シェイクスピアの『ハムレット』は1600年、ちょうど関が原の合戦のころにはじめて上演されましたが、オフェーリアがバレンタインの日を歌うシーンがあります。
「あしたはセントバレンタインデー。早朝のすべてのものと、窓辺の少女が、あなたのバレンタイン。それから彼は起き上がり、服を身につけ、部屋の窓をあけた。少女を部屋に入れ、少女を部屋から出し、そして二度と離れない」(山岡千弘訳)
このころのイギリスでは、聖バレンタインに象徴される愛と、2月14日の祝日が完全に定着しています。
シェークスピア以前をみると、同じイギリスの作家・チョーサーの詩にたびたび表現されています。彼は14世紀に活躍し『カンタベリー物語』で有名ですが、詩「鳥たちの集い」は「聖バレンタインの日に鷲をはじめ、あひる、ほととぎす、いかるがなどが、各々配偶者を得る」という、快活な夢物語です。別の詩「マースの嘆きの歌」には、こうあります。
「聖バレンタインよ。太陽が昇り始める前に、あなたの聖なる日に、鳥が次のように歌うのを聞いた。この鳥はこのように歌うーーなんじら皆目覚めよと忠告する。そして謙遜な態度から、まだ連れ合いを選んでいないものは、後悔せずに、己のために相手を選びなさい」(佐藤勉訳)
チョーサー以前には、この日を愛の日とする記述は見当たりません。愛とは無縁のバレンタインの日、2月14日を鳥たちを介して、伴侶選びの日、求愛と婚約の日として記述した最初のひとは、チョーサーであると、ほぼ断定できます。
当時のイギリスやフランスの宮廷では、陽気な恋の遊戯と愛を語らう饗宴の場で、よく歌がよまれた。その後、近代になってもこの日の風習が盛んだったのは、イングランドと北フランスです。北仏詩人トゥルヴェールの影響もあったことでしょう。
ヨーロッパの冬は厳しい。2月は厳冬です。なぜこの寒い日があえて選ばれたのでしょうか。わたしは、国教になったキリスト教に征服された旧ヨーロッパの古い神々との戦いを感じます。一神と多神とのバトルです。
2月のころ、禁欲の四旬節のまえに開かれたどんちゃん騒ぎの祭り、カーニヴァル・謝肉祭も関係していることでしょう。この祭りの起源は、古代ローマの農耕神への信仰であろうといわれています。
かつて異教であり、古代ローマで迫害されたキリスト教は、313年に皇帝コンスタンティヌスによって公認されました。ネロ帝以降、おびただしい数のキリスト者が殉教しましたが、この時にはじめて信者たちに平和が訪れる。そして国教となったキリスト教は、古いローマの神々や、異民族の神々、ケルトやゲルマンの神たちを絶滅させる教化活動を本格化しました。
古代ローマにはさまざまな祭儀や祝日がありました。意中のひとの名を紙片に書き、男女互いにその札を引いて相手を選ぶ「ルペルカリア」もそのひとつ。2月15日の夜に行なわれた古くからの有名な祭りです。
シェークスピア『ジュリアスシーザー』の記載にもありますが、これはプルターク『英雄伝』からの引用です。ルペルカリアの祭りは、ローマ建国のロムルス兄弟が、狼に育てられたという伝説に由来します。さらには、牧羊神や森の神に豊穣や多産を祈る祭が、もともとの起源だといわれています。
さらに古くは、ギリシアのアルカディアにまで辿れます。古代ギリシアの狼信仰に関係する祭りなのです。『シェイクスピア物語』を書いた19世紀のエッセイスト、ラムも『エリア随筆』の「ヴァレンタイン節」のなかで、アルカディアを示唆しています。
キリスト教界に排撃された異端の祭り、ルペルカリア祭が5世紀以来、千年ちかいあいだ深く沈潜し、14世紀のころ「聖ヴァレンタインの愛の日」として復活した、とわたしは断言します。
2月14日のチョコが、義理であっても楽しみです。
<2008年2月3日 京都三方雪山 前後の後 南浦邦仁記>
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