ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

アウンサンスーチーとミャンマー (4)

2016-01-06 | Weblog
北朝鮮とテインセインとアウンサンスーチー


 つい先日のこと(2012年2月)、北朝鮮にくわしい方と話していたら、話題は自然とビルマ(ミャンマー)の変革に行き着いてしまった。ごく最近に変化著しいミャンマー大改革は本物か? 北朝鮮とともにアジア最貧国で、自由のカケラもなかった国が、本当に変身するのか?
 軍出身のテインセイン大統領が、はじめて外国メディアの取材に応じた。「ニューズウィーク」2012年2月1日号。

 記者「短期間に驚くべき変化が起きているが、この国を変えようと思った動機は?」
 テインセイン「平和と安定、そして経済発展を実現したいという、人々の強い希望が根底にあるからだ。」

 言い得て妙だと思う。国民のために平和と安定と経済発展を目指す。国家のトップとして、言い尽くされた目標のはずだ。口先ではなく、彼が実行しているのがすごい。
 またテインセインは今後のステップについて「透明性を大切にしたい。世界の国々と友好関係を維持していきたい。」
 やっと自由になったアウンサンスーチーが率いる野党 NL D は、政党として登録された。そして4月1日の国会補欠選挙で議席48すべてを獲得するべく、活動を開始している。まだ解放されていない収監中の政治犯も、何人もがこの日には釈放されるという。
 少数民族の武装グループとの信頼関係構築も、テインセインは最重要課題にあげている。全国に11の武装勢力があるが、すでに最大派のカレン族勢力とは停戦合意を結んだ。ほかのすべてのグループとも対話を継続している。

 テインセイン大統領は欧米諸国について「われわれに求めている条件が3点ある。政治犯の釈放、補欠選挙の実施、スーチーをはじめとする人々を政治プロセスに参加させることだ。これらの条件はすでに達成したと、わたしは確信している。欧米の側もやるべきことをやるべきだ。3つの条件を実行したのは、国の外から圧力を受けたからではない。この国のために必要だと思ったからやったのだ。欧米による経済制裁の目的はミャンマー政府を痛めつけることだったが、実際は国民の利益を損なった。」

 また北朝鮮との核兵器開発での連携協力がウワサされているが「北朝鮮とは外交関係を結んでいるが、核開発や兵器の開発協力といった関係はない。そのような懸念は疑惑にすぎない。核は保有しておらず、北朝鮮との軍事協力もない。北朝鮮はわれわれの国を支援できる状況ではなく、われわれには核開発をはじめる財政手段がない。」
 北朝鮮と国交のない日本からすれば、北と外交関係のあるミャンマーが奇異にうつるかもしれないが、そんなことはない。日本こそが少数派である。世界162カ国が北朝鮮と国交を結んでいる。米韓日は当然だが国交はない。

 また大統領は「この国で民主主義が繁栄するための条件は、主に2つある。国内の平和と安定の実現と、経済発展だ。経済を発展させて国民の生活を向上させるため、必要な手段を実施している最中だ。…国民の貧困は、20年以上に及ぶ経済制裁のせいだ。この国で民主主義を繁栄させたければ、経済制裁を緩和して、民主主義に必要な活動を奨励するべきだ。」

 北朝鮮もミャンマーの行きかたを熟考すべきであろう。核すなわち原子力だが、貧しい国が自国を守るために、保有し開発し続けることには無理がある。外国からは危険な敵とみなされ、同国は疲弊し尽くすしかない。国民は食に窮してどん底に堕ち、数え切れないひとたちが餓死していく。そのような国家がいつまでも存続できるはずがない。
 たいへん危険な状態にある現在の北朝鮮事情について、李相哲氏は次のように記しておられる。金正恩政権を「維持するには、差し迫った食糧事情を何とかするしかないが、外からの援助を受けるには、その代償として、核廃絶に向けた態度表明を含む、責任ある態度を、国際社会から要求されるのは逸れない」(雑誌「諸君!」2012年2月臨時増刊号 北朝鮮特集)
 国民を餓死させないという当面の課題も果たせないのであれば、北朝鮮の現体制は存在してはいけない。その能力も資格もない。差し迫ったいまが、ふつうの国に変わるための絶好のチャンスのはずだ。
 しかし核を手放し自由化と開放に向かえば、きっと反乱を起こす国民の手で虐殺されるであろうと確信している金一族と一部特権階級であるならば、外国に移住すればよい。彼らを温かく迎える、おおらかな国は世界にいくらでもあるはずだ。しかし立つ鳥、あとを濁さずという。

 2012年4月1日のミャンマー補欠選挙、そしておそらく投票終了直後に実施される全政治犯の釈放。当日のテレビ報道がいまから楽しみだ。この日4月1日は絶対に、エイプリルフールであってはならない。

