永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(517)

2009年10月01日 | Weblog
 09.10/1   517回

三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(71)

柏木は、女二宮(落葉の宮)に、

「人より先なりけるけぢめにや、取り分きて思ひならひたるを、今になほかなしくし給ひて、しばしも見えぬをば苦しきものにし給へば、心地のかくかぎりに覚ゆる折しも、見え奉らざらむ、罪深くいぶせかるべし」
――私が長男に生まれましたためか、両親が特に思いを込めて育ててくれまして、今でも一層愛してくださっているのです。ちょっとの間離れていましても寂しがりますので、
病気がこうもおぼつかない時にお会いしませんのは、罪深く気がかりでなりません――

「今はの頼みなく聞かせ給はば、いと忍びてわたり給ひて御覧ぜよ。必ずまた対面たまはらむ。あやしくたゆく愚かなる本性にて、ことにふれておろかに思さるることありつらむこそ、くやしく侍れ。かかる命の程を知らで、行く末長くのみ思ひ侍りけること」
――私の命がいよいよ危ないと聞かれましたら、そっと父邸においでになって私を見舞ってください。必ずまたお逢いしましょう。私は妙に物ぐさで、愚鈍な性質で、あなたに何かにつけて薄情であったようで、残念に存じます。こんなに短命とも知らず、先々長い将来を当てにしておりましたとは――

 と、おっしゃって、泣く泣く父邸にお移りになりました。落葉の宮はご自分の一条宮邸に残られて、恋しくも嘆かわしくも思っていらっしゃる。

 致仕大臣の大殿邸では柏木を待ち受けておられ、加治よ祈祷よと大騒ぎです。

「さるは、たちまちにおどろおどろしき御心地のさまにもあらず、月頃ものなどをさらに参らざりけるに、いとどはかなき柑子などをだに触れ給はず、ただ、やうやうものに引き入るるやうに見え給ふ」
――そうはいっても、柏木は急に危篤というご様子でもないのですが、今まで全然食欲がなかったのに加えて、さらにこちらに移ってからも柑子でさえもお口にされず、ただただ何かに引き入られるように弱っていかれます――

 あれ程、今の時代に学識豊かな人物として、重んじられておられる柏木のような方が、こんな有様なのを、世間では万一の時があってはと惜しみもし、勿体なくも思って、お見舞いに訪れぬ者とておりません。帝も朱雀院も度々お見舞いのお使いが来られ、両親はなおのことお心が騒ぐのでした。

◆かなしく=いとおしく、愛して
◆今はの頼みなく=臨終となってどうにもならない
◆あやしくたゆく=変に愚鈍のように

◆写真:柏木  風俗博物館

ではまた。