいた極楽浄土から遠ざかっているとおもうと実に残念だ。極楽往生を助ける供養をしてくれ」と、実にはっきりと仰せになられたのです。私はとっさにご供養の方法も思いつきませんので、私のできる範囲で、修業中の法師ら五、六人に命じて、称名念仏をさせております。なお私にいささか思いつくことがございますので、常不軽菩薩(じょうふぎょうぼさつ)を額づかせております――

 と申し上げますと、薫も涙を堪え切れず、ひどくお泣きになるのでした。

◆かけ留む=引きとどめる。この世に生きながらえさせる。
◆不断経(ふだんきょう)=僧に交替させて昼夜絶え間なく誦させる経のこと。
◆陀羅尼(だらに)=陀羅尼経で、梵語の音読み。意味は善法を保つ、悪法をさえぎる。このお経は長文の呪文で、漢訳せず原語のまま読みあげる。

では2/27に。