『さくらんぼ 母ときた道』
80年代の雲南省。
知的障碍をもつ櫻桃(苗圃ミャオ・プゥ)を妻に迎えた貧しい農夫・葛望(妥国権トゥオ・グオチュエン)は男の子を授かることを祈って子づくりに励んだが、ある日櫻桃は捨て子の女の子を拾ってきてしまう。ひとりっ子政策が始まり、それは葛望にとって自分の子をもつ機会を失ったも同然で、当然夫は妻の愛を独占する赤ん坊を疎ましく思うようになるのだが・・・。
昨年の東京国際映画祭で『さくらんぼ 母の愛』という題で上映された日中合作映画。
監督の張加貝(チャン・ジャーペイ)は日本で助監督の経験があるそうで、この作品も一見純粋な中国映画のように見えて実際は日中合作、スタッフにも日本人が多くクレジットされている。
でも最近の日中合作映画ってぐり的にヒットがあんましないんだよね。合作だから双方のいいところおいしいところがうまくあわさっててもよさそうなもんなのに、毎度毎度、邦画と中国映画のよくないところばっかりくっつきあってる風に見える。
この作品も見た目のクオリティは悪くないし完成度に問題はないんだけど、いかんせん台本がゆるい。ゆるゆる。世界観のすべてが櫻桃の障碍ありきで成り立っていて、きちんとした裏づけとか伏線とか、物語の構造を立体的に表現しようという意図がまったく見受けられない。家に喩えれば、装飾品ばかりが豪華で骨組みがグダグダな欠陥住宅みたいなものだ。
厳しい言い方かもしれないが、監督はこれを実際に知的障碍を抱えながら子育てをしている人々やその家族に観られてもなんら恥じるところはないといいきれるだろうか。ぐりならいいきれない。ムリだ。
どんなに見た目に感動的であっても、障碍をモチーフに選んだのならもっと堂々としたシナリオづくりをしなければ、ただ単に姑息な商業主義にしか受け取れない。あるいは監督や製作者は知的障碍をもつ人々を観客に想定していないのかもしれないが、もしそうだとしたらそれはそれでかなり問題だと思う。
ただ、どんなに粗末な衣裳をまとい汚れたメイクをしていても隠しきれない美貌でヒロインを演じた苗圃のなりきりぶりは驚異的ともいえるもので、その一点だけは賞賛に値する。知らない人が観たら完全にほんとうに障碍があるように見えるのではないだろうか。
しかし彼女以外の登場人物は人物造形も平面的で説得力というものがさっぱりない。とくに語り手である娘・紅紅(子役の名前がわからないー)にいたっては問題外としかいいようがない。人間性というものがひとかけらも感じられない。そんな娘に「おかあさんを大切に」なんていわれてもしらじらしいだけである。
『初恋のきた道』と同じスタッフ?の作品だとかで邦題を思いっきりいただいてしまっているが、実力派のクルーを揃えてスターが出演してお涙頂戴の感動ものにこしらえれば観客はついてくる、という邦画の腐った根性をそっくりうけついでしまった合作映画。
観客ナメんのもいいかげんにしてください。
80年代の雲南省。
知的障碍をもつ櫻桃(苗圃ミャオ・プゥ)を妻に迎えた貧しい農夫・葛望(妥国権トゥオ・グオチュエン)は男の子を授かることを祈って子づくりに励んだが、ある日櫻桃は捨て子の女の子を拾ってきてしまう。ひとりっ子政策が始まり、それは葛望にとって自分の子をもつ機会を失ったも同然で、当然夫は妻の愛を独占する赤ん坊を疎ましく思うようになるのだが・・・。
昨年の東京国際映画祭で『さくらんぼ 母の愛』という題で上映された日中合作映画。
監督の張加貝(チャン・ジャーペイ)は日本で助監督の経験があるそうで、この作品も一見純粋な中国映画のように見えて実際は日中合作、スタッフにも日本人が多くクレジットされている。
でも最近の日中合作映画ってぐり的にヒットがあんましないんだよね。合作だから双方のいいところおいしいところがうまくあわさっててもよさそうなもんなのに、毎度毎度、邦画と中国映画のよくないところばっかりくっつきあってる風に見える。
この作品も見た目のクオリティは悪くないし完成度に問題はないんだけど、いかんせん台本がゆるい。ゆるゆる。世界観のすべてが櫻桃の障碍ありきで成り立っていて、きちんとした裏づけとか伏線とか、物語の構造を立体的に表現しようという意図がまったく見受けられない。家に喩えれば、装飾品ばかりが豪華で骨組みがグダグダな欠陥住宅みたいなものだ。
厳しい言い方かもしれないが、監督はこれを実際に知的障碍を抱えながら子育てをしている人々やその家族に観られてもなんら恥じるところはないといいきれるだろうか。ぐりならいいきれない。ムリだ。
どんなに見た目に感動的であっても、障碍をモチーフに選んだのならもっと堂々としたシナリオづくりをしなければ、ただ単に姑息な商業主義にしか受け取れない。あるいは監督や製作者は知的障碍をもつ人々を観客に想定していないのかもしれないが、もしそうだとしたらそれはそれでかなり問題だと思う。
ただ、どんなに粗末な衣裳をまとい汚れたメイクをしていても隠しきれない美貌でヒロインを演じた苗圃のなりきりぶりは驚異的ともいえるもので、その一点だけは賞賛に値する。知らない人が観たら完全にほんとうに障碍があるように見えるのではないだろうか。
しかし彼女以外の登場人物は人物造形も平面的で説得力というものがさっぱりない。とくに語り手である娘・紅紅(子役の名前がわからないー)にいたっては問題外としかいいようがない。人間性というものがひとかけらも感じられない。そんな娘に「おかあさんを大切に」なんていわれてもしらじらしいだけである。
『初恋のきた道』と同じスタッフ?の作品だとかで邦題を思いっきりいただいてしまっているが、実力派のクルーを揃えてスターが出演してお涙頂戴の感動ものにこしらえれば観客はついてくる、という邦画の腐った根性をそっくりうけついでしまった合作映画。
観客ナメんのもいいかげんにしてください。