落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

早速『画魂 愛 いつまでも』

2004年12月03日 | movie
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注文したドラマDVDの予習として『画魂 愛 いつまでも』を鑑賞。
確か劇場公開時は大胆なヌードシーンをウリにしてたよーな記憶があるんですが、実際観てみるとそれがどこなのかさっぱり分からない。だってヌードったって主演の鞏俐(コン・リー)は当然脱ぐワケないし、画面に登場する妓女やヌードモデルの露出度だってたかが知れてます。謎。

物語自体は92年の映画なので多少古くて当たり前なのだが、それにしても常軌を逸した古臭さである。もうね、考え方、捉え方が前近代ですわ。
ヒロインは妓楼から官吏に身請けされて教育を受け、海外留学までさせてもらったフランスで運良く才能を認められる。故郷中国の市民には受け入れられなくても、愛し理解し支えてくれるパートナーに恵まれ画家として成功した彼女の人生を、ぐりは決して不幸だとは思えない。むしろ女として上出来の一生ではないか。
ところが、この映画では彼女を「第二夫人として屈辱的な立場に置かれ子どもにも恵まれず孤独に異郷で死んだ可哀想な女」、あくまでも“憐れむべき不幸な人間”と云う枠にはめようはめようと汲々としているように見える。そのためのご都合主義的なしらじらしい設定も各所に見受けられる。
結局中国の女性観ってこういうもんなのかなあ(虚)。
しかしこの藩玉良(パン・ユィリャン)と云う実在の画家の関係者はこんな風に描かれて腹をたてたりしないんだろうか。大体、彼女が留学した1920年代のほんの数年前のパリでだって多くの芸術家が彼女と同じような辛酸を嘗めた筈で(マチス然りマネ然りモディリアーニ然り)、この映画じゃ中国の一般市民がまるで全く無教養な野蛮人みたいな描かれ方をしてるけどあまりにも主観的過ぎて説得力がない。これでは観客を見くびっていると受取られても仕方がないだろう。極端に云えば下品でさえある。

ついこないだ『ジャスミンの花開く』を観た時も思ったけど、やっぱり中国映画における“女性”観ってどうしても「女は結婚して子どもをつくっておとなしく家族にかしづくのがいちばん良くて、それ以外の人生はみんな不幸」と云う考え方を観客に押しつけているように見える。
ぐりは何も結婚や出産や家族を持つことを卑下するつもりはない。でも人間にはもっとさまざまな生き方があって然るべきだし、なにに於いても「これが幸せでこれは不幸」と云った画一的な価値観の押しつけは見ていて快いものではない。
92年の『画魂』から12年経った『ジャスミン…』で似たような主張をしてるってのがまたツライものがありますです。