落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

大草原の小さな家

2007年05月03日 | book
『大きな森の小さな家』
『大草原の小さな家』
『プラムクリークの土手で』
『シルバーレイクの岸辺で』
『長い冬』
『大草原の小さな町』
『この楽しき日々』
『はじめの四年間』
 ローラ・インガルス・ワイルダー著 恩地三保子/谷口由美子訳
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来月ドラマのDVDが発売されるという告知を聞いて久々に読み返したくなり、先月実家に戻ったときに小学生のころ読んだ『シルバーレイク〜』までの4冊(本当は『農場の少年』も含めて5冊シリーズなのだがこの巻にはインガルス一家が登場しないので今回は割愛)を回収、『長い冬』以降は図書館で新訳を借りた。なのでヒロイン・ローラの少女時代までを描いた前半4冊と、青春時代を描いた後半4冊では訳者も発行元も別である。
どれも初めに読んだのは中学時代よりもっと前なので、たっぷり20数年ぶりの再読。

ストーリーだけを追って読んでいると、インガルス一家の運命はまこと苛酷の二文字以外に表現のしようがないように思える。
ローラが5歳だったウィスコンシン州の森林地帯での生活を描いた『大きな森〜』にはへヴィーな描写はほとんどない。著者でもあるローラ自身の記憶に残っていなかったせいだと思われる。
だがその森を出た後の一家には、アメリカ先住民と合衆国政府との土地争い、火事、伝染病、イナゴの大発生、旱魃、吹雪、竜巻、熱風、雹などなど、これでもかといわんばかりの苦難が次々と襲ってくる。農地を追われたこともあった。作物が全てだめになってしまったこともあった。ローラの姉メアリは猩紅熱による脳炎で失明する。吹雪で汽車が運休して食糧がなくなり餓死寸前に追いこまれた冬もあった。夫アルマンゾはジフテリアの後遺症で軽い四肢麻痺が残ってしまう。生まれたばかりの小さな家族を失ったことさえある。
それでも一家は決してめげない。逃げたり諦めたりはしない。誰かを責めたり恨んだり謗ったりもしない。
たとえ何かを失っても、残されたものに心から感謝し、どんなに小さな悦びでも互いにわけあい、必死に支えあって常に前向きに生きていく。勇敢とはまさに彼らのような生き方をいうのだろう。

20数年ぶりの再読で初めて気づいて驚いたことがある。
ローラの父親=チャールズ・インガルスは1836年生まれ、ローラは1867年生まれ。物語の背景は1872〜1889年なので、当時インガルス氏は既に30代後半〜50代だった計算になる。働き盛りといえばそうかもしれないけど、中年といえばしっかりと中年である。少なくとも若者ではない。
それを思えば、物語に描かれるインガルス氏の働きぶりには信じられないものがある。朝は夜明け前から家畜の世話、昼は農作業か狩猟か燃料集め、農閑期には雇われの大工仕事もするし、自前の農地で収穫がない年には数百キロの道程を歩いて出稼ぎにまで行く。それだけではない、どこへ行っても自分で住む家は自分で建てるし、井戸も掘るし、家具や装飾品やオモチャもつくる。冬の夜は家族のためにヴァイオリンを弾いて歌を歌う。どんだけ体力あるんだか。体力だけじゃないけど。知力もだけど。
一家は開拓農民だから、何をするにしても他人の助けはまずあてにならない。誰も住む人のいない見知らぬ土地へ引越していくのだから、あてにする人間もいなければモノもない。家族で助けあう以外に生きる術はないし、食べ物も着るものも住むところも、ないものは全部自分たちでつくらなければ手に入らない。ふとんもドレスも下着も帽子もコートも靴下もバターもチーズもソーセージも何もかも、手づくりするしかなかった。彼らの家でよそから買ってきたものといえば、靴と窓ガラスと来客用の白砂糖くらいしかなかった。
そのとき、“とうさん”と“かあさん”はもう30代後半だったのだ。アメリカ人、すごすぎます。
いや、つい100年ほど前まで、世界中どこの人間もそうして暮していたのだ。当り前のように。

ローラ本人は65歳になってから作家でもある一人娘ローズの協力で少女時代を回想した小説を発表し始め、1957年に90歳で亡くなった。ローズはその後なんと79歳でベトナム戦争に従軍記者として派遣されている。
今はインガルス一家を継ぐ人間は存在しないが、19世紀のアメリカを生きた彼らの物語には、人間には無限の可能性と希望が生まれながらに備わっていることを教えられる。だからこそこの物語はこれほど長く世界中で愛されているのだろう。
あとコレ、開拓農民の物語にしてはかなりリベラルな視点で描かれてるのも特色なのではないかと思う。そういうところも普遍的な人気につながっているのかも。