「画乗要略」
若冲の没年は寛政十二年(一八〇〇)、享年八五歳であった。ところが命日は二説ある。九月八日と十日である。彼は石峰寺境内に土葬され、墓も現存する。寺では命日を、九月十日とする。わたしも同寺の過去帳を拝見したが、寛政十一年、亡くなる前年に新調された過去帳の十日の欄に「壽八十八歳 寛政十二庚申 斗米翁若冲居士 九月入祠堂」。やはり、命日は九月十日に間違いない。石峰寺では毎年、命日に若冲忌を催しておられる。
そして三十年ほど後、天保二年(一八三一)に刊行された『画乗要略』では、「しかるに形似に務めず、写意を貴しとする。居を深草石峰寺のかたわらに構え晩閑す。その画をもって一斗米に換え、よって自ら斗米庵と号す。石像五百羅漢を造り、その像をいま見るに、往々その自然にしたがい、彫琢を加えず。また似に務めず」とある。
<2009年8月1日 南浦邦仁>
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます