ぐりの動物好きはおそらく父譲りである。
父はとにかく動物が好きで、しばしば怪我をしたハトだの捨て犬だのを拾ってきた。それでいて自分では世話をしないで母や子どもたちに押しつけっぱなしなので、どの動物もろくに長生きはできなかった。かわいそうなことをしたと思う。気まぐれで動物をかまうのは却って残酷だ。
ぐりもよく犬ネコを拾ったが、まず飼わせてはもらえなかった。妹がぜんそく持ちだったからという以上に、母が動物が嫌いだったからというのが大きな理由ではなかったかと思う。彼女はぐりが1歳半のとき父が近所でもらってきた子犬を、1年も経たないうちに追い出したことを30年以上黙っていた。ふたりの乳幼児を抱えて父の仕事を手伝っていたまだ20代の母が、好きでもない犬の世話までは手がまわらずに匙を投げたのは無理もないことだし、今さらそのことを責めようとは思わない。むしろもらってきておいて世話をしなかった父の責任の方が大きいだろう。
この犬の名前は「ドージー」といった。犬そのもののことはほとんど記憶にないが、名前だけは覚えている。ぐりが名づけたそうだ。
ドージー以降、ぐりの家ではカメや金魚やヒヨコやカエルやザリガニやスズメやカブトムシなど、こまごました小動物をたびたび飼った。
天寿を全うできた動物はほとんどいなかった。大人のフォローもまったくなく、知識もない小さな子どもの行き当たりばったりな世話のしかたでは死んで当り前である。死なせるたびに悪いことをした、申し訳ないことをしてしまった、と深く悔いるのだがなかなか懲りない。
真剣に懲りたのは先述のハトを死なせたときのことだ。ぐりは中学生だったのだが、犬につかまって翼をかじられたハトを父が横取りして連れ帰って来た。季節はちょうど今くらいで、もう飛べないからと庭の木のかげに鳥小屋をつくって飼った。姉妹交替で毎日鳥小屋を掃除し、エサをやった。
それが夏休みに入るとやれ部活だ試合だ合宿だキャンプだと子どもが家を空けがちになり、やがてハトは存在を忘れられてしまった。
ある朝ふと気づくとハトの声がしなかった。いつもクルー、クルー、と低く鳴いていた鳥小屋が静かになっている。見にいくとハトの姿はどこにもなかった。
母に訊ねると、昨日死んでいるのをみつけてもう埋めた、という。「散らかしてたエサをひとつぶ残らず食べて、鳥小屋の床がきれいになっていた」といった。前日までいつもと変わらず鳴いていたのに。
どんなにおなかが空いていても、死ぬほどひもじくても、そう訴える術のない動物を飢えさせてしまった自分の迂闊さが激しく悔しかった。このときの気持ちはたぶん死ぬまで忘れられないと思う。
その後高校生になってから、妹のぜんそくがよくなり医師の許可も出て犬を飼うようになった。
最初の犬は父の仕事上の知りあいから譲りうけた秋田犬の雑種の子で、「ごん」というオス犬だった。秋田犬といっても小柄な方で毛は黒く、鼻先と脚先と腹の毛が白かった。小熊のようにころんとした体型の、おとなしくて臆病な子犬だった。ハトの教訓もあったので、朝晩の散歩とエサやりはぐりがしていた。浪人して家には寝に帰るだけの生活になるまで毎日欠かさず面倒をみた。
ごんは家族のいうことをよく聞く賢い犬だったが妙に神経質で、家人が留守をしたといってはおなかをこわしたり、配達人にからかわれたといっては嘔吐したり、なにかというとちょくちょく獣医の厄介になっていた。
それでもごんはかわいかった。左右非対称にぺろんと垂れた肉厚な耳と、藍色のまるい瞳と、ふさふさしたやわらかな長い毛の感触と、ピーナッツバターみたいな口の匂いの記憶は今でも懐かしい。
ごんがうちに来て1年も経たないころ、父が仕事場の近所で捨て犬を拾った。
大雨の降る夜で、父はクルマに乗っていたのだが異様に大きな鳴き声が聞こえるので下りて捜したら、目も開かない生まれたての子犬が道端に捨てられていた。
茶色い雑種のメスで、名前は「ちび丸」になった。アニメ「ちびまる子ちゃん」が放送されるずっと前のことで、歩くこともできない赤ん坊なのに声が大きくて元気なので、「小さくて元気な男の子みたいな子」という意味でみんなでつけた。
ちび丸は拾ったその夜から夜鳴きがひどくてあまりにやかましいので、ぐりがふとんに入れていっしょに寝た。大きくなってからはごんといっしょに散歩に連れていった。ちび丸はごんが気に入っていたようだが、ごんはじゃれつかれても迷惑そうな顔をしてじっと黙っていた。
しばらくしてちび丸は父の仕事場で飼うことになり世話は両親や従業員がするようになったが、添い寝していたぐりを母親と思っているらしく、誰よりもぐりに懐いていた。たまに仕事場に手伝いに行くとめちゃくちゃに興奮して喜んだ。
あるとき仕事場の事務所のそばに駐車していた母のクルマの下で熟睡していて、クルマが動いたときに下敷きになってしまった。クルマに乗っていた母はすぐに気がついて下りて名前を呼んだが、下敷きになったはずのちび丸がいない。クルマの後ろにあった物置の床下にもぐりこんで出てこないのだ。母は困って外出していた父を無線で呼んで戻ってもらったが、父が呼んでも出てこようとしない。
夏休みでぐりは予備校にいたのだが、父が予備校にまで電話をかけてきてなんとかしろという。急いでとんで帰り(といっても1時間以上かかったはず)、物置の下に向かって「ちび丸」とひとこと呼んだ途端、ウサギのように勢いよくとびついて来た。怪我はしていたが元気で、みんなやれやれと胸を撫で下ろした。怪我は大腿骨の骨折で結局完治はしなかったが、本人はまるで気にしていなかった。折れた足なんか最初から折れてたみたいな顔でけろっとしていた。
そんなおっちょこちょいなところはあったものの、決して人を噛まず無駄吠えもしないけれど他人が近づくと家人に制止されるまでせいいっぱい大きな声で吠え続ける、職務に忠実で立派な番犬だった。
利口で愛嬌があってお行儀が良くていつでも元気いっぱい、家族にも従業員にも近所の人にもかわいがられていたちび丸だが、最期は無惨なものだった。
ぐりが進学で家を離れ東京で就職した数年後のことで、一部始終は母の口から聞かされた。
その朝、父が出勤するといつも鳴いて歓迎してくれたちび丸の声がしなかった。急いで犬小屋の方にまわってみると、犬小屋からぴんと伸びた引き綱が、塀の外へ垂れていた。
塀の外には、ちび丸の遺体がぶらさがっていた。
ブロック塀の側面には、もがき苦しんで暴れたちび丸の血液がいちめんこびりついていたという。
ちび丸の犬小屋から塀までは2メートルほどしか離れていないが、ふだんちび丸がその塀から外を覗こうとしたり、よじ上ろうとしているのを見かけた者はいない。大体、小柄なちび丸がいくらジャンプ力があったとしても(犬ではなくカンガルーではないかと思うほど跳躍力があった)、引き綱をつけたまま助走もなしに高さ1.2メートルの塀を乗り越えることなど物理的に不可能だ。
つまり彼女は何者かによって殺されたのだ。
犯人のアタリもついていた。その前日、事故を繰り返し無断欠勤が続いた従業員が辞めさせられたばかりだった。彼はもともとちび丸に対して乱暴で、理由もなく蹴りつけたり石をぶつけたりしているのを何度か目撃され、そのことも注意されていた。
今でも家族は父に聞こえるところではちび丸の話はしない。
どれほど彼が罪の意識に苛まれたか、遺体をみつけたときのショックなど到底想像がつかない。たかが犬一匹といえど十年も飼えば家族同然ということは、動物を飼った経験のある方なら誰でもわかっていただけると思う。
ごんはちび丸が死ぬより前に、病気で亡くなった。家族は懸命に看病したが、結果的には長い間苦しませることになってしまった。
ぐりが家を出た後に来た「もも」も一昨年亡くなった。今は実家では動物は飼っていない。
うちで飼った動物たちが、家を、家族の心をどんなに明るく豊かにあたたかにしてくれたか、どんなにたくさんの楽しい思い出を遺してくれたか、どれだけ感謝してもしきれない。
でも彼らの一生が幸せだったかどうかは誰にもわからない。
それを思うと、動物を飼うことそのものの罪深さが恐ろしくなる。動物を飼うことが罪でもいい。人が生きてることそれ自体が罪なんだから。
しかしその罪の重さを知らずに動物を飼うのは、やはり勝手だとぐりは思っている。
父はとにかく動物が好きで、しばしば怪我をしたハトだの捨て犬だのを拾ってきた。それでいて自分では世話をしないで母や子どもたちに押しつけっぱなしなので、どの動物もろくに長生きはできなかった。かわいそうなことをしたと思う。気まぐれで動物をかまうのは却って残酷だ。
ぐりもよく犬ネコを拾ったが、まず飼わせてはもらえなかった。妹がぜんそく持ちだったからという以上に、母が動物が嫌いだったからというのが大きな理由ではなかったかと思う。彼女はぐりが1歳半のとき父が近所でもらってきた子犬を、1年も経たないうちに追い出したことを30年以上黙っていた。ふたりの乳幼児を抱えて父の仕事を手伝っていたまだ20代の母が、好きでもない犬の世話までは手がまわらずに匙を投げたのは無理もないことだし、今さらそのことを責めようとは思わない。むしろもらってきておいて世話をしなかった父の責任の方が大きいだろう。
この犬の名前は「ドージー」といった。犬そのもののことはほとんど記憶にないが、名前だけは覚えている。ぐりが名づけたそうだ。
ドージー以降、ぐりの家ではカメや金魚やヒヨコやカエルやザリガニやスズメやカブトムシなど、こまごました小動物をたびたび飼った。
天寿を全うできた動物はほとんどいなかった。大人のフォローもまったくなく、知識もない小さな子どもの行き当たりばったりな世話のしかたでは死んで当り前である。死なせるたびに悪いことをした、申し訳ないことをしてしまった、と深く悔いるのだがなかなか懲りない。
真剣に懲りたのは先述のハトを死なせたときのことだ。ぐりは中学生だったのだが、犬につかまって翼をかじられたハトを父が横取りして連れ帰って来た。季節はちょうど今くらいで、もう飛べないからと庭の木のかげに鳥小屋をつくって飼った。姉妹交替で毎日鳥小屋を掃除し、エサをやった。
それが夏休みに入るとやれ部活だ試合だ合宿だキャンプだと子どもが家を空けがちになり、やがてハトは存在を忘れられてしまった。
ある朝ふと気づくとハトの声がしなかった。いつもクルー、クルー、と低く鳴いていた鳥小屋が静かになっている。見にいくとハトの姿はどこにもなかった。
母に訊ねると、昨日死んでいるのをみつけてもう埋めた、という。「散らかしてたエサをひとつぶ残らず食べて、鳥小屋の床がきれいになっていた」といった。前日までいつもと変わらず鳴いていたのに。
どんなにおなかが空いていても、死ぬほどひもじくても、そう訴える術のない動物を飢えさせてしまった自分の迂闊さが激しく悔しかった。このときの気持ちはたぶん死ぬまで忘れられないと思う。
その後高校生になってから、妹のぜんそくがよくなり医師の許可も出て犬を飼うようになった。
最初の犬は父の仕事上の知りあいから譲りうけた秋田犬の雑種の子で、「ごん」というオス犬だった。秋田犬といっても小柄な方で毛は黒く、鼻先と脚先と腹の毛が白かった。小熊のようにころんとした体型の、おとなしくて臆病な子犬だった。ハトの教訓もあったので、朝晩の散歩とエサやりはぐりがしていた。浪人して家には寝に帰るだけの生活になるまで毎日欠かさず面倒をみた。
ごんは家族のいうことをよく聞く賢い犬だったが妙に神経質で、家人が留守をしたといってはおなかをこわしたり、配達人にからかわれたといっては嘔吐したり、なにかというとちょくちょく獣医の厄介になっていた。
それでもごんはかわいかった。左右非対称にぺろんと垂れた肉厚な耳と、藍色のまるい瞳と、ふさふさしたやわらかな長い毛の感触と、ピーナッツバターみたいな口の匂いの記憶は今でも懐かしい。
ごんがうちに来て1年も経たないころ、父が仕事場の近所で捨て犬を拾った。
大雨の降る夜で、父はクルマに乗っていたのだが異様に大きな鳴き声が聞こえるので下りて捜したら、目も開かない生まれたての子犬が道端に捨てられていた。
茶色い雑種のメスで、名前は「ちび丸」になった。アニメ「ちびまる子ちゃん」が放送されるずっと前のことで、歩くこともできない赤ん坊なのに声が大きくて元気なので、「小さくて元気な男の子みたいな子」という意味でみんなでつけた。
