ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

そっくりさん

2010-04-24 | Weblog
 世界にふたりか三人か、自分にそっくりなひとがいる。子どものころに聞きました。わたしたちは東洋人ですから、地球上にいるとしたら中国やモンゴル、朝鮮半島か東北アジア…やはり日本国内でしょうか。もしかしたらアメリカにでも移住している東アジア人、あるいは南米に暮らす日系移民三世あたりかも知れません。

 小学生の何年だったか、家族で日本海まで旅したことがあります。ずいぶん古い話しですが、汽車旅行でした。たしか機関車は「C11」だったと思います。蒸気機関車は、その後も数年間健在のころでした。「ポーッ」という汽笛とともに、家族五人は鳥取の温泉に向かいました。はじめて鳥取砂丘と紺碧の日本海を一望し、また温泉とやらに浸かり、感動したことを記憶しています。
 汽車ではトンネルに突入する前に、窓を閉めなければたいへんなことになる。黒煙が客室内に充満するからです。そして隧道を直前にして、大失態が起きてしまった。わたしが窓を降ろすのと、列車が穴に突っ込むのがほぼ同時。煙のなかに漂っていた石炭の小粒が、眼に飛び込んできたのです。激痛が走りました。眼の中にいれても痛くない云々というのは、ウソです。固形物は何を入れても、たまらなく痛い。
 車内の狭いトイレの手洗いで目を洗ってみましたが、効果もない。やっと到着した駅の前にあった薬局で目薬を買ってもらい、点眼してみたら粒はすぐに取れた。あまりに意外な結末に、眼薬の魔力を以降、畏れるようになったわたしです。
 ところで温泉からの帰路、列車で驚くべき大ショックをわたしたち家族全員は受けてしまいました。われわれの向こうには、見ず知らずの乗客が座っていました。父母と小学生の姉妹の四人連れだった。何とその姉は、わたしのすぐ下の妹と同じ顔なのです。そっくりどころではない。
 一卵性双生児の歌手「ザ・ピーナツ」をはじめてテレビでみたときの驚愕と、ほとんど同じでした。待望の白黒テレビがやっと家庭に入ったころ、よく故障するTVの天板をたたいたものです。すると不思議と直る。ザ・ピーナツをはじめて画面でみた子どもが「あれっ、また調子がわるい。顔が二重に写っている」といったのは実話です。その子どもも、きっとテレビをたたいたことでしょう。
 車内でのご対面で、当事者のふたりは当然、両家族の驚きはたいへんなものでした。驚愕仰天といってもいいほどのショックです。一体、彼女は何者か? ふたりの出生には、何か秘密があるのでは? しかし両方の父母をみても、単純な驚きを示しているにすぎない。双方あわせて親子九人は、ただただ唖然とするばかりでした。われわれはひとことも口をきかず、相手に話しかけるのも畏れ多く、時間だけが、静かに過ぎていきました。そして向こうの家族が先に下車。逃避したのではなく、目的の駅に着いたからのようでした。

 ところで今晩、友人ふたりがわたしの家、陋屋に泊ります。陋屋は「ろうおく」。「拙宅」よりもひどいあばら屋の表現ですが、この語をつかうとよく「牢屋」と勘違いされます。たしかに牢獄のような住まいですので、間違いではありませんが…。
 十日ほど前、東京の友人Tさんからメールがあり「ゴールデンウィーク前に奈良・京都に行くのだけど、宿をとるのがむずかしそう」。いまは平城遷都1300年と、平安京都の観光ピーク期です。
 ぼくは「遠慮せずに陋屋に泊ってください。時間を気にせず、深夜明け方まで、あれこれ話しもできますし」。彼は「遠慮」など無縁な男です。「それじゃ、よろしく」
 それでふと思い出したのが、大阪に住む友人のNさん。ふたりはこれまで、一度も会ったことがない。わたしは十年以上も前から、ご両人対面の機会を設けたかったのです。
 実は、ふたりは顔や体型が、そっくりなのです。「Nさん、前からいっていた東京のそっくりさんが、拙宅に泊ります。自分自身を鏡でみる気分で、会ってみませんか」。彼も即答で「宿賃かわりに旨い酒をさげて行きます」
 そんなそっくりさんご対面の式典が本日、まもなく挙行されます。今夕、JR桂川駅に三人が集合します。おふたりがどのような反応表情をされるか、いまからわくわくしています。 「朋あり、遠方より来たる、また楽しからずや」。続編?はまた改めて
<2010年4月24日土曜 衝撃の日か> [ 224 ]
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