ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

大原と大原野

2007-11-23 | Weblog
「片瀬さんは、京都のどちらにお住まいですか?」と聞かれると、答えに窮する。住所は、京都市西京区大原野だが、「大原野です」などと答えようものなら、「大原ですか。三千院、いいところに住んでおられるのですね」、などと言われてしまう。大原は洛北、大原野は洛西、西山の麓で、まったく方角が違う。歌謡曲♪京~都~大原、三千院。恋につかれた女がひとり~の影響だろうが、よく間違えられる。
 祇園あたりから深夜にタクシーに乗った酔客が、「大原野へ」とひとこと言って寝入ってしまったことがあるそうだ。「お客さん、そろそろ着きますよ」と運転手に起こされて窓外を見ると、そこは見知らぬ光景の大原。運転手は無料で、洛西の大原野まで送り届けたという笑い話を、聞いたことがある。
 大原野の記述は古い。延暦十一年(792年)、後に平安京をひらく桓武天皇が「遊猟于大原野」とある。桓武は長岡京遷都以前から、たびたびこの地を訪れ、狩をしたようだ。彼の母・高野新笠の墓も近くにあるが、桓武と新笠、母と子のことは、またその内に書きたいと思っている。
 ところで、王朝時代においても、大原と大原野は、混乱する。歌では、野を省略して、大原野を単に大原と、うたうことが多い。
 
 紀貫之「後撰集」は、
  大原や 小塩の山の小松原 はや木高かれ 千代の蔭見ん
 在原業平「古今集」では、
  おおはらや 小塩の山も今日こそは 神代のことも 思ひ出づらめ
 
 ともに小塩山(おしおやま・大原山)を詠いこんでいるので大原野と知れるが、近世初期のひと・木下長嘯子の歌などは、歴代天皇の鷹狩「野辺の行幸」から推測するしかない。
  すみれつみに 春は来てとへ 大原や 野辺の御幸の路もみがてら
 
 大原野には古社・大原野神社がある。久しぶりに自宅から徒歩で訪れた。大原野は広い。片道四十分もかかったが、田畑の多いこの野は、車よりも散策が楽しい。社の神主さんとは、愉快な対話もできた。次回は、大原野神社のことでも取り上げてみようかと、思っている。
<2007年11月23日 片瀬こと南浦邦仁>
コメント
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