ちび丸は拾ったその夜から夜鳴きがひどくてあまりにやかましいので、ぐりがふとんに入れていっしょに寝た。大きくなってからはごんといっしょに散歩に連れていった。ちび丸はごんが気に入っていたようだが、ごんはじゃれつかれても迷惑そうな顔をしてじっと黙っていた。
しばらくしてちび丸は父の仕事場で飼うことになり世話は両親や従業員がするようになったが、添い寝していたぐりを母親と思っているらしく、誰よりもぐりに懐いていた。たまに仕事場に手伝いに行くとめちゃくちゃに興奮して喜んだ。
あるとき仕事場の事務所のそばに駐車していた母のクルマの下で熟睡していて、クルマが動いたときに下敷きになってしまった。クルマに乗っていた母はすぐに気がついて下りて名前を呼んだが、下敷きになったはずのちび丸がいない。クルマの後ろにあった物置の床下にもぐりこんで出てこないのだ。母は困って外出していた父を無線で呼んで戻ってもらったが、父が呼んでも出てこようとしない。
夏休みでぐりは予備校にいたのだが、父が予備校にまで電話をかけてきてなんとかしろという。急いでとんで帰り(といっても1時間以上かかったはず)、物置の下に向かって「ちび丸」とひとこと呼んだ途端、ウサギのように勢いよくとびついて来た。怪我はしていたが元気で、みんなやれやれと胸を撫で下ろした。怪我は大腿骨の骨折で結局完治はしなかったが、本人はまるで気にしていなかった。折れた足なんか最初から折れてたみたいな顔でけろっとしていた。
そんなおっちょこちょいなところはあったものの、決して人を噛まず無駄吠えもしないけれど他人が近づくと家人に制止されるまでせいいっぱい大きな声で吠え続ける、職務に忠実で立派な番犬だった。
利口で愛嬌があってお行儀が良くていつでも元気いっぱい、家族にも従業員にも近所の人にもかわいがられていたちび丸だが、最期は無惨なものだった。
ぐりが進学で家を離れ東京で就職した数年後のことで、一部始終は母の口から聞かされた。
その朝、父が出勤するといつも鳴いて歓迎してくれたちび丸の声がしなかった。急いで犬小屋の方にまわってみると、犬小屋からぴんと伸びた引き綱が、塀の外へ垂れていた。
塀の外には、ちび丸の遺体がぶらさがっていた。
ブロック塀の側面には、もがき苦しんで暴れたちび丸の血液がいちめんこびりついていたという。
ちび丸の犬小屋から塀までは2メートルほどしか離れていないが、ふだんちび丸がその塀から外を覗こうとしたり、よじ上ろうとしているのを見かけた者はいない。大体、小柄なちび丸がいくらジャンプ力があったとしても(犬ではなくカンガルーではないかと思うほど跳躍力があった)、引き綱をつけたまま助走もなしに高さ1.2メートルの塀を乗り越えることなど物理的に不可能だ。
つまり彼女は何者かによって殺されたのだ。
犯人のアタリもついていた。その前日、事故を繰り返し無断欠勤が続いた従業員が辞めさせられたばかりだった。彼はもともとちび丸に対して乱暴で、理由もなく蹴りつけたり石をぶつけたりしているのを何度か目撃され、そのことも注意されていた。
今でも家族は父に聞こえるところではちび丸の話はしない。
どれほど彼が罪の意識に苛まれたか、遺体をみつけたときのショックなど到底想像がつかない。たかが犬一匹といえど十年も飼えば家族同然ということは、動物を飼った経験のある方なら誰でもわかっていただけると思う。
ごんはちび丸が死ぬより前に、病気で亡くなった。家族は懸命に看病したが、結果的には長い間苦しませることになってしまった。
ぐりが家を出た後に来た「もも」も一昨年亡くなった。今は実家では動物は飼っていない。
うちで飼った動物たちが、家を、家族の心をどんなに明るく豊かにあたたかにしてくれたか、どんなにたくさんの楽しい思い出を遺してくれたか、どれだけ感謝してもしきれない。
でも彼らの一生が幸せだったかどうかは誰にもわからない。
それを思うと、動物を飼うことそのものの罪深さが恐ろしくなる。動物を飼うことが罪でもいい。人が生きてることそれ自体が罪なんだから。
しかしその罪の重さを知らずに動物を飼うのは、やはり勝手だとぐりは思っている。