ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

コンピュータは勝負師? (1) 電脳と是川銀蔵翁

2013-06-01 | Weblog
株価はその後も乱高下しています。専門家の判断では、いちばんの原因はコンピュータによる超高速取引であろうといいます。超高速でコンピュータが自動的に行うアルゴリズム取引で、1秒間に数百回にも及ぶ注文と取り消しを繰り返す。ポジション(建玉たてぎょく)保有時間は短いとわずか数ミリ秒。HFT(超高速取引)ではほとんどが当日中にポジション(売買)を解消してしまう。
 エコノミスト5月28日号で平塚崇氏は「外国人(ヘッジファンド)の正体はコンピューター 千分の1秒単位で取引 超高速が市場の撹乱要因にも 取引市場の高速化に伴い、海外から日本市場に参入しやすくなり、日本市場は外国人投資家に席巻されている」(投稿の見出し)

 馬券ではふつうのサラリーマンが、勝馬予想パソコンソフトを駆使して5年間で37億円近い払戻金を得た。大阪国税当局は無申告で脱税したとして9億9千万円(加算税・地方税込み)を課税した。しかし彼は購入したハズレ馬券30数億円を経費とみなすべきだと裁判になり、結局大阪地裁は5月23日、1億4千万円を雑所得とし被告の主張を認め、5200万円を納税額と判断。ただし単純無申告罪で懲役2月・執行猶予2年の判決。
 将棋の世界では今春、プロ5人と異なる5種類のコンピュータソフトが対戦した。この電王戦の結果は人間が1勝3敗1引き分け。ただひとりの勝者は若干18歳の阿部光瑠4段。彼はかつてコンピュータプログラマになりたかった人物です。勝負の前に公開されたコンピュータソフトを徹底的に研究しバグを発見した。勝因はそこにあったと阿部氏は語っています。

 人間の判断を凌駕するコンピュータとは何か? 典型的な文系で、PCにもITにも音痴のわたしですが、この問題に踏み込んでみたいと、最近の株価乱高下をみて切実に思うようになってしまいました。
 まず是川銀蔵(1897~1992)さんの自伝『相場師一代』(小学館文庫)をみてみます。93歳で記した唯一の自伝ですが、是川さんは「最後の相場師」と呼ばれた日本を代表する稀代の庶民投資家です。なお旧題は『自伝波乱を生きる』1991年講談社刊。同書まえがきを引用します。なお(カッコ)内はわたしの参考書きです。

 これまでいくつもの出版社から、自伝の出版を依頼されたが、どのような申し出に対しても断ってきた。私が自伝を世に出すことは、大勢の犠牲者(株式投資の失敗者)を出すことになるという自戒から出版を避けてきたのである。ところが、あるライターが止めるのも聞かず、私の投資一代記なるものを出版してしまった(津本陽著『裏に道あり』1983。後に改題『最後の相場師』)。すべて真実のまま書いてあればいいが、非常に真実とはかけ離れたことも書かれている。まして、私の一代記を読み、それを真に受け株は大儲けできるものと錯覚し、危険も省みずに株式投資に大金をつぎ込み、人生を棒にふるような人達が出てきては困る。これでは私がこれまで出版を拒んできた意味がなくなる。
 そこで私は自らの手で綴ることにより、株で成功することは不可能に近いという事実を伝える使命があると思い、筆をとることにした。
 世間の人達は、私があたかもこの“不可能”を覆して株の売買で成功し、巨万の富を得たと思っているであろう。しかし、決してそうではない。私は実際、今でもすっからかん。財産も何も残ってはいない。このことを著書で警告したいのである(驚き信じられない方も多いでしょうが、詳しくは自伝をご覧ください)

 ブラックマンデーという株の大暴落が起きました。1987年10月20日、日本市場はパニックに陥りました。NY株式市場は現地19日月曜日に、ダウ平均で508ドル安、前日比で22.6%も暴落しました。
 是川は数ヶ月前からアメリカ市場に危惧を覚え、周辺の投資家たちに「持ち株はすべて売れ」と指令していました。彼の読みは的中したのです。アナログ人間のはずの彼は、この急激な下げを次のように記しています。先日の乱高下に似ているように思えます。

 (ブラックサンデーの急落は)実態経済に起因していない以上、このパニック現象は一時的なもの、と(私是川は)見ていたのだ。
 ニューヨーク市場のコンピュータによるシステム売買は、株価に連動して、下げに入ればポートフォリオ・インシュアランス(PI)が売りの指令を出し、株価指数の先物が下がったところで現物の株を売るセル・プログラムが始動するシステムなのだ。ただ、現物の株が売られ、株価が下がっていくと、さらに先物まで下がるといった、相乗的に相場を下げていくというデメリットがあるのだ。
 株式と債券の運用比率を機能的に変えて投資元本を保証しようという投資手法なのだが、私にはどうしてもこのPIというコンピュータに頼った投資手法は、首をかしげるものがあった。

 26年も前に彼はこのように分析しているのです。だが当時パニックに陥った一般投資家に向かって是川は「絶対に狼狽売りをしてはいかん。原因はコンピュータの売買システムの欠陥だから暴落現象は一過性のもの、株価はすぐに元に戻る」
 相場は彼のいう通り上昇に戻ったが、その2年後の1989年12月29日の大納会に日経平均38915円という歴史上の最高値をつける。しかしここで日本のバブル相場は終了した。年明けの大発会とともに暴落を続ける。失われた20年の始まりでした。

 ブラックマンデーのとき、是川さんは90歳でしたが、米国のコンピュータ売買システムに精通しておられる。さらにバブル崩壊に対しても平均株価33000円ころから警告を発しておられた。
 さてなぜいま是川銀蔵なのか? 先日このブログにコメントを寄せてくださった「職人太郎」さんの記述がきっかけです。太郎さんはかつて是川銀蔵翁のカバン持ち兼ガードマンだったのです。そのころのことを『職人暮らし』(原田多加司著・ちくま新書)に余話として記されています。次回は「職人と是川翁」とでも題して、この本を紹介しようかと思っています。
<2013年6月1日 南浦邦仁>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする