ふろむ播州山麓

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アウンサンスーチーとミャンマー (1)

2015-12-13 | Weblog
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(1)11月8日の総選挙

 ミャンマーの総選挙で、アウンサンスーチーのNLD(国民民主連盟)が圧勝した。総議席の25%は軍が常時おさえており残りの議席を争うのだが、NLDはその内の8割を取り、全体議席でも約6割に達し過半数を制した。
軍事政権下で自由を求めて戦ってきたたくさんのひとたちにとって、11月8日のこの選挙結果は歴史的な勝利であり、アジアの民主主義にとっても重要な節目であろう。選挙直後、スーチーはこう語った。「我々はミャンマーの民主主義について、いま世界に示しはじめたに過ぎない。」
 
テインセイン現大統領はまだ開票作業が進んでいる段階で、スーチーに祝福の電話を入れた。そして自らの政党であるUSDPの敗北を潔く認め、平和的な政権移譲を約束した。軍出身で、国軍勢力を利するはずのテインセインだが、彼は実に潔い人物のようだ。

 しかし喜んでばかりはおれない。現憲法では外国籍の家族がおれば、議員に当選しても大統領になることはできないとされている。スーチーのふたりの息子は英国籍である。
 問題の多い憲法だが、上下両院で75%の賛成があれば改正できる。だが25%の議席が常に軍に割り当てられている。軍が反対すれば憲法改正は不可能である。
 国防治安評議会という曲者もある。大統領以下11名の委員で構成するが、NLDは5名の委員しか出せない。過半の6人は国軍が占めるという規定がある。有事には、大統領ですらこの委員会、すなわち国軍の決定に従わなければならない。
 閣僚の選定だが、国軍は憲法の規定によって三大臣を指名する。国防、内務(警察)、国境相である。大統領は単に三人を追認し、任命するだけである。

 スーチーは選挙後の会見でつぎのように述べている。自らは大統領になることはできないが、自分はその上に立つ(above the president) 存在になり、大統領を超える。その計画はすでに立てており、決定はすべて自分が下す。大統領には一切の権限はない。
 しかし彼女は独裁者になることは不可能だ。仲間のNLDよりむしろ、軍勢力の協力を得なければ、閣僚をそろえることもできない。スーチー率いるNLDは、政権を握ったのではなく、旧支配層の軍部と協力して、国家を運営する機会を与えられたというべきのようだ。
 事情に詳しいある日本人ジャーナリストは、スーチーを「演説とメディア戦略のうまさでのし上がり、独裁を標榜するあたり、まるでミャンマーの橋下徹です。大量に当選した“スーチーチルドレン”は人材不足で、大統領候補の名もあがりません。」
 だが日本とミャンマーでは、あまりにも国情がことなる。まず軍と民主主義、経済や民族と宗教の問題などなど、彼我の差は大きすぎる。平和で豊かな大阪府市と、つい数年前まで動乱の続いていたミャンマーと、比較することは困難であろう。

 現在のスーチーはミャンマー国民にとって、宗教的崇拝に近い敬愛の対象だという。呼称は、ザレディー、マザー・スー、スー母さん、英雄スーチーなど、70歳の彼女の双肩には国民の期待が重く覆いかぶさっている。
 スーチーは難題が山積するミャンマーを、どのように構築していくのだろうか。彼女はふたりの最高権力者に書簡を送った。ひとりはテインセイン大統領、もうひとりはミンアウンフライン国軍総司令官である。
課題である国内少数民族の武装勢力との停戦交渉、被差別の立場に置かれ貧困にあえぐイスラム教徒の少数民族ロヒンギャの問題……。それらはミャンマーの抱えるたくさんの課題のごく一部でしかない。スーチーの対話はいま、大統領と軍総司令官たちとはじまった。難題はあまりにも重い。
<2015年12月13日 南浦邦仁>


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