永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(871)

2010年12月23日 | Weblog
2010.12/23  871

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(48)

 大君はつくづくとお心の内で、

「われもやうやう盛り過ぎぬる身ぞかし、鏡を見れば、やせやせになりもてゆく、おのがじしは、この人どもも、われあしとやは思へる、うしろでは知らず顔に、額髪をひきかけつつ、色どりたる顔づくりをよくして、うちふるまふめり」
――自分もそろそろ盛りを過ぎてしまう年頃、鏡を見れば、だんだん痩せ衰えていっているのが分かるというもの。あの老女たちにしても、自分が醜いなどとは思ってもいまい。肌の艶もなく、少ない髪に気が付かず、前髪ばかりを顔に垂らしては、白粉や紅で厚化粧をして振る舞っているのですもの――

「わが身にては、まだいとあれが程にはあらず、目も鼻もなほしとおぼゆるは、心のなしにやあらむ」
――(では自分は)私はまだあれほどではない、それに目鼻立ちもまず人並みと思っているのは、実は自分を知らぬということなのだろうか――

 と、物思わしげに外を眺めながら寄り臥していらっしゃる。

「はづかしげならむ人に見えむことは、いよいよ片腹いたく、今一年二年あらば、おとろへまさりなむ、はかなげなる身の有様を、と、御手つきの細やかに、か弱く、あはれなるをさし出でても、世の中を思ひつづけ給ふ」
――薫のような、こちらが恥ずかしくなる程ご立派な人にお逢いすることは、やはり極まりが悪く、もう一、二年も経てば、自分はさらに容貌も衰えて行くに違いない、ひ弱な心細いこのような身体なのだから、と、か細く痛々しげな御手を袖からそっと出して、じっとご覧になるにつけても、薫とのことをとめどもなく思い出されておられるのでした――

一方、匂宮は、

「あり難かりつる御暇の程をおぼしめぐらすに、なほ心安かるまじき事にこそは、と、胸ふたがりて覚え給ひけり。大宮のきこえ給ひしさまなど語りきこえ給ひて」
――母の明石中宮から、容易にお暇を得られなかったことなどを思い出されて、今後も宇治に通うことは、そう気軽にはできそうもないと、胸が塞がるような気がなさって、中の君に、中宮が厳しく仰せになったことなどをお話になって――

「思ひながらとだへあらむを、いかなるにか、とおぼすな。夢にてもおろかならむに、かくまでも参り来まじきを、心の程やいかがと疑ひて、思ひみだれ給はむが心苦しさに、身を棄ててなむ、常にかくはえ惑ひありかじ。さるべきさまにて近く渡し奉らむ」
――貴女のことを気に掛けながらも、これからご無沙汰することがあるかもしれませんが、どうしてなのかと心配なさるな。ゆめにも貴女を粗略にしますならば、こうまでしてお訪ねしませんでしょうに。わたしの真意がどうかとお疑いになってお悩みになるのがお気の毒で、身を棄てた気で参ったのですよ。いつもこのように出歩く訳にはいかないでしょう。そのうち、貴女のお住いを私の近くにお移ししましょう――

 と、思いを込めておっしゃるのですが……。

では12/25に。