永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(896)

2011年02月13日 | Weblog
2011.2/13  896

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(73)

 このような折りですから、匂宮からの御文にお二人は少しは物思いが紛れるというものでしょうが、中の君はすぐにはお手紙をご覧になりません。

 大君が、それでも強いて、

「なほ心うつくしくおいらかなるさまに聞こえ給へ。かくてはかなくもなり侍りなば、これより名残りなき方に、もてなしきこゆる人もや出でこむ、と、うしろめたきを、まれにもこの人の思い出できこえ給はむに、さやうなるあるまじき心つかふ人はえあらじ、と思へば、つらきながらなむ頼まれ侍る」
――やはり素直におだやかな風にお返事を申し上げなさい。こうして私が亡くなることがありましたならば、匂宮以上にもっとひどい目にお遭わせするような男も出てこようかと、気懸りでなりませんもの。たまにでも匂宮が思い出してくださっている間は、不心得な者が懸想じみた振る舞いなどするまいと思いますので、辛いお仕打ちとはお恨み致しますものの、それでもせめてもと、お頼み申しましょう――

 と、おっしゃると、中の君は、

「おくらさむ、とおぼしけるこそ、いみじう侍れ」
――私を残してあの世に行こうとお思いになるとは、恨めしゅうございます――

 と、いよいよお袖で顔を覆っておしまいになります。大君は、

「かぎりあれば、片時もとまらじと思ひしかど、ながらふるわざなりけり、と思ひ侍るぞや。明日知らぬ世の、さすがに歎かしきも、誰がため惜しき命にかは」
――人には寿命というものがあるのですよ。父宮が亡くなられて後、いっときも生きられまいと思っていましたのに、こうして生き長らえてきたのも不思議といえば不思議です。それでも明日をも知れぬ世の中が不安でならないというのは、誰のために惜しい命でしょう。みな、あなたのためなのですよ――

 とおっしゃって、灯火をお側近くに寄せられて、御文をごらんになります。
 匂宮の御文は例によって、細々とお書きになった中に、

(歌)「ながむるは同じ雲居をいかなればおぼつかなさをそふる時雨ぞ」
――あなたを思っていつも私が眺めるのは同じ空なのに、どうして今日の時雨空は、いつもより恋しさを募らせるのでしょう――

 「『かく袖ひづる』などいふこともやありけむ」
――「こんなに袖が濡れたことはなかったのに」とでも書かれてあったでしょうか――

◆明日知らぬ世=古今集・紀貫之「明日知らぬわが身と思へば暮れぬ間の今日は人こそ悲しかりけれ」

◆『かく袖ひづる』=古歌「神無月いつも時雨は降りしかどかく袖ひづる折はなかりき」
 袖ひづる=袖ひちる=袖が濡れる

では2/15に。