 連邦議会下院補選立候補に彼女は届け出た。スーチー率いる野党NLD(国民民主連盟)は全48議席獲得を目指しているが、彼女は立候補のために住民登録を貧民が多数住む村に移した。
 NLDは1月下旬に党本部で選挙対策会議を開いた。48人の立候補者の住所地をどこに置くかを決めるためである。会議の席で「地図を広げて検討していたところ、スーチーさんは貧困層が多いヤンゴン南部コムー地区郊外のワティンカ村を指定した」。そして党関係者が同村を訪れたところ、面識のないカレン族の60歳前後でふたり暮らしの姉妹が、「スーチーさんの住民登録はぜひわたしの家にしてください」と強く希望した。スーチーは選挙の前日夜に姉妹宅にはじめて泊り、4月1日はこの家から投票場に向かう予定である。ワティンカ村での彼女の姿は、きっとテレビ映像で全世界に流れることだろう。
 彼女が少数民族と貧困層の問題を大切に考え、実行していることを象徴する話題だ。武装少数民族の問題についてスーチーは「少数民族側は私に和解仲介の役割を求めている」。政府が望めば仲介を実行すると彼女は先月話している。

 ビルマ、すなわちミャンマーのいまの大改革は、テインセイン大統領とアウンサンスーチー女史、ふたりを中心に進んでいる。そのように思える。しかし在野のスーチーは、これからどのような戦略を立てていくのだろうか?
 スーチーはテインセイン大統領について「私は大統領が本心から改革を求めていると信じている。ただ軍部が大きな権力を持つことを認める現行憲法の下では、大統領は国のトップであっても、最高権力者であるとは限らない。」
 確かに、改革を進めるテインセインに敵するのは、スーチーたちのNLDよりも、もしかしたら軍部現政権内部の保守派かもしれない。テインセイン主導の改革は、ここにひとつの危惧を感じてしまう。

 また彼女は4月の補欠選挙について「48議席すべてを確保したとしても、600議席以上ある上下院の中ではわずかにすぎない。あらゆることを一度に実現することはできない。議会の中で徐々にわれわれの活動を広げていく。」
 国会の議席は4分の1を軍部が独占すると、憲法は定めている。憲法改正は重要な課題だが、新憲法の成立までには大きな障害がある。今回の補選はミャンマーにとって大きい意味を持つが、現実には小さな一歩にならざるを得ないのであろう。

 テインセイン大統領についてスーチーは、2011年3月に「新政府が誕生し、テインセインがトップに立ったからこそ改革が進んでいる。彼は変化と改革の必要性を理解し、最善を尽くしている。政府内の改革派はほかにもいるが、彼なしに実現できたとは思わない。テインセインは軍から尊敬されている。大統領は現政権の中でもまれな、汚職に手を染めていない人物のひとり。彼だけでなく彼の家族も同様で、これはとても珍しいことだ。」
 ミャンマーの軍部や政府高官たちには汚職が当然とされるなか、テインセインの清潔さはなぜであろう? 彼はミャンマー南西部のイラワジ川デルタ地帯で幼少年期をすごした。父は船着き場での荷役労働者であった。6歳上の兄は学業を断念し、弟のテインセインを中学そして高校へと進ませた。テインセインが高校卒業後に国軍士官学校に入学したのは、学費が無料だったからである。
 彼は汚職に染まらなかった。それは軍で生き抜き出世するための狡猾な処方であろうか? 貧民として生まれ育ってきた自らの過去からの清廉志向ではなかろうか。
 テインセインの出身地、ジョンク村住民は「子どものころ、彼は目立たず、また偉ぶることもなかった」。軍部トップだった独裁者タンシュエは、テインセインが「物静かで野心がなく、従順である」から後継に選んだともいわれている。

 スーチーは、当然だが次の補選で当選する。しかし大統領が望む閣僚就任は辞退するはずだ。ミャンマー憲法では、閣僚の政党活動は禁止されている。スーチーの党NLDは4月から新スタートを切る。彼女は党建設に力をそそがねばならない。
 そしてテインセインとスーチーは競うけれども連携し、新しいビルマ・ミャンマーを建設していくはずだ。国民の自由と幸福のために。(以上は2012年2月記載)


 今日現在(2015年12月)、スーチーは3年前と同様に、信頼する同志のテインセイン現大統領と連携し、新生ミャンマーを築きつつあるようだ。改めて、そのようにしかわたしは考えることができない。ミャンマーは軍部とUSDP とNLDの相互理解と協力を必要としている。
<2016年1月6日 南浦邦仁>
コメント