『わが家への道 ローラの旅日記』
『大草原のおくりもの ローラとローズのメッセージ』
『ローラからのおくりもの』
ローラ・インガルス・ワイルダー/ローズ・ワイルダー・レイン著 谷口由美子訳
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4001145197&fc1=000000&IS2=1<1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>
「小さな家シリーズ」の著者であり主人公でもあるローラが生前に出版した本は『大きな森の小さな家』『農場の少年』『大草原の小さな家』『プラムクリークの土手で』『シルバーレイクの岸辺で』『長い冬』『大草原の小さな町』『この楽しき日々』の8冊。
ローラは読者や出版社の熱烈な要望に応えるかたちで次々とシリーズを書いたが、『この楽しき日々』を書いた後は86歳になる夫アルマンゾのためにと著述業から引退した。6年後の1949年にアルマンゾは亡くなり、57年にローラも90歳でこの世を去った。
シリーズ最後の1冊『はじめの四年間』は夫妻のひとり娘ローズの没後、彼女の養子でありマネジャーでもあったロジャー・リー・マクブライド氏が遺品のなかから発見した草稿を出版したもの。他の8冊と文体がまったく違うのはこのためである。
『わが家への道』はローズが母の死後に出版した旅日記である。
ローラにはもともと日記をつける習慣はなかったが、1894年7月〜8月の6週間ほどの期間は例外的に詳細な日記を書いていた。その夏、ワイルダー夫妻は幼い娘を連れてミネソタ州からミズーリ州まで幌馬車で旅をしたのだ。旱魃で収穫の上がらないミネソタでの農場経営を諦め、リンゴがとれるというマンスフィールドでの新生活を夢みて。西部開拓時代最末期、27歳当時のローラが書いた短い日記の前後に、ローズは解説文をつけて出版した。『はじめの四年間』に書かれた新婚時代のワイルダー夫妻の、そのまた後の日々が書かれている。
『大草原のおくりもの』『ローラからのおくりもの』はともにさらに後年、ローラの研究者ウィリアム・アンダーソン氏が編集した本で、収録されているのはローラがまだシリーズを書く以前に地元の週刊新聞に寄稿していたコラムやスピーチ原稿、ローズが家族を題材に書いたエッセイや短編小説、またインガルス家の人々が書いた覚書きや日記、詩など。シリーズに描かれた一家とはまた別の、現実の彼らの姿を伺うことのできる文章や、当時の貴重な写真も数多く掲載されている。
ローラと執筆をサポートしたローズはシリーズを子ども向けに書くため、事実をそのまま本にするのではなく、ある程度省略したり脚色したりして読みやすく加工した。
なので登場人物は大半が実在の人物なのだがやや理想化されてはいるし、物語には多少のヒロイズムが加味されてもいる。この3冊におさめられた文章はローズの短編を除いたすべてがノンフィクションなので、そういう演出はほぼみられない。かといってシリーズに登場した彼らともさほどズレはない。ある意味で、ローラはまさに自らの記憶に忠実に、一家の姿を物語の中に再現しようとしていたことがひしひしと伝わってくる。
なかにはほほえましい「省略」もある。ローラは『シルバーレイク〜』で出会い巻を追うごとに親しくなっていく未来の夫アルマンゾへの思いを、シリーズでは具体的に描写しようとはしなかった。むしろ初恋の少年(と思われる)キャップ・ガーランドについての描写の方が細かいくらいである。だが『ローラからのおくりもの』におさめられた婚約時代に書いた詩には、ほとばしるように熱い恋心がのびのびと描かれている。感情を抑えることで貞節であろうとする当時の女性の価値観は、半世紀経って著名な作家になっても変化しなかったのだろう。
悲しい省略もある。インガルス家にはひとり息子がいたのだが1歳になる前に病気で亡くなってしまった。この前後のことはローラはシリーズに書かなかったが、TVドラマには描かれている。
また、この3冊でインガルス家とワイルダー夫妻の「シリーズ」後の様子を知ることもできる。
ワイルダー夫妻がマンスフィールドに向けてデ・スメットを旅立つ前日のインガルス家での晩餐をローズが描いた「祖父のヴァイオリン」という文に、まさにこの一家を象徴する“とうさん”のひとことが書かれている。
「ローラ、おまえは、ほんのちびさんのときから、いつだってとうさんたちのそばにいた。かあさんもとうさんも、おまえたちにしてやり?スいと思うことを存分にはしてやれなかった。だが、とうさんたちがいなくなっても、少しだが何かは残るだろう。だから、今とうさんはこう?「いたいんだ、おまえたちみんなに、覚えていてもらいたい。その時がきたら、ローラ、おまえにこのヴァイオリンを持っていてほしいんだよ?v
─『大草原のおくりもの ローラとローズのメッセージ』p114
当時インガルス氏は58歳。
遺言をいうにはまだ早いような年齢だが、電話などもちろんなく郵便事情も不完全、公共交通機関の発達も充分でなく自動車も普及していなかったこの時代、650マイル(約1050km)も遠くの土地へ離れていく家族が、再び生きて会える保証は何もなかった。開拓地の厳しい気候のこともあるし、医療設備が不十分な田舎のことでもあった。
だから彼は、娘でもあり同士でもあったローラに、言い残すことがあるなら、この夜にいっておくべきだと考えたのだろう。
つらい時、苦しい時、悲しい時、常に家族を励まし、癒してくれたヴァイオリン。今となってはインガルス氏がどこでヴァイオリンを手に入れ、どういう経緯で演奏法を身につけたのかは誰にもわからない。ただこの一挺の弦楽器が彼の分身であり、家族の心の拠りどころであったことだけは間違いがない。どれほど貧しくても彼らは決してヴァイオリンを売って生活の足しにしようとはしなかった。どこへ行くにも大切に持ち歩き、家族団欒の時にはそっと取り出して奏で、歌った。
それを他でもないローラに遺したい、と父はいった。
8年後、インガルス氏が病に倒れたとき、ローラはデ・スメットに戻って死を看取っている。
ヴァイオリンはローラに引き継がれ、今ではマンスフィールドの記念館に収蔵されている。
インガルス氏の死から30年後、ローラは『大きな森の小さな家』を出版した。彼女はヴァイオリン以上のものを父から、母から受け継ぎ、それをひろく世に遺したい、語り継ぎたいと考えた。そしてそれを実行したのだ。
インガルス家の人はもうこの世にはひとりも残っていない。だが世界中の人の記憶と思い出に、彼らは永久に語り継がれていく。
日本ではローラの娘としてしか知られていないローズだが、シリーズが出た当時のアメリカでは彼女は既に成功した有名作家で、逆にローラが「ローズ・ワイルダー・レインの母」として紹介された。
ローズは1922年には『イノセンス』でオー・ヘンリー賞(英語で書かれた短編に贈られる。歴代受賞者にはフィッツジェラルド、カポーティ、スタインベック、アップダイク、ウルフ、ブラッドベリ、カーヴァーなど。近年ではプルーが『ブロークバック・マウンテン』で受賞)も受賞していて、この作品は『大草原のおくりもの』で読むことができる。ゴ?Vックな文体が魅力的な、独特に美しい短編小説である。生前未発表になっていた短編スリラー『窓に映る顔』も非常に優れた作品である。
ぐりはこれまで彼女の作品をまったく読んでいなかったのだが、今後機会があったらもっと読んでみたいと思いました。
『大草原のおくりもの ローラとローズのメッセージ』
『ローラからのおくりもの』
ローラ・インガルス・ワイルダー/ローズ・ワイルダー・レイン著 谷口由美子訳
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「小さな家シリーズ」の著者であり主人公でもあるローラが生前に出版した本は『大きな森の小さな家』『農場の少年』『大草原の小さな家』『プラムクリークの土手で』『シルバーレイクの岸辺で』『長い冬』『大草原の小さな町』『この楽しき日々』の8冊。
ローラは読者や出版社の熱烈な要望に応えるかたちで次々とシリーズを書いたが、『この楽しき日々』を書いた後は86歳になる夫アルマンゾのためにと著述業から引退した。6年後の1949年にアルマンゾは亡くなり、57年にローラも90歳でこの世を去った。
シリーズ最後の1冊『はじめの四年間』は夫妻のひとり娘ローズの没後、彼女の養子でありマネジャーでもあったロジャー・リー・マクブライド氏が遺品のなかから発見した草稿を出版したもの。他の8冊と文体がまったく違うのはこのためである。
『わが家への道』はローズが母の死後に出版した旅日記である。
ローラにはもともと日記をつける習慣はなかったが、1894年7月〜8月の6週間ほどの期間は例外的に詳細な日記を書いていた。その夏、ワイルダー夫妻は幼い娘を連れてミネソタ州からミズーリ州まで幌馬車で旅をしたのだ。旱魃で収穫の上がらないミネソタでの農場経営を諦め、リンゴがとれるというマンスフィールドでの新生活を夢みて。西部開拓時代最末期、27歳当時のローラが書いた短い日記の前後に、ローズは解説文をつけて出版した。『はじめの四年間』に書かれた新婚時代のワイルダー夫妻の、そのまた後の日々が書かれている。
『大草原のおくりもの』『ローラからのおくりもの』はともにさらに後年、ローラの研究者ウィリアム・アンダーソン氏が編集した本で、収録されているのはローラがまだシリーズを書く以前に地元の週刊新聞に寄稿していたコラムやスピーチ原稿、ローズが家族を題材に書いたエッセイや短編小説、またインガルス家の人々が書いた覚書きや日記、詩など。シリーズに描かれた一家とはまた別の、現実の彼らの姿を伺うことのできる文章や、当時の貴重な写真も数多く掲載されている。
ローラと執筆をサポートしたローズはシリーズを子ども向けに書くため、事実をそのまま本にするのではなく、ある程度省略したり脚色したりして読みやすく加工した。
なので登場人物は大半が実在の人物なのだがやや理想化されてはいるし、物語には多少のヒロイズムが加味されてもいる。この3冊におさめられた文章はローズの短編を除いたすべてがノンフィクションなので、そういう演出はほぼみられない。かといってシリーズに登場した彼らともさほどズレはない。ある意味で、ローラはまさに自らの記憶に忠実に、一家の姿を物語の中に再現しようとしていたことがひしひしと伝わってくる。
なかにはほほえましい「省略」もある。ローラは『シルバーレイク〜』で出会い巻を追うごとに親しくなっていく未来の夫アルマンゾへの思いを、シリーズでは具体的に描写しようとはしなかった。むしろ初恋の少年(と思われる)キャップ・ガーランドについての描写の方が細かいくらいである。だが『ローラからのおくりもの』におさめられた婚約時代に書いた詩には、ほとばしるように熱い恋心がのびのびと描かれている。感情を抑えることで貞節であろうとする当時の女性の価値観は、半世紀経って著名な作家になっても変化しなかったのだろう。
悲しい省略もある。インガルス家にはひとり息子がいたのだが1歳になる前に病気で亡くなってしまった。この前後のことはローラはシリーズに書かなかったが、TVドラマには描かれている。
また、この3冊でインガルス家とワイルダー夫妻の「シリーズ」後の様子を知ることもできる。
ワイルダー夫妻がマンスフィールドに向けてデ・スメットを旅立つ前日のインガルス家での晩餐をローズが描いた「祖父のヴァイオリン」という文に、まさにこの一家を象徴する“とうさん”のひとことが書かれている。
「ローラ、おまえは、ほんのちびさんのときから、いつだってとうさんたちのそばにいた。かあさんもとうさんも、おまえたちにしてやり?スいと思うことを存分にはしてやれなかった。だが、とうさんたちがいなくなっても、少しだが何かは残るだろう。だから、今とうさんはこう?「いたいんだ、おまえたちみんなに、覚えていてもらいたい。その時がきたら、ローラ、おまえにこのヴァイオリンを持っていてほしいんだよ?v
─『大草原のおくりもの ローラとローズのメッセージ』p114
当時インガルス氏は58歳。
遺言をいうにはまだ早いような年齢だが、電話などもちろんなく郵便事情も不完全、公共交通機関の発達も充分でなく自動車も普及していなかったこの時代、650マイル(約1050km)も遠くの土地へ離れていく家族が、再び生きて会える保証は何もなかった。開拓地の厳しい気候のこともあるし、医療設備が不十分な田舎のことでもあった。
だから彼は、娘でもあり同士でもあったローラに、言い残すことがあるなら、この夜にいっておくべきだと考えたのだろう。
つらい時、苦しい時、悲しい時、常に家族を励まし、癒してくれたヴァイオリン。今となってはインガルス氏がどこでヴァイオリンを手に入れ、どういう経緯で演奏法を身につけたのかは誰にもわからない。ただこの一挺の弦楽器が彼の分身であり、家族の心の拠りどころであったことだけは間違いがない。どれほど貧しくても彼らは決してヴァイオリンを売って生活の足しにしようとはしなかった。どこへ行くにも大切に持ち歩き、家族団欒の時にはそっと取り出して奏で、歌った。
それを他でもないローラに遺したい、と父はいった。
8年後、インガルス氏が病に倒れたとき、ローラはデ・スメットに戻って死を看取っている。
ヴァイオリンはローラに引き継がれ、今ではマンスフィールドの記念館に収蔵されている。
インガルス氏の死から30年後、ローラは『大きな森の小さな家』を出版した。彼女はヴァイオリン以上のものを父から、母から受け継ぎ、それをひろく世に遺したい、語り継ぎたいと考えた。そしてそれを実行したのだ。
インガルス家の人はもうこの世にはひとりも残っていない。だが世界中の人の記憶と思い出に、彼らは永久に語り継がれていく。
日本ではローラの娘としてしか知られていないローズだが、シリーズが出た当時のアメリカでは彼女は既に成功した有名作家で、逆にローラが「ローズ・ワイルダー・レインの母」として紹介された。
ローズは1922年には『イノセンス』でオー・ヘンリー賞(英語で書かれた短編に贈られる。歴代受賞者にはフィッツジェラルド、カポーティ、スタインベック、アップダイク、ウルフ、ブラッドベリ、カーヴァーなど。近年ではプルーが『ブロークバック・マウンテン』で受賞)も受賞していて、この作品は『大草原のおくりもの』で読むことができる。ゴ?Vックな文体が魅力的な、独特に美しい短編小説である。生前未発表になっていた短編スリラー『窓に映る顔』も非常に優れた作品である。
ぐりはこれまで彼女の作品をまったく読んでいなかったのだが、今後機会があったらもっと読んでみたいと思いました。