09.10/13 529回
三十六帖【柏木(かしわぎ)の巻】 その(11)
しかし一方では、女三宮はまだお若いのに尼にするのはお気の毒だ、とお思いになって、
「なほ強く思しなれ。けしうはおはせじ。限りと見ゆる人も、たひらなる例近ければ、さすがに頼みある世になむ」
――もっと元気をお出しなさい。大丈夫ですよ。紫の上のように、もう駄目だと思われた病人でも全快する例は身近にありましたでしょう。世の中は捨てたものではありませんよ――
とおっしゃりながら、薬湯を差し上げます。
女三宮はすっかりお痩せになってお顔色も青白く、うち伏していらっしゃる可憐なご様子に、源氏は一方では、あの過失を許してあげたいほどに、可愛らしくも思うのでした。
山の帝(朱雀院)は、お産が無事だったとお聞きになっての後に、宮のお具合がどうもよくないと御心配になられて、勤行も乱れがちでいらっしゃる。すっかり衰弱なさった女三宮が、父帝の朱雀院を恋しく思われて、
「またも見奉らずなりぬるや」
――(御父帝に)二度とお会いできなくなってしまうのかしら――
と、ひどくお泣きになります。このような御様子を、ある人が朱雀院に申し上げましたので、朱雀院は山籠りの御身ながらも矢も楯もたまらず、お忍びで六条院にお出でになりました。
何のまいぶれもなく朱雀院が行幸されましたので、六条院の源氏は驚き、恐縮申されます。
朱雀院は、
「(……)若し、後れ先立つ道の道理のままならで別れなば、やがてこの恨みもやかたみに残らむと、あぢきなさに、この世の誹りをば知らで、かくものし侍る」
――(俗界にありましても、悟りきれないものは子故の闇というものですね)もし、順序が逆になって宮が亡くなりでもしましたら、そのまま会わない恨みがお互いに残ると思うと侘しくて、世間の非難も思わずこうしてやって来ました――
ではまた。
三十六帖【柏木(かしわぎ)の巻】 その(11)
しかし一方では、女三宮はまだお若いのに尼にするのはお気の毒だ、とお思いになって、
「なほ強く思しなれ。けしうはおはせじ。限りと見ゆる人も、たひらなる例近ければ、さすがに頼みある世になむ」
――もっと元気をお出しなさい。大丈夫ですよ。紫の上のように、もう駄目だと思われた病人でも全快する例は身近にありましたでしょう。世の中は捨てたものではありませんよ――
とおっしゃりながら、薬湯を差し上げます。
女三宮はすっかりお痩せになってお顔色も青白く、うち伏していらっしゃる可憐なご様子に、源氏は一方では、あの過失を許してあげたいほどに、可愛らしくも思うのでした。
山の帝(朱雀院)は、お産が無事だったとお聞きになっての後に、宮のお具合がどうもよくないと御心配になられて、勤行も乱れがちでいらっしゃる。すっかり衰弱なさった女三宮が、父帝の朱雀院を恋しく思われて、
「またも見奉らずなりぬるや」
――(御父帝に)二度とお会いできなくなってしまうのかしら――
と、ひどくお泣きになります。このような御様子を、ある人が朱雀院に申し上げましたので、朱雀院は山籠りの御身ながらも矢も楯もたまらず、お忍びで六条院にお出でになりました。
何のまいぶれもなく朱雀院が行幸されましたので、六条院の源氏は驚き、恐縮申されます。
朱雀院は、
「(……)若し、後れ先立つ道の道理のままならで別れなば、やがてこの恨みもやかたみに残らむと、あぢきなさに、この世の誹りをば知らで、かくものし侍る」
――(俗界にありましても、悟りきれないものは子故の闇というものですね)もし、順序が逆になって宮が亡くなりでもしましたら、そのまま会わない恨みがお互いに残ると思うと侘しくて、世間の非難も思わずこうしてやって来ました――
ではまた。